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京都の亀岡市に建つ日蓮宗・法華寺(ほっけじ)は、亀山城下の寺院の中で、最も古い本堂を持つお寺である。その法華寺で1986年から住職を務めているのが、杉若恵亮(すぎわか えりょう)だ。

彼は住職としてだけでなく、「THE BONZEくらぶ」主宰、NPO法人「空援隊」理事、「国境なき僧侶団」共同代表と、数々の肩書きで活動を行なっており、メディアにも多数出演している。

なかでも「THE BONZEくらぶ~つきいちボンさんと語ろう会~」は、仏教僧が不特定多数の老若男女とお寺の外で語り合う場として、1988年2月に始まった活動。30年以上続いており、現在は東京や札幌など、全国各地で開催されている。

お寺の外での活動に力を入れ、ここまで大きな流れを作り出した彼は、一体どのような僧侶なのだろうか。

小学4年生で小僧の修行へ。「早熟型坊さん」は辻説法をしてクラスの人気者に

法華寺に生まれた杉若は、小学4年生で訳も分からず小僧の修行に入り、寺の手伝いをするようになった。僧侶を目指す沙弥(しゃみ。子供のこと)が、お寺に籠もって仏道の修行する「僧風林」では、仏教にまつわる伝記などを習い、お釈迦様と日蓮聖人がいかに凄いかを知ったという。「もっと仏教を学びたい」と思うようになった彼は、修行以外でも、日蓮聖人に関する話をなんでも読み漁った。

学校で「修行に行った」と話す子は他にいなかったため、杉若は小学生ながら「俺は他の子と違うんだ」と感じ始める。しかし、だからといって仲間外れにされたということはない。むしろクラスメイトは修行や小僧仕事の話を興味深く聞き、彼はクラスの人気者だった。

当然夏休みも修行があったので、みんなのように臨海学校に行ったことはない。それでも二学期が始まると、「りょうくんの話、聞きたい!聞きたい!」とクラスメイトが集まってくるのだ。

学校の廊下で日蓮聖人の真似をして、辻説法をしたこともある。当時を振り返り、彼は自身を「早熟型坊さん」と言う。

また、小学生だった当時、法衣を着て歩いていたら、通りすがりのおばあさんからお布施をもらったこともあった。

「あんたがお坊さんになる頃には私はもういない。いまのうちにお布施をしておく」そう言って渡された200円が、とても嬉しかったそう。子供心にも、それに応えたいと感じたのが、お坊さんを志すきっかけのひとつになった。 

待っているだけでは人が集まらない時代。デザインの専門学校でアプローチ方法を学ぶ

幼い頃から修行に励んだ結果「早熟型坊さん」となった杉若は、自分の世界が狭くなることを危惧して、高校・大学はあえて宗門校に進学しなかった。

厳しい父に就職を許してもらうことはできないだろうと考えていたため、大学卒業後は、せめて自分が好きな「絵」の分野で技術を身につけたいと、デザインの専門学校へ。

期待していたようなコンピューターグラフィックの勉強はできなかったが、「なぜこのポスターデザインによって商品が売れるのか」をプレゼンするために、綿密なリサーチが必要であることなど、商売っ気の薄いお坊さんの世界では学べなかった知見を得た。

こうした専門学校での経験もあり、杉若は「待っていても人は集まってくるだろう」という仏教組織の旧態依然としたやり方に、危機感を覚えたという。

僧侶の仕事は本来、お釈迦様の教えを伝道すること。寺はその伝道のための拠点であって、寺を守るのに忙しいからと布教活動を怠っては本末転倒だ。これからは、いかに人々にアプローチしていくかを考えなくてはいけないと思った。

歴史を振り返ってみれば、仏教はこれまで、時代に合わせた手法で伝道されてきた。今の人々に仏教を届けたいのであれば、最先端のツールを使う必要がある。

そう考えた杉若は、フリートークやライブコンサート、フリーマーケット、動画配信など、さまざまな手法を試してきたという。その中で、僧侶が不特定多数の老若男女とお寺の外で語り合う場、「THE BONZEくらぶ」も生まれた。

 挑戦する僧侶にとってのトランポリンに。僧侶も参加者も互いに成長していける場「THE BONZEくらぶ」

今まで「お寺は全ての人を受け入れるべき」としながらも、実際には「お寺に来ない人」を受け入れることができていなかった。

寺で人が来るのを待つのではなく、僧侶自身が外へ出よう、ということで「THE BONZEくらぶ」の活動が始まったという。

そんな「THE BONZEくらぶ」は、年齢、性別、職種、国境、宗教、宗派など一切の枠を越え、互いの考えを吸収し合う場として開かれている。宗派の壁に押し潰されそうな僧侶も、ここでなら肩肘を張らずに自分らしく活動できるのだ。

また、杉若は「THE BONZEくらぶ」を、挑戦する僧侶にとっての「トランポリン」だと語る。

日本全国に36万人いる僧侶は、みんな人の役に立ちたいと考えて僧侶になったはずだ。しかし、熱い思いを抱えて急に走り出したところで、目指すところまでたどり着くのは、なかなか難しいというのが現状。

「THE BONZEくらぶ」は、そういった僧侶が大きく飛び立つ力をつけるまで、自分の強みを見つけてスキルを養う場でもあるのだ。参加者に僧侶として何かを与えるだけでなく、参加者との対話によって僧侶自身も成長していく。相乗効果で世の中を綺麗にしていくことができるという。

杉若は、東京で「出張BONZEくらぶ」を実施した際、参加してくれた仲間の僧侶を「好きな形でいいので、東京でも続けてくれませんか?」と口説いた。

こうして平成28年、「東京BONZEくらぶ」が立ち上がると、今度はSNSでそれを知った各地の僧侶たちが「自分たちもやってみたい!」と反応。札幌、山口、大阪…と次々に立ち上がり、現在は全国10箇所で展開している。

「求められたところへ出向くのが、僧侶のあるべき姿」お寺に来るのが難しい人にも届けたい

杉若は、「寺で人が来るのを待つのではなく、求められたところへ出向くのが、これからの僧侶のあるべき姿だ」と考える。

住職はマンションの管理人のようにお寺の管理は担うけれど、常にお寺にいる必要はない。

お寺のことは檀家さんに当番制で見てもらい、各地を旅しながら困っている人の元を回るのが理想だという。もちろん、交通網や連絡手段の発達している現代は、檀家さんから必要とされたときに、すぐお寺へ戻ることも可能だ。

さらに、住職の留守中に檀家さんたちがお寺を利用してくれれば、「お寺はみんなのもの」という意識も強まるだろう。維持や修繕に必要な寄付金についての透明性も高まり、信頼関係も深まる。

杉若は、僧侶が外へ出ていくことで、お寺に来れる人、お寺に来るのが難しい人、両者にとって仏教がより身近になるのではないかと考えているのだ。

―インタビュアーの目線―

宗派を超えて多くの人を巻き込みながら、30年以上も「THE BONZEくらぶ」を続けている杉若住職。

テレビやラジオに出演し有名になってからは、「杉若さんに会いに来ました!」という人が訪れ、カリスマ的な存在として扱われたこともあるそうです。

しかし、杉若さん自身は、そのような待遇を望んでいないのだとか。「僕自身まだまだ成長途中なので、憧れても仕方ないですよ」と、謙虚であり続ける姿もまた、彼の魅力の一つだと感じました。

今後も多くの熱意ある僧侶や悩みを抱える人々のために、ますます輪を広げながら、ご活躍されていくことでしょう。

プロフィール

杉若 恵亮(すぎわか えりょう)59

京都府亀岡市/日蓮宗法華寺 住職

THE BONZEくらぶ 主宰

NPO法人「空援隊」 理事

国境なき僧侶団 共同代表

 

 1959年 亀岡市生まれ

京都外国語大学英米語学科卒業

1986年法華寺 住職に入山(就任)

僧侶が寺から飛び出し、不特定多数の老若男女と対話する活動「THE BONZEくらぶ」を主催する。1988年2月から京都で毎月開催した活動は「つきいちボンサンと語ろう会」として市民に親しまれる。また、この活動は僧侶の共感を呼び、いまでは東京や札幌など全国10ヶ所で毎月開催している。

THE BONZEくらぶ http://bonzeclub.net