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新潟県新潟市南区根岸の地に真宗大谷派林正寺はある。モットーは「社会貢献のお寺」だというこのお寺の住職が今回紹介する橘勇人(たちばな はやと)である。

新潟市の職員として現在も含め20年以上勤務している橘は、「幼少期はお坊さんになるなんて全く考えていなかった」という。

しかし、今では「社会貢献のお寺」を実現するべく、「地域の人のために何ができるかが大切なんです」と柔軟な考え方でさまざまなイベントを開催している。

彼はいったいどのような僧侶なのか。

公務員から、ご縁に導かれ仏道へ

橘の祖父は僧侶だったが、父は次男であり、お盆やお正月の時節に合わせてお参りをする程度で、ごく一般的な家庭で育ったという。

東京の大学を卒業後、地元の市役所で公務員として勤めることとなった橘が仏道に初めて関わったのは、社会人になって3年目のことだ。

「祖父の妹が嫁いだお寺から、『人手が足りない時など手伝ってくれないか』と」

そのお寺では檀家の数が増え、お盆やお通夜の際に人が足りていなかったのだという。役所を辞めるのではなく年に2、3回忙しい時のサポートをお願いされた。

「私の祖父も学校の先生として勤める兼業住職だったので、自分にもできるのかなと思いました」

関わりは少なかったとはいえ、祖父のお寺のこともあり、仏教やお寺に興味はあったという橘。浄土真宗の経典である「正信偈(しょうしんげ)」も子供の頃に祖父から教わり半分くらいは読めていたという。

修行を積み、役僧としてお手伝いを始めてから10年ほど経過した時、2度目の転機が訪れる。林正寺で勤めていた叔父である住職が、急遽辞めることとなり住職を務めてほしいと頼まれたのだった。

「お寺のお手伝いをするだけのつもりが、いきなり住職…とは思ったのですが、これもご縁だろうな」と37歳で林正寺住職を継承した。

「何をやってもいい」ゼロからのスタート

「前住職はあまり熱心に活動されている方ではなかったので…檀家さんも少なく、本当にゼロからのスタートでした。でもだからこそ自由にできたのかもしれません」

橘が初めてお寺でイベントを開催したのがお釈迦様の誕生日を祝う「花祭り」である。本来お釈迦様の誕生日は4月8日だが、「暖かい時期の方がみなさんも来やすいだろう」と毎年5月第3日曜日に開催している。

「家族や友人に声をかけてもらい初回でも100人ほど集まっていただき、今でも毎年80人以上の方に来ていただいていますね」

花祭りの内容は仏教に関わるものだけではなく、落語や手品、野菜の直売など幅広く行われている。

「難しいものだけではなく、親しみやすいものから興味を持ってもらい、仏教のことを知ってもらえればと思ったんです」

さらに次の段階を模索していた橘は、他の寺院を参考にお寺カフェをスタートさせる。毎月第3日曜日に開催し、地元の檀家さんやご友人など毎回15人ほどが来てくれるようになった。

毎回集まってくれた人で簡単にお寺を掃除し、お経を拝読した後、5分ほど法話を行い、豆にこだわったコーヒーを皆さんと飲みながら楽しく談笑する。

こうした取り組みには当然「社会貢献のお寺」というモットーとともに、「お寺を開かれた場所に、親しんでもらえる場所にしたい」という橘の思いがある。

コーヒーに誘われるお寺があってもいい

近隣のお寺同士のつながりや、宗派にまつわる仏教の教えに縛られすぎずに、自由な発想でさまざまな取り組みができたのは、長く仏門とは遠い場所で生活していた橘だからこそかもしれない。

「檀家さんや近隣の方にとって、宗派なんて本当はどうでもいいことなんです。お寺が『私』にとってどんな存在なのか。地域の人たちのために何ができるかが一番大事だと考えています。」

そうした橘の思いは、物理的にお寺は近くにあったが、心の距離があった人たちに確かに届いている。

林正寺には住職継承の際に建て替えた梵鐘がある。

「お寺で行事をする時には、梵鐘を鳴らすようにしていたんです。そうすると近隣の方々がお寺で何か始まるな、と気にかけてくれるようになりました」

梵鐘をつけば毎月来てくれる方も増え始めた。そして、月参りの際などには日常的にはお寺には来ない檀家の後継者の方々にも、「うちの親がお世話になってますねぇ。」と声をかけてもらえるようになったという。

お寺カフェの日に限らず、法事や原爆投下の日、終戦記念日など時節に合わせて梵鐘をついている。すると誰かが来てくれる。

「皆さんがお寺に来てくれることは本当にありがたいと思ったと同時に、自分が取り組んできたことは間違っていなかったと感じました」

橘はヨガやフラダンスの教室、音楽フェスなど今でも積極的にお寺でイベントを開催している。現在建設中の庫裏にはサロンスペースを設ける予定だ。寺カフェのコーヒーも生豆から焙煎し、提供することも考えている。

「もっと明るく、親しみのあるお寺を目指さなければと考えています。線香ではなくコーヒーの香りに包まれたお寺があっても良いじゃないですか」

世間の人に仏教をわかりやすく伝えること。そのための手段や選択肢は自由であると橘は身をもって体現している。

もっと自由に仏教を広げたい

橘の根底には「一般市民の目線からは仏教の教義はわかりにくい」という思いがある。

だからこそ、寺の敷居を低くして親しみやすいお寺を目指しているのだが、それに加え仏教の声を求めている人たちに対して自らが赴くことの必要性も感じていた。

そこで、臨床宗教師となり、病院などの施設で傾聴する活動を始めた。

臨床宗教師は病により終末期にある人や災害などで心に傷を負った人の悲しみや苦しみに寄り添いケアをする宗教者である。

「宗派によって、一般の人には理解できないことが正しいと言われる教えもありますが、それでは人に寄り添うことはできないだろうと。本当に困っている人には私の方から会いにいかなきゃと思ったんです」

震災から避難されて故郷とは離れた場所で生活する方、病院などで病を抱える方を中心に出会う機会があればどこへでも赴き、その声に耳を傾ける。

さらに、この傾聴活動の経験を活かし、エンディングノートを制作し、福祉施設などで無償配布を予定している。

「僧侶や臨床宗教師としての経験は終活として語ることができます。根本の問題を解決することはできませんが、人の声を聞き、語らうことはできますから」

また、近く永代供養墓を作り「墓友」を作ることを推進している。

「おばあちゃんたちが事あるごとに『なんまんだぶ』と手を合わせ祈ることで心を落ち着かせる姿を見て、この人たち同士でつながる必要性も感じたんです」

まだ43歳の橘は、これからも自由な発想で仏教の声を積極的に届けていくだろう。

―インタビュアーの目線―

「もっと仏教をわかりやすくしたい」

橘さんが語る言葉からお寺をなんとかしたい思いが伝わってきました。一般家庭で育ったからこそ、寺院における現状について素直に向き合えたのでしょう。

役所に勤めながら、休日に住職業をこなす橘さんは「地域のためにお坊さんができること」を真剣に考え実行する力を持つ、地域にとって必要な人だと感じました。

インタビュー は都内で開催された仏教フェス後の取材でしたが、常に「わかりやすい仏教を追求する」橘さん。これからも地域のためにアップデートされたお寺の在り方を伝えてくれることでしょう。

プロフィール

橘 勇人(たちばな はやと) 43

新潟県新潟市/真宗大谷派橘山林正寺 住職兼公務員

1975年新潟市生まれ。桜美林大学卒業。

大学卒業後、新潟市に入所する。親戚のご縁があり、26歳で新潟市・行念寺の役僧を務める。37歳で林正寺住職に晋山。未来の住職塾や向源などこれからの寺院経営に必要な経験を積極的に行っている。

林正寺  http://www.niigata-reienn.com