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お寺とはいっさい関係のない家庭に育ちながら僧侶になることを決意し、苦労の先に感謝の気持ちと楽しさを持ち続けている僧侶がいる。

「ひたすら地道に続けてきたんです。すると辛さもなくなります。苦労が楽しさに変わった瞬間ですね」

そう語るのが、今回紹介する増田将之(ますだ まさゆき)だ。

彼は、「息子に苦労などさせたくない」と反対する両親の気持ちを知りながら、僧侶になった。すぐには認めてもらえずにいたが、自分の成長していく姿を地道に見せ続けた。

筑波に建てられたばかりの寺院に就いた時には、お寺が立つことを反対していた近隣住民から罵倒を浴びせられ、時には塩を撒かれることもあった。

そんな時でも、地道にコミュニケーションをとり続け、お坊さんとしての活動を続けた。

今では、ご両親も彼の僧侶としての人格を認め、筑波の寺院の法話会には50〜60人の地域住民が集まるようになった。

「毎日毎日続けることです。人間はすぐに飛び越えたくなるんですよ。地道に活動を続けることが大切なんです」

僧侶になるときも、なってからも苦労の連続だった。そんな中でも「お坊さんという職業が好きなので、悩みはない」と明るく語る増田将之。彼はどのような苦労を経て、その人格を身につけたお坊さんなのだろうか。

「なんでもやってみよう」前向きな地道さの先に見つけた人とのつながり

僧侶になって一番印象に残った出来事を、増田は「筑波に建てられたばかりの寺院に就いていた時」だと振り返った。

新参者は受け入れられるのに時間がかかるものだ。それが大きく建てられた寺院であれば尚更、敬遠され疎まれることだろう。増田が就いた寺院も、まさに近隣住民から受け入れられずなかったという。

新しいお寺は増田と住職の2人で運営をしていたのだが、2人で全てを行う大変さもありながら、何よりも、お寺に誰もやってこない淋しさを常に感じていた。ひたすらチラシを配り、地域住民に無視されながらもこちらからの声かけ、挨拶を欠かすことはなかった。

「その頃は、どうにかして人を、人を!と思っていましたね。とにかく何でもやってみようと。

筑波大学の学生さんにお寺で演劇をやってもらうため、学食へ通ったこともありました」

根付くまでは時間はかかったが、最初に門を叩いてくれた寺院裏のおじいちゃんをキッカケに、お寺を見に来てくれる人が増えてきた。増田の娘がお寺で遊んでいたこともあり、徐々に近隣の子供たちもやってくるようになった。そこに至るまで3〜4年はかかったと語る。

お寺には部屋が沢山あり、何もなく静か、おまけに涼しい。学習室として貸し出したのがキッカケとなり、親御さんとのつながりも少しずつ増えてきた。

お茶をしたり、増田の子供達の顔を見にきてくれるおじいちゃんおばあちゃんもいたという。そんな時を経て、今では法話会に50〜60人もの人が来てくれるようになった。増田は現在このお寺を離れたが、こうして開かれた場所として人が憩うようになったのは、増田の人柄も大いに関係していることだろう。

増田の人柄がよく分かる、こんな記事を見つけた。

「2時間しかないのに、5時間分の台本を書いてきたり(笑)

2時間しかないのに、40分もゲストを放ったらかして喋ったり(笑)

マイクはみんなに手渡しするのに、ニベアでベタベタにしてしまったり(笑)

仏教井戸端Tシャツ作ったと豪語したけど、日本人で着れる人って関取くらいじゃないの?的な超ビッグサイズだったり(笑)

なにかとおもしろネタをぶっ込んでくる主宰増田」

これは、増田が主催する「仏教井戸端トーク」での一コマらしいが、とても明るく、お茶目なお坊さんであることが伝わってきて、思わず頰が緩んでしまう。

お坊さんを目指したキッカケ。ターニングポイントとなった2つの出来事とは?

増田には、僧侶を目指すべき指針となった、ターニングポイントともいえる出来事が2つある。

一つ目は、弟の死だ。早くに弟が亡くなったことで、自然と仏様に手を合わせる習慣ができた。

在家出身であり、親類にお寺さんがいたり信仰心のあつい家に生まれたわけではない増田だが、「仏様に手を合わせる」という習慣が僧侶という職業を、身近なものにさせたのかもしれないと語ってくれた。

二つ目は、増田が小学生の頃、近所に建てられたお寺の住職の存在だ。

増田は我孫子市に生まれ育ったのだが、そこに真栄寺というお寺があった。そのお寺の住職の、温かい人間性に触れ、魅了された増田は同じ道を歩むことを決心したという。

今でも僧侶の存在は大きく、増田の背中を押し続けている。

しかし当時は、在家出身の彼の決意を、両親は快く思うはずもなかった。

お坊さんの専門学校である中央仏教学院での入学式では、親は気持ち悪がって途中で帰ってしまったという。

「お坊さんって、表立って何をしているか見えないんですよね。だからこそ不安を感じるのだと思います。そんな両親には、成長していく自分の姿を地道に見せていき、何をしているのか身を以て教えていくことが大事だと思うんです」

そう語る増田だが、今ではご両親も増田の僧侶としての活動を認めてくれているという。

 

付き合いのある場所に〜誰もが集う「開かれた場所へ」

増田は「仏教と地域・お寺と地域」をテーマに『仏教井戸端トーク』を主催し、イベントを企画している。そんな、地域とお寺とのつながりを大切にしている増田に、今後のお寺の在り方について聞いてみた。

「とにかく来て欲しいですね。住職目当てでも何でも構わないので、悩み相談や気軽にお茶を楽しんだり。昔の寺子屋や公民館のように、付き合いのあった場所に戻したいです。せっかく場所があるのに勿体無いと思うんです。

お寺同士のつながりも、今は協力しなければいけない時代です。しかし、そのキッカケがない。縁を結べれば良いなと感じています」

増田のもとには現在、メールや電話、直接お寺に来る人など、多くの相談が寄せられる。中でも仕事がうまくいかない、人間関係の悩みが多いという。

相談に対し増田は、ただひたすらに同じ時間を共有し、そして聞くという。

「伝える」のではなく「伝わる」ということは、相手に如何に想像してもらえるか。仏教とは、「あなたはひとりじゃないよ」と言っているようなもの。「皆自分ひとりで生きているのではなく、生きている人、亡くなった人、誰かに支えられて生かされているんです」そう語る、増田に今後について話を聞いてみた。

「お寺に人が来なかった時代は先が見えない辛さもありました。しかし、それも地道に続けることで苦労は楽しさへと変わっていったんです。

これからも「このお坊さんに頼んでよかった」「話してよかった」と思ってもらいたい。今後も地道に続けていきます。」

―インタビュアーの目線―

「お坊さん自身の悩みはありますか?」

そんな問いかけをした時、増田さんは深く考え、そして、

「お坊さんにはなりたくてなったんです。好きな仕事なので、悩みは・・・思いつかないですね」と語ってくれました。

お坊さんになるときも、なってからも苦労の絶えなかった増田さんですが、彼は決して苦労をしんどい事、嫌な過去だと思っていない。

「人が来てくれるだけで有難いんですよ」

苦労の先に楽しさと感謝の気持ちを忘れない増田さん。今後も彼のお人柄に癒され、勇気付けられる人は沢山いる事でしょう。今後、ますますのご活躍を期待しています。

プロフィール

増田 将之(ますだ まさゆき)42

千葉県我孫子市/浄土真宗本願寺派 真栄寺衆徒

公益財団法人仏教伝道協会職員 

1976年千葉県生まれ 

仏教井戸端トーク主宰

「フリースタイルな僧侶たち」顧問

勝満寺(京都教区)、善行寺(東北教区)ほかにて法務に就く。

現在は公益財団法人仏教伝道協会職員として、お寺の立ち上げやサポートをはじめとする、お寺とのつながりを築きながら、一般の方への仏教普及に奮闘中。