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ダライ・ラマ14世との会談、外国人記者クラブや各国大使館での講演、世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)の出席など、世界各国で宗教の垣根を超えて活動する僧侶がいる。

それが、今回ご紹介する臨済宗妙心寺 退蔵院の副住職を務める松山大耕(まつやま だいこう)だ。

彼は、「京都観光おもてなし大使」や日経ビジネス誌「次代を創る100人」に選出されるなど、ここでは書き切れないほどの活動と実績のある僧侶だ。

そんな素晴らしい活動、実績を持つ彼だが、今回のインタビューで改めて感じたのは、常に学びを忘れず地域住民との関わり合いを大切にしている一僧侶としての姿だ。

・仏教 X 医療から考える、終末期の心のケア

・家(イエ)ではなく、僧侶と個人といったパーソナルな心の導き

など、『お寺が社会的に求められていることは何だろうか?』と常に前向きに模索し続ける彼は、

「年齢を重ねると知らずのうちに壁を作ってしまうので、それをなくして社会に安心を与える僧侶になりたいですね。」

と、常に社会の一員として、お寺が社会にどのような関わりを持てるかを考えている。

世界各国で宗教の垣根を超えて活躍しながらも地域住民との関わりを大切にし、「社会に安心を与えたい」と語る松山大耕とは、一体どのような僧侶なのだろうか。

地域との結びつき、家族関係の希薄化から考える〜檀家制度『脱・依存』とは

「私は檀家制度(檀家)に対して寺院が『脱・依存』することが大切なのではないかと思っているんです。

寺院収入の内訳が100パーセント檀家に依存するのは不健全だと言えますよね。」

彼は寺院が檀家を大切にするのであれば、檀家に依存しないことが大切だと語る。

現代社会は高齢化にあり、80歳以上で死亡する割合は65パーセントにものぼる。

80歳以上といえば、仕事は引退しているし、友人関係は疎遠になっている人もいるだろう。

家族関係も現代は希薄化している。葬儀や法事は大切だが、大人数でする行事にはならない。

もちろん檀家は大切だが、檀家以外の人がお寺にどうやって来ていただくか、好きになってもらうかが大切だと語る松山に、地域との結びつきについて問い掛けてみた。

ー地域が昔と変わったところとは?ー

「地域との結びつきが弱くなっていると感じています。なんというか・・・京都なのに、京都っぽくしようとしている施設が目立つというか。

地域文化にはひとつずつ意味があるんです。

そして、そんな地域の風習や習慣は祖父母から本来学ぶものでした。親子ではコミュニケーションは取りにくいものなのですが、祖父母から聞いた文化や風習は浸透していきます。

京都は3代続いて京都人になるといいますからね。地域から出てしまうと、その文化が断絶されて浸透しなくなってしまうんです。」

例えば、松山は平林寺(埼玉)の修行道場での修行後、歩いて帰ったという。京都にたどり着いた時、打ち水を見て京都を感じたという。

それは、打ち水は軒先に点々と水を撒くことで「ようこそ、どうぞお入りください」と、無言で示すものだった。

今はホースでバシャっと散水するだけだ。それを祖母から聞いたのを思い出したという。

つまり今は、「京都だから打ち水をする」というような、表面しか真似ていない感じがするのだと、松山は語ってくれた。

文化が断絶され浸透しづらくなっている現代。地域との結びつきも弱くなっているが、妙心寺では地域の家族に向けてこんな取り組みをしている。

「10年ほど前から妙心寺では、灯篭の絵付けや一般の子供向けに2泊3日のお寺合宿を行っています。坐禅をして、本堂の雑巾がけをして、そうめんを振る舞うというものです。

他のお寺でも、例えば坐禅と食事会はどの地域でもできる取り組みですし、今では地域企業が寺院で企業研修することも増えていますね。」 

研修を受けた人は、「ご飯がこんなに美味しいとは気づかなかった」と口を揃えて言う。

それは普段から食事に集中せず食べているからなのだ。静かな場所で食事だけをする環境は、味噌の味わいやご飯の香りまでも味わえる。

現代ではそのような環境に身を置く時間が取れないので、研修は貴重な体験だ。

日本の規律を重視する文化とは

地域に対し、お寺ができる取り組みを積極的に行っている松山。続いて彼に、『日本人の規律を重視する文化』が根付いた理由について伺ってみた。

「日本には茶道や武士道など「道」がありますが、その影響ではないでしょうか。

「道」は明文化できない世界です。そういうものが文化として根付き、日本では規律を重視する文化が根付いたと考えられます。」

松山自身は、修行中の料理を通じて規律を特に学んだと振り返った。

「修行での料理は最も重要で、食べ物を粗末にしないことに気をつける。先輩僧侶から生ゴミをチェックされるほどだ。大根を切るのも端の方は切れなくなるので雑になるが、葉っぱを持てば最後まで綺麗に切れる。

修行では型(規範)が決まっているが、常に改善が求められる。それこそが規律だ。」

出光興産創業者の出光佐三の遺した言葉に「モラルと道徳は違う」というものがある。

「モラルは社会規範。道徳は徳から自発的に導かれるものです。

これもまさしく規律で、道徳に基づいて行動しなければいけないと言った出光は日本的な起業家ですね。」

生きているうちに関われる宗教『医療と仏教』

これから挑戦していきたいことはあるか?この問いに、松山は間髪入れずに答えた。

「医療です。これからは寺院名の冠がついた訪問医療介護ステーションの需要が増えると考えています。

終末期の過ごし方は、人生においてとても重要だと思っているんです。

野球の試合でも、最後に逆転されたら残念な気持ちになりますよね。人生も同じで、最期が残念だと寂しいじゃないですか。」

良い最期を迎えるため、お寺は何を提供できるのか?世の中に提案できないかを考えている松山は、これから挑戦していきたいことについて以下のように語ってくれた。

「病気は治すことが前提だが、限度があります。

今の終末期医療は、患者の気持ちより家族の安心を優先させた施設がほとんどだと感じています。過度な延命治療などにより、本人の意思ややりたいことは反映されていません。」

日本は文化的に「死とは何か」という命の定義を根付かせることが難しいし、あまりにもその関わりが無さすぎる。亡くなってからの定義づけではなく、生きているうちに関われるのが宗教だ。

例えば、ボキューズドール(フランス料理コンクールの最高峰)に2度代表となったメゾン・ド・タカ 芦屋のフレンチシェフは、ライフワークとして毎月老人ホームに出向き、スープを作っている。

お年寄りが喉を詰まらせないために入れる「とろみ剤」は味を劣化させるという理由から一切入れず、とろみ剤を一切使わない「幸せのスープ」を開発した。

その背景には「最期まで美味しいと言ってほしい」というシェフの願いが込められている。

認知症患者で反射的に食事を不味いと言って食べないケースも多いが、幸せのスープに至っては、「不味い」と言いながらも完食する。つまり、頭では拒否しながらも、体は受け入れているのだ。

社会に安心を与える僧侶は「何もしないで一緒にいる」ことを大切にしている

「年齢を重ねると知らずのうちに壁を作ってしまうので、それをなくしたいですね。社会に安心を与える僧侶になりたいです。」

そう語る彼は、悩みを持つ人には、そっと寄り添い「何もしない」「一緒にいること」を大切にしている。

心の悩みについても、本人のやる気があくまでも大事だと思っている。以前、高校3年生の学生が始業前にお寺へ通っていたことがあった。

ただ、一緒に掃除をし、一緒にお茶を飲むだけで何もしないのだという。

今の時代は「君は何がしたいんだ?」「どうありたいんだ?」と過度に干渉しすぎる、過干渉の時代だ。

お寺は「シェルター」を提供するだけで干渉はしない。やる気を出すのはあくまでも本人なのだ。

「毎年定例で、京都の学校で講義をしているのですが、授業後に2〜3人の生徒が出待ちをしていた時があるんです。

その子たちは親にも先生にも言えない悩みを抱えていて、話を聞くと、学校の勉強ではなく人間性などについての疑問を持っていました。

でも、そのような子達がお寺に自ら足を運んで、僧侶に声をかけるのは無理なんです。」

だからこそ松山は自らが出向き、自分のできる範囲で役に立てることを積極的に行っている。

特に地域(京都)での活動は優先的に行い、地域との関わり合いを増やすことを心がけているという。

真剣に仏様と向き合うということ〜これからのお寺が求められていること

妙心寺の開山堂で4年に一度、1ヶ月間僧侶ひとりで般若心経を唱えながら仏様を守る儀式がある。松山は「仏様と向き合う修行が一番怖い」と言う。

なぜ仏様に向き合う修行が一番怖いのだろうか?

「僧侶を何年やってても、怖いと思う気持ちがある方がまともです。

例えば子供は何か始めるときに、『恥ずかしい』『失敗したらどうしよう』と感じるものですが、何が恥ずかしいのかわかることが大切なんです。

つまり、向上心があるから恥ずかしいと感じる。怖いというのも適当にやっていたら怖いなんて感じないんです。怖いと感じるのは真剣に仏様と向き合っている証拠なんです。」

怖いと思う気持ちは大切にしたい感情。そう語る松山に、これからのお寺が、社会に求められているのは何だろうかと、質問を投げかけてみた。

「心の導きでしょうか。僧侶と個人とのパーソナルな導きが、これからお寺に求められるものとなるでしょうね。」

松山は今、ポスト宗教を検討しているという。

キッカケとして、家にいながらオンラインでエアロバイクを指導する、フィットネスメーカー(Peloton)の存在がある。オンライン指導(コーチング)の様子を見ていると、フィジカルなことに加え、パーソナルな指導もしているのだという。

音楽やコーチング、コミュニティーもあり、昔の教会が提供していたことの縮図のようなものが、そこにはある。

人は帰属したくないので宗教という組織を嫌う。寄付やお布施をしたくないとか、特定のものに属したくないと思う一方で、宗教行為自体は受け入れられている。その例としてスピリチュアルがある。

「皆さんが求めているのは、宗教、お寺という枠を飛び越えた中での、パーソナルなコーチング、心の導きだと感じています。そういうところにも私たちは学びを得ていかなければいけないですね。」

―インタビュアーの目線―

プロスポーツ選手や米国の教授など幅広い方々と交流がある松山さん。

なぜ僧侶の彼が、時代の先端をいく各界の著名人から求められているのでしょうか。

それは、古来から受け継がれてきたものには本質的な価値があり、松山さんはそれらの価値を理解し、丁寧に説明してくれる稀有な方だからでしょう。

2年半前、私は友人から紹介してもらい、松山さんに会いに行きました。

お寺の課題解決に取り組みたい施策を聞いてもらうためでしたが、松山さんから頂いたアドバイスは的確なものでした。

「念仏されてはどうでしょうか。

東日本大震災のとき、私も被災地に行きましたが、僧侶が念仏する声は被災者に求められていました。

あなたが浄土真宗の僧侶なら念仏することの価値を伝えることができます。」

当時、都内の寺院で役僧をしていた私は、それから築地本願寺で毎朝、晨朝勤行をお勤めし、自分が人のためにできることは何なのかを気付かせてもらいました。

これからの僧侶が求められるのは、個人に対してのパーソナルな導きとのこと。

そのため、これまでの多くの檀家を集めて法施するのではなく、市民ひとりに対して僧侶が提供できる本質的価値を伝えていく時代になるでしょう。

この記事が仏教の声を求める人への一助になればと願います

プロフィール

松山大耕(まつやま だいこう) 40才

京都府京都市/臨済宗妙心寺 退蔵院副住職

1978 年京都市生まれ

2003年東京大学大学院 農学生命科学研究科修了

埼玉県新座市・平林寺にて3年半の修行生活を送った後、2007年より退蔵院副住職。日本文化の発信・交流が高く評価され、2009年観光庁Visit Japan大使に任命される。また、2011年より京都市「京都観光おもてなし大使」、2016年『日経ビジネス』誌の「次代を創る100人」に選出され、同年より「日米リーダーシッププログラム」フェローに就任。2018年より米・スタンフォード大客員講師。2019年文化庁長官表彰(文化庁)、重光賞(ボストン日本協会)受賞。

2011年には、日本の禅宗を代表してヴァチカンで前ローマ教皇に謁見、2014年には日本の若手宗教家を代表してダライ・ラマ14世と会談し、世界のさまざまな宗教家・リーダーと交流。また、世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に出席するなど、世界各国で宗教の垣根を超えて活動中。

<著書>
『大事なことから忘れなさい~迷える心に効く三十の禅の教え~』(世界文化社、2014年)
『京都、禅の庭めぐり』(PHP、2016年)
『ビジネスZEN入門』(講談社新書、2016年)

退蔵院  http://www.taizoin.com/