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「お子さんに対し、どう接していいかわからないですよね?でもお母さん、わからなくて当然ですよ。」

障害児を持つ父母が子供との接し方への悩みを話してくれた際に、東賢性(あづま けんしょう)はそう返答するという。

彼は僧侶でありながら児童発達支援管理責任者として、知的障害児放課後デイサービスに勤めている。

例えば日常生活動作の自立のうまくいかない自閉症の子の場合、こだわりが強く、自宅でトイレができずオムツのままで親を悩ませるケースがある。

そこで子供が安心し自立でトイレができる方法を、特性を理解し見極めた上で、東が中心となりスタッフと共に模索し、家でも実践できるよう提示し将来的にどこでも自立でトイレができる様にするのだという。

彼は寺院にいる僧侶として諭すのではなく、悩んでいる人と同じ現場・現実に入りその目線で考えることを重視している。

—「自分はお坊さんだ」と上から目線で法を説いても、障害の子供や悩む親達の耳には届かない—

僧侶に対し教えを求めてくる母親たちに対し、時に「自問自答しなさい」と厳しくも答える東。

他にはない考えを持ち、寺院の僧侶・人間ではなく、あくまで福祉施設の現場で働くスタッフとして悩みを解決しようとする彼はどんな僧侶なのだろうか。

お坊さんの進路で出会った師匠の教え「自問自答し続けること」

東が生まれたのは大阪の一般家庭だが、母の実家は大分・宇佐にある藤原兼通の流れを組む本多家で、曽祖母は永勝院という宇佐神宮の社僧(宮寺に仕える僧)出身。

儀礼に厳しい家だったそうで、小学生の頃に祖父が亡くなった時は、49日間も精進料理で喪に服する家だった。

そんな東自身が僧侶になる道を選んだのは、中学生の時。当時の世間は学歴重視が強く、東もまた受験勉強を強いられた。

学校でも家庭でもプレッシャーをかけられる毎日を過ごしており、「このまま勉強だけで人生を決められる」ことに対し強い反発心を抱き外や家庭内で暴れ、特に母親対して暴力で反発していた。

一方で、歴史が好きだった東は本で「空海」の物語を知り、南海電鉄が主催し高野山の寺で開催される「精進料理を食べるパックツアー」に参加した。

そこで出会った僧侶に受験の悩みを話すと「なら、お坊さんになったらどうか」と高野山の高校を提案され、強く惹かれた。

「母親をはじめとした周囲には反対されたのですが、父親だけは『行きたいならここに合格証書を持ってこい』と言ってくれて。雪の降る中、高野山に宿泊して受験をしたのを覚えています。」

無事合格した東は、高野山高校に進学。同時に出家することになったのだが、当時高校側が提示する師匠にしっくりくることができずにいた。

そこで出会ったのが、大分の母の実家の関係である宇佐神宮大宮司家の菩提寺の僧侶で、元々は「律の寺院」である伝統から、この寺院で東は厳しい修行を積むことになる。

学校休暇になると大分の師匠のお寺に行き朝から晩まで寺の掃除や師匠の世話をする学生生活。修行中の身ゆえ、師匠の家族との食事に同席することを禁じられたこともあった。

そんな辛い修行に明け暮れる中、何となく休んでいる時にテレビを見ていたのを師匠から叱責されたことがあった。

「お前は何をしに来たんだ?テレビを見に来たのか?お坊さんになるために来たのではないのか?お前は一体何をしたいんだ!」

高野山高校・大学柔道部の出身である師匠は、厳しく接する一方で、体調が悪い時は御子息の兄弟子と共に鍼灸や薬湯を用意するなど優しい部分もあったという。

修行後に母が迎えに来る際、「あと一週間、彼をここに置いてほしい。そうすればより人間になれる」と別れを惜しんでくれたそうだ。

今は高齢になってしまった師匠による「自問自答を徹底せよ」という教えこそ、今の東の考えを生むきっかけになった。

「人に教えるとは何か」10年間の教師生活で得た気づき

やがて高野山大学、大学院を卒業した東は、直ぐに僧侶の道を歩まず航空会社の子会社に就職。

しかしその会社が合併することになり、別の生き方を模索していた時に大学時代のゼミの先生から「横浜にある高校の仏教科の教師」の道を勧められた。

かつて自身が勉強することに悩んだ東は「人に教えるとは何か?」を教育の現場で周りの教師から学んだという。

「授業で寝るなというのは教師のおごり、寝かせない授業をしろと周りの先生方から教わりました。授業とは生徒のためのものであって、教師の自己満足で終わってはいけないと。」

ー 生徒のために、仏教を教えろ。ー

お坊さんだからという立場と視点で一方的に上から目線で教えるという自己満足スタイルでは相手に届かない。プロの教師である周囲の厳しい言葉と生徒たちとの交流を通し、かつての師とはまた違う教えを東は学ぶことができたそうだ。 

難病を経て、児童福祉施設へ。「現場・現実で向き合ってこそ僧侶は必要とされる」

教育業界で10年間教鞭をとるという得難い経験をしたのち、東は師匠から声をかけられて都内の真言宗寺院でキャリアを再スタートする。しかしその東を悲劇が襲う。

クローン病。主に小腸や大腸などの消化管に炎症や潰瘍ができる難病が発症した東は、止むを得ず治療のため退山。

手術と治療による長い入院生活の中で、8年在籍した寺にも戻れずこれからの人生に悩んでいた時だった。かつての教え子たちが見舞いに訪れ、教員免許の資格が活かせる児童福祉の仕事を教えてくれた。

無事に勤務が決まった東は知的や生活自立・コミュニケーションに障害のある児童達と出会う。一生治らない病気にかかった自身の姿を重ね、ここで働いていく道を決意する。

「お寺では仏法という治療で、煩悩という病気をケアしている。彼らも自分も一生変わらない病気だが、きちんとケアをすればちゃんと生活できる。やることはなんら変わりはないじゃないか?と思いました」

東は彼らと接触し彼らの目線で解決してきた中で、医療や福祉の現場に不用意に介入し教えを説く僧侶達に疑問を感じるようになったという。

それは教師時代の経験である「生徒のために仏教を教えろ」という教訓が役立っていた。

「医療や福祉にお坊さんが関わるなら、1年でも半年でもいいからその現場に一人の福祉職員として入るべきだと思っています。

現実は考えているほど甘いものではない。そうやって現場や現実と向き合うことで、初めてお坊さんとしての救いが必要とされる。」

パフォーマンスではなく同じ現場で接し、彼らの目線で接することの大切さを東は強く語る。

「THE BONZEくらぶ」の活動と、しんどい人を救いたいという思い

東は他にも「THE BONZEくらぶ」の「東京BONZEくらぶ」代表を務めている。

このユニークな名前の活動は、お坊さんが年齢や価値観などを超えて様々な老若男女と会って月に一回語り合う企画。

京都発祥のこの活動はすでに30年以上の歴史があり、京都で代表を務める僧侶・杉若師から依頼されて毎週第3土曜に東京・神楽坂のカフェで実施している。

最初はそのテーマを決めて話をしていたが、東京は知的好奇心の強い人が多い事から専門であるチベット仏教の勉強会メインに切り替え、その中で座談会や様々な相談と結び付けて活動している東。相手の目線で考えるこだわりが、ここでも生きているようだ。

今でも難病を患っている東は、生きることがしんどい人々の気持ちが痛いほどわかる。だからこそ自らの頭と心で考える大切さを彼らに伝えたいという。

多くの人々がインターネットで悩んでいることへの答えをすぐ検索している事実に対し「その時は書かれた答えに満足するかもしれないが、それは解決への糸口ではなく一時的に落ち着く答えにすぎない。」と語る東。

病院に行って病気の説明だけ聞いて安心し治療を受けずに帰るのと同じで、それは「悩み苦しみの完治ではない」からだ。

「『悩みの正解はあなたの中にしかないから、自分の頭と心で考えなさい』と伝えたいです。そのためにも悩んでいる彼らの話を聞いてあげて、縁を大切にして一緒に考え厳しく辛辣な事も言いますが、本人自身が答えを出す手伝いをこれからもしたいですね」

 

―インタビュアーの目線―

「悩んでいる人の現実・現場に降りて、相手の目線で一緒に考える。」

難病にも負けず、他の僧侶にはない視線で悩みを解決する東さん。この考えは一般人である私たちも見失っている部分であり、インタビュー中、何度もハッとさせられました。

かつての師の教えと、10年間の教師生活で得た経験を胸に児童施設や東京BONZEくらぶで活動されています。

これからも多くの人に寄り添い、彼らが悩みの答えを自ら出す事に力を貸していくことでしょう。

プロフィール

東 賢性(あづま けんしょう)45

神奈川県横浜市/高野山真言宗大分宗務支所下 向蔵坊徒弟

東京BONZEくらぶ代表

文学修士(密教学)

教員免許(宗教 高校・中学)

高野山検定2級 

知的障害児放課後デイサービス勤務 

児童発達支援管理責任者 

社会福祉主事任用児童指導員

 

昭和48年生まれ

平成元年 15歳で高野山高校に入学し出家

平成6年 師匠の寺院にて中院流院家相承四度加行成満

平成8年3月 高野山大学文学部密教学科卒業

平成10年3月 高野山大学大学院文学研究科修士課程密教学専攻修了

大学院修了の年、高野山光臺院(こうだいいん)道場にて稲葉義猛大僧正より中院流院家相承による伝法灌頂(でんぼうかんじょう)に入壇。その後、真言密教の諸流の受法・一流伝授に連なり、またチベット仏教の諸師に仏法を受法し学ぶことは現在も続く。大学院修了後、JAS日本エアシステム株式会社 関西空港勤務。その後、私立横浜清風高等学校 仏教科専任教諭として約10年勤務し子供達に仏教を教え、都内真言宗寺院に8年勤務するも、難病を発症し治療に専念するために退山。難病と共に生きながら難病がキッカケで「僧侶として具体的な支援の道を歩みたい」と言う思いから、これまでの経験を生かして知的障害児童の自立支援・療育支援の専門職として、また僧侶として仏法の観点や方法にて、支援全般の計画やカウンセリング、具体的な支援活動をしている。

THE BONZEくらぶ http://bonzeclub.net