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大分県にある「大法輪寺(だいほうりんじ)」は、現住職がゼロから立ち上げた無宗派の単立寺院。

檀家制度や護持会費なしで運営されており、葬儀の際のお布施の額も、本当の意味の「お気持ち」で納めることができるとあって、その存在は口コミで全国各地に広がっている。

そんな大法輪寺の住職が、田口学法(たぐち がくほう)だ。

田口は独立から20年足らずで大分県内に本院を含め3寺院を建立し、大法輪寺を年間250300件の葬儀依頼がくるまでに成長させた。彼は一体どのような僧侶なのだろうか。

47歳で実家のお寺から独立。無宗派の単立寺院を立ち上げる

1953年、実家である日蓮宗のお寺のお座敷で田口は生まれた。次男である田口は子供の頃から「早く本山に入りたい」と親に言っており、母は「変わった子だ」と言っていたという。

身延山高校では本山に住み込んで修行をし、すぐ隣にある校舎へ毎日通った。立正大学卒業後は1年間学費を貯めてから写真の専門学校へと進学したが、機材があまりにも高額だったためその道を諦め退学することに。ちょうど忙しくなっていた実家の寺に入寺し、父である住職の手伝いを始めた。

田口は月参りで檀家たちの意見に耳を傾けながら、寺と檀家とのパイプ役を努めようとしたが、思うようにはいかなかった。

結局、寺と檀家との温度差を感じた田口は、独立を考えるようになる。

40歳になってからは贅沢をしないよう生活を改め、47歳のとき、ついに20年以上勤めた実家の寺を出て、無宗派の単立寺院を立ち上げた。

5人の子供の学費など不安はあったが、自分の思う僧侶としてのあり方を実現するため、妻とも話し合って決めたことだった。

寺を立ち上げてからは、田口の考えに賛同し、応援して下さる方達からの依頼で葬儀をしたり、お墓がない方のご遺骨を預かるなどをしたが、まず宗教法人格を取得するのに苦労した。3年の活動実績が必要だったため、独立から4年で認定。その頃からブログの認知度も高まり、北海道や東京、大阪と、全国各地から葬儀の依頼がくるようになってきた。

お布施の額は「お気持ち」で。どんな条件でも分け隔てなく葬儀を行えるかどうか、常に神仏に試されている

大法輪寺では、強制的な寄付や護持会費がない上に、お布施の額も信者に「お気持ち」でお任せしている。

当然ながら、最初はお金がなくて苦しんだ。お金がないと、だんだん心の余裕もなくなってくる。豪華な葬儀とは対照的なお布施の額に、「これが自分の評価なのかもしれない」とショックを受けたこともあったという。

もちろん、お布施の額を指定せずに葬儀を受けるというのは、自分たちの生活や寺の運営がある以上、それなりのリスクを伴う。

しかし不思議なことに、家計が本当に苦しいときには、毎回葬儀や納骨の依頼が入り助けられてきた。喪家から頂くお布施より自費の交通費の方が高くなってしまうような遠方の葬儀を引き受けたあとに、大規模な葬儀の依頼が入ったこともあったという。

「どんな条件でも分け隔てなく心のこもった葬儀を行えるかどうか、神仏に試されているのでしょうね。常に『シャカリキ(釈迦力)』に頑張っていれば、最後は神仏が守ってくださるのだと実感できました。」

大法輪寺に葬儀を依頼する人の中には、平均的なお布施の金額を知っている人も当然いるだろう。それでも「どのくらいお布施をすればいいですか?」と尋ねられれば、一貫して「お気持ちでいいですよ」と答え、金額は絶対に口にしないようにしている。誰にでも平等にお経を上げている寺なのだと示し、安心してもらうためだ。

「僧侶がお布施の中身を気にしたら、仏の教えにも矛盾してしまうと考えています。お布施の金額に関わらず、

『前世で大変お世話になった人かもしれない。お経を上げて恩返しをしよう』

と思えばいいんです。各宗祖たちは、道端で亡くなった人にも無条件でお経を上げていたんですから。」

また、大法輪寺は無宗派のため、さまざまな宗派の人から葬儀の依頼がある。田口は依頼のニーズに合わせた葬儀を行うという。

たとえば、生前に田口を慕ってくれていたカトリックの女性が亡くなった際は、遺族と話し合った上でお経をあげ、最後に故人が大好きだった賛美歌を参列者みんなで歌った。

きっと葬儀社には「変わった坊主だ」と思われたかもしれないが、こうして宗派や宗教の壁を取り払って原点に戻ることこそ、田口が独立してまで実現したかった形である。

さらに大法輪寺は、葬儀だけでなく納骨堂のあり方も特殊だ。管理費なしで永代無料、必要なのは「法事・仏事の依頼」と、なるべく後継者に負担をかけないようなシステムになっている。

「遠方に住む家族は、年に12回、納骨堂やお墓参りに来るときには温泉旅行も楽しめる。今を生きている人のためにやっているのに、負担になってしまっては意味ないですからね。」

大法輪寺を支えるファンを作ったのは、新しいお葬式のあり方と、19年間休まず続けているブログ

現在の大法輪寺は、立ち上げから20年足らずで年間250300件もの葬儀依頼がくるまでに成長した。NHKの密着取材を受けて、テレビで特集されたこともある。

やはり、他の寺が引き受けないような、お布施にお金をかけられない人々に対しても葬儀をしてきたことが、結果的に寺の成長を支えているのだろう。

皆に分け隔てなくお経をあげ、戒名をつける。こうした大法輪寺のあり方が口コミで全国各地に広がっていき、多くのファンを作ったのだ。

また、田口が19年間毎日欠かさず発信を続けているブログも、大法輪寺を応援してくれるファンを作ってきた。遠方へ出かけたときも、パソコンが壊れたときも、体調を崩して入院したときも、絶対に休まずブログを書き続けてきたという。

大法輪寺がこれまでに法事や仏事で関わった家の数は、ゆうに5,000戸を超える。ご縁は全国各地に広がっているため、これからもブログなどでお寺の情報発信を続けていくつもりだ。

大法輪寺で法事や仏事を行う信者たちも、この寺のあり方を理解し、応援してくれているファンのような存在である。

たとえば信者には予め、納骨堂のお供え物はお茶菓子にしたり、縁のある児童福祉施設に届けると説明し、子供の好みそうなお菓子もお供えしてもらっている。

「今を生きている人のために」という田口の考え方を理解してくれているからこそ、こうしたお願いも受け入れられているのだろう。

お経や法話は「これからどう生きたらいいのか」を説いたもの。今を生きている人たちのためにできることをしたい

大法輪寺を「応援したいと思ってもらえる寺」にしたいと考えている田口は、今を生きる人のための僧侶として、いただいたお布施や寄付で、自分が贅沢をすることのないよう心がけている。大切なお金をもらっておいて遊び歩いている僧侶の姿など、信者は見たくないだろう。

「まずはブログを読んで、私がどんな僧侶なのか、大法輪寺がどんな寺なのかを知ってもらえればと思います。興味を持っていただけたら、ぜひ一緒にお話しましょう。」

「何かあったら大法輪寺に頼みたい」と、ブログの読者から連絡があることも珍しくない。大法輪寺は、経済的な事情などから他の寺には頼めないという人々の「駆け込み寺」だ。

さらに、葬儀でご縁のあった人たちとも、寺で話をする関係を築いていきたいという。実際に「私たちはもう家族だから、困った事があったら来てくださいね」と葬儀後に声をかけた若者から、就職や学校生活に関する悩みの相談を受けることもある。

また、田口は、通夜や葬儀の際に「5分間の法話」をすることも大事にしている。

人々が僧侶の話に耳を傾けてくれているせっかくの機会なので、故人の話をするのではなく、「これからどう生きたらいいのか」を子どもにも理解できる易しい言葉で今を生きている人々に向けて説くのだ。

お経や説法は、本来生きている人たちのためにあるもの。それをわかりやすく伝えるのが、僧侶の役目ではないだろうか。

―インタビュアーの目線―

人から信頼されることを大切にする田口さん。

それはお寺の子として生まれ、仏教に真摯に向き合ってきたからこそ、目の前にいる困った人をなんとかしたいという思いがあるからではないでしょうか。

常に発信できるのは、常に人の声を聞いているから。多くの人の声を拾い、その人のために何ができるかを考える姿勢に僧侶としてのプロフェッショナルさを感じました。

これからも多くの人との出会いをブログで書き綴られることでしょう。

プロフィール

田口学法 (たぐち がくほう) 65

大分県日出町/霊鷲山大法輪寺  住職

1953年、大分県別府市の寺で生まれる。

仏教の学校を卒業後、僧侶としてのライセンスを取得。実家の寺を手伝い始めるが、ビジネス化された葬式仏教に愕然。2000年に実家の寺を出て、仏教の原点に戻るべく活動を全国で展開し始める。同時期に始めた毎日更新ブログ「がくほう独り言」(アメブロ・Facebook)も一日も休まず継続中であり、多忙な住職と全国の皆様とをつないでいる。奉仕の葬儀を多数こなす毎日の中、筆を使用しないで、直接手で描く書道展を東京・大阪・福岡で開催。

2001年に無宗派の単立寺院大法輪寺を開山。現在、日出本院の他に、別府別院、大分別院を運営。

大法輪寺 daihourin.com/