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「大学時代には臨床心理士を目指していました」と柔和な表情で話してくれたのは、東光院(通称“萩の寺” )の副住職・村山博雅(むらやま はくが)だ。

臨床心理士は、人と向き合い、“こころ”の問題にアプローチする職業だ。

ある出来事で臨床心理士ではなく僧侶の道を歩む決心をした彼は、立場は異なれど、人と同じ目線で寄り添うことを信条としている。

これまでの活動を通じて辿り着いた「仏教の最先端は日本にある」という考えについて尋ねた。

臨床心理士を目指していた大学時代

村山が副住職を務める東光院は、735年に行基によって開創された古刹で、曹洞宗の中でも格式の高い寺院だ。

1914年に阪急電車を敷設するため、大阪市から現在の豊中市に移転。太平洋戦争時に豊中を幾度も襲った空襲に耐え抜いた。

東光院は、彼の家系が代々住職を務めていたわけではない。彼の父で、現住職である村山廣甫(むらやま こうほ)が、雨漏りや腐った畳など、あちらこちら劣化していた東光院の復興の命を受け、天王寺から東光院に入った。

幼少期の村山も、もちろん寺の手伝いをした。雨漏りしている箇所を見つけ、洗面器で雨粒を受け止めるたびに、親から褒められていた記憶があるという。

また、東光院が、父や地域の関係者らの奮闘によって、次第に美しい佇まいを取り戻していく過程は、いまでも鮮明に覚えているそうだ。

寺院の長男として生まれたものの、住職である父は「後を継げ」と一度も言わなかった。寧ろ、「いつでも寺を出て行っていい。やりたいことをやれ」と言われていた。

しかし、村山には、「心から僧侶になりたいと思った者が継ぐべきだ」という父の声が聞こえたそうだ。

寺の立て直しや運営の大変さを目の当たりにしていた村山は、一度寺を出ることを決意する。

親元を離れ、鹿児島県の名門校であるラ・サール学園中学・高校に進学。理系科目の楽しさに目覚めた彼は、慶應義塾大学環境情報学部へ進み、勉学に励んだ。

「当時は寺を継ごうと思っていませんでした。大学で出会った職業“臨床心理士”に就き、こころの病に苦しむ人々に向かい合いたいと考えていました。」

天災をきっかけに、自らの意志で僧侶の道へ

明確になりつつあった将来像を揺らがせたのは、1995年1月17日の早朝に兵庫県南部を中心に襲った阪神・淡路大震災だ。

現代都市の直下で発生した未曽有の天災は、大きな被害を及ぼした。彼が育ち、家族や地域の人たちで復興させた東光院も例外ではなく、建物は全壊してしまった。

彼の友人の中には、家族を亡くした人もいた。

何にすがればよいかわからず戸惑う友人たちから、「僧侶の息子だろ。なんでもいいから、何か言ってくれよ」と悲痛な表情で乞われた。

しかし、当時の彼はそれに応えられる言葉を持ち合わせていなかった。

「何を言ってあげればよいのか、全くわかりませんでした。あの時の経験がなければ、自分自身と向き合うことはなかったかもしれません。」

自問自答した彼は、「自分のやるべきことを自らの意志で自由に選択することこそ、人が幸せになる近道である」と考えた。

そして、誰かに強制されるわけでもなく、「僧侶になる」という答えを彼自身で導き出した。

震災ふたたび ~あのとき、自分にできなかったことを~

僧侶となった村山は、師匠である父の「僧侶であるならば、社会貢献活動をするべきだ」という考えに共鳴し、様々な仏教会の活動に積極的に参加した。

2011年3月11日、全国曹洞宗青年会の会合に出席するため、大阪から東京に向かう最中に東日本大震災が発生した。

その瞬間、彼は阪神・淡路大震災を思い出したという。

「当時、自分は何もできなかった。今回は何かをしなければならない。」

そう強く決意した彼は、参加している仏教会でどのような支援活動ができるかを模索した。

最初の1か月間は、支援物資を集めて送る後方支援に専念。仲間と共に被災地に入ったのは、発生から1か月後だった。

現地では、ひたすら被災者のはなしを聞いた。

これは、阪神・淡路大震災の時、東光院のあった豊中市も大きな被害が出ていたものの、神戸の被害の方が凄まじかったため、「わたしたちも助けてほしい」という声を挙げづらかったという実体験に基づいている。

「“大丈夫でしたか?”と声をかけてもらったり、ただ話を聞いてもらったりするだけでも気持ちがだいぶ和らぐことは、阪神・淡路大震災の被災者経験の実感としてありました。今回は、皆さんと一緒の時間を過ごすことに専念しました。」

震災による日本への風評被害に立ち向かう

東日本大震災後、村山は、それまで固辞してきた世界仏教徒青年連盟の理事の任を受けることにした。

決断の大きな理由は、東日本大震災による風評被害が徐々に拡大していたからだ。

海外の友人・知人らから、「はやく日本を脱出しなよ」と勧められることもたびたびあり、なんとかしなければと思ったそうだ。

原子力発電所の事故による放射能や被爆などについての文献を調べ上げ、風評は過剰であることをデータや数値で示した資料を作成し、説明する機会を設けた。

また、日本の僧侶が今回の大震災に対し、どのような支援をしているかなどについても触れ、風評の払拭と日本仏教の取り組みの認知拡大に励んだ。

その集大成が、2013年に開催された『International Buddhist Youth Exchange』だ。

これは、世界仏教徒青年連盟に所属する団体や日本国内の一般大学生など、18歳から25歳の青年を福島県いわき市に招待し、現地の人々と交流するイベントだ。

震災・原発事故発生後の実情や学術的な講義、被災者との交流を通じて復興している様子を体感してもらうなど、5日間の充実したプログラムを用意した。

もちろん、伝えた情報はよい内容ばかりではない。放射線量を測定するガイガーカウンターが示す数字によっては、まだ中に入れない地域があることも伝えた。

「被災地の現状を正しく知ってもらった上で、参加者にはそれぞれの国や地域で発信してもらいたい」という真摯な思いは、各国の参加者に伝わったという。

これらの活動により、日本仏教と村山は、連盟から大きな信頼を獲得した。その結果、村山は連盟内での役職が上がり続け、現在では会長を務めるまでに至った。

本来、世界仏教徒青年連盟の会長は同連盟の本部があるタイからの選出が慣例だったことを考えると、彼への信頼度の高さがうかがえる。

日本仏教の最大の魅力は「一般社会との近さ」

世界の僧侶と関わり合いをもつ村山によると、世界と比較した日本仏教の違いは、「社会との距離感」だという。

本来、仏教には厳しい戒律がある。結婚したり、肉を食べたり、飲酒したりすることは禁止されている。

それが世界の仏教界のスタンダードだが、日本の僧侶が実践しているかというと、ほとんど為されていない。生活環境は一般市民とほぼ同じだ。

だからこそ、僧侶と市民の距離感はさほど離れてはいない。

彼は、一般社会との近さにおいて、仏教の最先端に位置するのが日本仏教ではないかと考えている。

「日本仏教は、一般社会と近い。僧侶が被災地に赴き、市民と一緒になってがれきの除去を手伝うなどの活動は、海外の仏教ではありえません。

一般市民に対する貢献は、日本の仏教者の最大の魅力だと思います。この姿勢を突き詰めていくことは、きわめて重要だと思います。」

村山によると、仏教は絶対的な存在としての神をつくる宗教ではなく、お釈迦様と同じように一般社会に生きる人々とともに歩む宗教だという。

つまり、日本仏教は、人々と同じ階層に立ち、同じ目線で共に生きる、「“一般社会と近い仏教”の最先端」と考えているそうだ。

将来、実現させたいこと

村山に、現在所属している様々な仏教会や仏教団体の未来について尋ねてみた。

すると、「仏教会や団体の存在が戦争を止めたり、飢餓問題を解決する時代が到来するかもしれない」という壮大な回答が返ってきた。

実現するためのキーワードは、「思いやり」と「ネットワーク」だ。

仏教で重要なのは、「隣にいるものへの思いやり」だという。隣と言っても、左右だけでなく、前後もある。

また、自分の隣の人には、また自分以外の隣の人がいることを踏まえると、思いやりのつながりはどこまでもつながっていく。

また、それは必ずしも人だけに限らない。このようにして世界が成り立っていることを知ってもらうために、仏教会や仏教団体のネットワークが必要になる。この情報網が盤石になれば、より広い世界の人たちに仏教の素晴らしさが伝わるだろう。

「戦争の抑止や飢餓問題の解決など、大きなきっかけをつくるために活動しているという思いを自分の中に持ちながら、日々活動していきます。」

日本仏教に関しては、もうひとつ実現したいことがあるという。

「こどもたちが胸を張って“お坊さんになりたい!”と言える世界を目指したいのです。

そのためには“社会に僧侶がいてよかった”と思ってもらわなければなりません。

僧侶と接点のできた人々が前進できるような手伝いを積み重ね、僧侶の価値を向上させ続けたいです。」

数々の社会貢献活動に携わり、社会からも仏教界からも信頼されてきた村山ならば、そのような未来を実現できるのではないかと思わずにはいられない。

―インタビュアーの目線―

村山さんのお寺は市民から「萩の寺」で親しまれる名刹です。

豊中の一等地にあるお寺ですが、いまの住職は村山さんをお坊っちゃんにさせない様、僧侶としてのあるべき姿を自分で考えさせる教育をしてこられました。

村山さんは、市民と向き合い社会課題を一緒に解決するため、ほとんど寺の外に出て活動しています。

村山さんは論理的思考で行動している人でした。

戦争抑止や飢餓問題など世界的課題を解決したいというのは、僧侶だから解決できる論拠があるからでしょう。

市民や全国、世界の宗教者から親しまれている村山さん。

僧侶ができることは寺の中だけではないことを体現していますが、これからの社会にこのような僧侶が増えていくことを願います。

プロフィール

村山博雅(むらやま はくが)  48

大阪府豊中市/曹洞宗仏日山東光院副住職・幽谷山洞雲寺住職

 

慶應義塾大学環境情報学部環境情報学科卒

愛知学院大学大学院文学研究科宗教学仏教学博士課程前期修了

曹洞宗大本山永平寺僧堂本科修了

世界仏教徒青年連盟(the World Fellowship of Buddhist Youth : WFBY)会長

世界仏教徒連盟(the World Fellowship of Buddhists : WFB)執行役員

全日本仏教青年会(All Japan Young Buddhist Association : JYBA)顧問

全国曹洞宗青年会顧問

 

<曹洞宗>

国際布教審議会委員

近畿管区教化センター布教師

<公益財団法人全日本仏教会(Japan Buddhist Federation : JBF)>

財団創立60周年記念事業実行委員会/世界大会部会副部会長

国際交流審議会委員

世界仏教徒連盟(WFB)日本センター運営委員

<仏教青年会役職経歴>

平成21(2009)年 大阪府仏教青年会会長

平成22(2010)年 大阪曹洞宗青年会会長

平成23(2011)年 全国曹洞宗青年会全日仏青執行特別委員長

平成23(2011)年 全日本仏教青年会理事長

平成24(2012)年 世界仏教青年連盟(WFBY)副会長

平成25(2013)年 全国曹洞宗青年会顧問

平成25(2013)年 全日本仏教青年会直前理事長兼国際委員長

平成26(2014)年 世界仏教徒青年連盟(WFBY)副会長再任

平成27(2015)年 全国曹洞宗青年会顧問再任

平成27(2015)年 全日本仏教青年会顧問

平成28(2016)年 世界仏教徒青年連盟(WFBY)会長代行

平成29(2017)年 全国曹洞宗青年会顧問再任

平成29(2017)年 全日本仏教青年会顧問再任

平成30(2018)年 世界仏教徒青年連盟(WFBY)会長

令和元(2019)年  全国曹洞宗青年会顧問再任

令和元(2019)年  全日本仏教青年会顧問再任

東光院 https://www.haginotera.or.jp