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将来は住職の父を継ぐ嶋田、インドに渡り改めて宗教の必要性を感じた彼が目指すものはこうだ。

『あえて何も目指さず、寺に来る人それぞれが楽しめる寺』

仏教系大学卒業後、インドで今までの自分の概念が変わるほどの新しい仏教感を見つけて帰国した。幼い頃から人と違うことがしたい性格だったこともあり、現状を俯瞰(ふかん)し、新しい日本の仏教づくりに携っている。

枠を超えた仏教祭典「向源(こうげん)」の東京代表や、お坊さんが答える悩み相談サイト『hasunoha』での活動も始めた嶋田は、一体どんな人なのだろう。彼を支えるストーリーとは?

「人と同じことはイヤ」だからお坊さんになる

ひとり遊びが好きで、17歳くらいまで門限があったが、特に反抗期もなかったそうだ。従順な一面とはうらはらに、人と同じことをするのを嫌う男3人兄弟のユニークな長男坊でもある。

高校のサッカー部時代は人と同じシューズを履くのがいやで、海外からオリジナルブランドを取り寄せていた。商品が届かず試合に間に合わないこともあった。

住職の父そして母は放任主義。寺は無理に継がなくてもいい、寺に迷惑をかけさえしなければ一般社会に出てもかまわないと。

僧侶をあえて強要しなかった子育ても彼の自発性やリーダーシップを育てたのだろう。

獨協大学の経済学部へ入学し20歳を過ぎた頃、仏教系の立正大学へ編入する。しかし、親から言われて僧侶になる同級生が多いことに驚く。

大学での学び

仏教はインドから中国経由で日本に伝わった宗教だが、インドと日本の仏教が違うことを大学で知った嶋田は、こう語った。

「憧れのアイドルに会ってみたら、期待外れだったことってありますよね。理想のインドの大菩提寺と、現実の溝の口にあるうちの寺との違いや、期待と違う現実に対する諦めを立正大学で丁寧に教わることができました。」

インドでの新発見「日本の仏教は日本人のためにある」

インドと日本では儀式や信仰スタイルが違う、仏陀が生まれてから2500年もの間すたれていかなかったことについて、仏教には抗体があると嶋田は語る。インドと日本、どちらの仏教がいいのかと単純に疑問視する人も多い。

しかし今年、仏教発祥の地インドに行った嶋田は、インドから日本の仏教を俯瞰(ふかん)視することで新しい発見をする。

「大学では仏教に範囲があった。しかし、インドに行ったことで、仏教には枠はないことを学んだ」

「向源」で伝えたい「宗派を超えた仏教の魅力」

「向源(こうげん)」は宗派、宗教を超えた宗教や日本の伝統文化を誰でも体験できる寺社フェスだ。今年は9年目を迎える向源は、ニコニコ超会議2019でリズミカルなテクノ法要とコラボする。

向源に参加して3年目になる嶋田は、向源の東京代表として「東京向源」を盛り上げる。

フェス内の声明公演では、天台宗、日蓮宗、真言宗の楽器がコラボする中、各宗派の僧侶たちがお経をダイナミックに読み上げ、まさに仏教音楽のいいとこ取りイベントだ。

私は何者でもないし、何者かを目指さなくてもいい

「東京向源2019」のサブタイトルは「I am  Nobody」、直訳すると「私は何者でもない」だ。英語でsomethingは、一角の人物といい意味のニュアンスである一方、nothingやnobodyは大した人間ではないとなる。

日本でも一般的に、「何者でもない」といわれるとネガティブな気分になるだろう。しかし、嶋田は向源サイトのスタッフ紹介ページで、サブタイトルについてこう語っている。

「何者でもないから何もできない」はネガティブすぎるし、「何者でもないから何にでも成れる」というのもポジティブすぎる、だから「何者でもない、どこにでも在る私は何者かを目指さなくても良い」と。今ここにある自分を大切にする言葉だ。

修行時代よりも今が楽しいという嶋田は僧侶として自身の変化をこう語る。

「これからの時代は、向源のように仏教の良さを市民に伝えられる時代になる。

修行時代は日蓮宗内の自分の在り方を意識するだけだった。

向源ではどの僧侶も宗派の枠を取っ払って参加している。

私は日蓮宗の僧侶だが日蓮宗を超えて向源に参加することで、いち僧侶としての『何者でもない在り方』」というスタンスを手に入れることができた。」

インドでの体験は向源にも活かされているようだ。

 

お坊さん版知恵袋「hasunoha」~電話相談を選ばなかった理由は?

お悩みサイト「hasunoha(ハスノハ)」は、ネット上の掲示板で完結するいわば、Yahoo知恵袋のお坊さん版だ。

hasunohaを知りつつも、嶋田は登録するまでに半年間すえ置いた。質問も1カ月ほど考えてから答える慎重派だ。「hasunoha」で嶋田がアクトする理由はこうだ。

「文章を書くのは得意。お悩みホットラインのような電話相談や面談ではなく、文字で返答した方が相手にも伝わりやすいと思っている」

何を伝えたかよりも、相手に何が伝わったかの方が重要視される時代、文字で会話するのに何の抵抗もないSNS時代だからこそ、文字でのやりとりの方がお互いに素直な気持ちを語り合えるのかもしれない。

「葬儀で僧侶は泣かないの?」というhasunoha内での質問に、嶋田はこう答える。

「私個人は一般、親族にかかわらず法人・通夜・葬儀の場で涙を流した事はありません。悲しみを乗り越える、ということはしていません。うまく言えませんが「どうしようもなさ」を知ることです」(一部編集)

僧侶にならなければ、自分も同じような質問をしていただろうと語る。

もし僧侶になっていなかったなら、葬儀での僧侶イメージは、袈裟を着た舞台俳優が読経し、鉄のように冷たくパッと帰るイメージを持っていたそうだ。

「自分が抱いた悩みなんてちっぽけなもの。自身も仏教に救われたと思ったことはないが諦め方を仏教で身につけられてよかった。」

hasunohaでも相談者に言葉でよりそう嶋田の人の良さがにじみでており、優しさあふれる文章は好評のようだ。

今大切にしていること「ひとりの人間としての自分」

嶋田は猫を飼っていて、猫雑誌も月一で購読するほどの猫好きだ。

「人の猫や雑誌の猫が可愛いと思いつつも、やっぱり自分の猫が一番可愛いと思う。なぜ人はテレビの芸能人やスポーツ選手ではない自分をナルシスト的でなく、1番可愛いといえないのか」

ひと言ずつかみしめながらさやわかに語り、全人類に愛情を注ぐという仏教的な教えとは逆だが、人間的な一面ものぞかせる。

当たり前のようで難しい「自分を大切にすること」を意識していくことから相手への思いやりや好奇心が生まれるのかも知れない。

後継者としての決意「弟と力を合わせて」

兄弟で宗隆寺の将来について話し合ったのは僧侶になってから。きっかけは弟からの相談だった。

「(宗隆寺のある)溝の口はこれから住民も増えるだろう。お寺が持つ幼稚園もあるし、お寺にはお祭りなどたくさん行事もあるから、住職ひとりで経営するのは無理がある。そこで兄貴が住職になり、自分は副住職としてふたりでお寺をやっていかないか」

弟がものすごく真面目にお寺のことを考えていたことに嶋田は焦った。しかし、15年後、父は75歳で引退時期だし、その頃自分は44歳で弟も41歳だ。弟とともにダブル住職も考えているようだ。

今後の目標は「来た人が自分をみつけられる寺」

今後の目標について、胸に秘める思いを嶋田が謙虚に語った。

「宗隆寺にきた人は、仏教も超えて自分を大切にする人になってほしい。例えば、寺ではスマホを1日持たないとか。」

今後は、日蓮宗や立正大学、インドで学んだことを活かしながら、自らによる宗隆寺の規範作りも兄弟で取り組んでいくようだ。

「本堂やお寺を人それぞれの考えで使ってもらえる場にしたい、いろんな思いを持つ人が自分の良さに気付いてもらうために宗隆寺へ来て欲しい」

―インタビュアーの目線―

「何者でもない、何者かを目指さなくても良い」

この言葉は、嶋田さんが大切にされている「自分を大切にする」という言葉につながっているのではないかと思うのです。

宗派の違う僧侶の枠を超えた僧侶と僧侶、僧侶と一般の人々とのイベントが実現するとは、昔は誰が思ったでしょうか。

嶋田さんが参加する向源やhasunohaでの「何者でもない、何者かを目指さなくても良い」視点は、自己肯定感が少なく生きにくい人々が自信を持てる強い言葉だと感じました。

優しい言葉を紡ぎながら、エネルギッシュにアクトし続ける嶋田一成さん、インドでの新しい発見は、宗隆寺の規範にも生かされることでしょう。

昔から人と同じことをしたくないという個性の持ち主で活躍される嶋田さんから、今回の記事を通じて私も温かい気持ちになりました。

プロフィール

嶋田 一成(しまだ かずあき)29

神奈川県川崎市/日蓮宗宗隆寺副住職

東京向源代表

獨協大学に入学したが、僧侶になるため立正大学へ編入する。

宗隆寺が運営する高津幼稚園の職員も兼務する。

日本最大の寺社フェス「向源」の代表・友光雅臣が東京以外での向源開催立ち上げに専念するため、

2018年から東京会場については嶋田が代表として東京向源を運営する。