お坊さんの進路で出会った師匠の教え「自問自答し続けること」
東が生まれたのは大阪の一般家庭だが、母の実家は大分・宇佐にある藤原兼通の流れを組む本多家で、曽祖母は永勝院という宇佐神宮の社僧(宮寺に仕える僧)出身。
儀礼に厳しい家だったそうで、小学生の頃に祖父が亡くなった時は、49日間も精進料理で喪に服する家だった。
そんな東自身が僧侶になる道を選んだのは、中学生の時。当時の世間は学歴重視が強く、東もまた受験勉強を強いられた。
学校でも家庭でもプレッシャーをかけられる毎日を過ごしており、「このまま勉強だけで人生を決められる」ことに対し強い反発心を抱き外や家庭内で暴れ、特に母親対して暴力で反発していた。
一方で、歴史が好きだった東は本で「空海」の物語を知り、南海電鉄が主催し高野山の寺で開催される「精進料理を食べるパックツアー」に参加した。
そこで出会った僧侶に受験の悩みを話すと「なら、お坊さんになったらどうか」と高野山の高校を提案され、強く惹かれた。
「母親をはじめとした周囲には反対されたのですが、父親だけは『行きたいならここに合格証書を持ってこい』と言ってくれて。雪の降る中、高野山に宿泊して受験をしたのを覚えています。」
無事合格した東は、高野山高校に進学。同時に出家することになったのだが、当時高校側が提示する師匠にしっくりくることができずにいた。
そこで出会ったのが、大分の母の実家の関係である宇佐神宮大宮司家の菩提寺の僧侶で、元々は「律の寺院」である伝統から、この寺院で東は厳しい修行を積むことになる。
学校休暇になると大分の師匠のお寺に行き朝から晩まで寺の掃除や師匠の世話をする学生生活。修行中の身ゆえ、師匠の家族との食事に同席することを禁じられたこともあった。
そんな辛い修行に明け暮れる中、何となく休んでいる時にテレビを見ていたのを師匠から叱責されたことがあった。
「お前は何をしに来たんだ?テレビを見に来たのか?お坊さんになるために来たのではないのか?お前は一体何をしたいんだ!」
高野山高校・大学柔道部の出身である師匠は、厳しく接する一方で、体調が悪い時は御子息の兄弟子と共に鍼灸や薬湯を用意するなど優しい部分もあったという。
修行後に母が迎えに来る際、「あと一週間、彼をここに置いてほしい。そうすればより人間になれる」と別れを惜しんでくれたそうだ。
今は高齢になってしまった師匠による「自問自答を徹底せよ」という教えこそ、今の東の考えを生むきっかけになった。