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境内に地域の人が集う本格的な寺カフェのパイオニア「赤門テラス なゆた」や子ども食堂、がんカフェ、婚活などの社会的な課題に対して、お寺と地域をつなぐコミュニティ作りに積極的な僧侶がいる。

今回ご紹介するのは1522年に開創された由緒ある寺院、金剛院の住職を務める野々部 利弘(ののべ りこう)氏だ。

500年もの歴史がある寺院の跡を引き継いだ野々部氏は、「機能を追求する社会に対し、お寺はもっと感性を研ぎ澄ます場としての価値を提供したい。」と語る。

「地域住民との関わりを大切にして、『祈り』『癒やし』『学び』『楽しみ』という、お寺が本来持っていた機能を『令和版』として構築していきたい」と語る野々部氏とは、一体どのような僧侶なのだろうか。

僧侶になる後押しとなった「寿司職人の伝統技法」

野々部氏は金剛院の長男として生まれた。長男であるがために、幼少のころから必然的に寺の跡継ぎとして期待されていたそうだ。

しかし、仏教やお寺にはまったく興味もなく、金剛院の跡を継ぐ気も、僧侶になるつもりもなかったという。

高校三年生になり、進路を決めねばならない時期を迎えた。その時期にある人が野々部氏を寿司屋さんに連れていってくれたそうだ。職人気質で寡黙な店主が、先代からの技法を受け継いで、面倒で手の込んだ江戸前としての寿司を静かに握っていた。

その様子の一挙手一投足を観ていた野々部氏は、その後に驚くべき光景を目にした。

「にぎられた寿司が目の前に置かれたあと、その寿司がふわっと浮き上がったんです。」

寿司が店主の手から離れた瞬間、絶妙な力加減で握られたシャリとシャリの間に空気が入り、密集から開放された勢いでネタが浮かんだそうだ。今様の機械でポンポンと出てくる流行の寿司とは、明らかに違ったという。

その様子を目の当たりにしたとき、彼の身体中を電気が走ったそうだ。保存するために酢で締めたり煮たりするネタの保存技術など、先代から脈々と受け継がれてきた伝統を駆使して黙々と寿司を握るその姿に美学を感じてしまったのだ。

「先人から受け継ぐ美しさと大切さ」に感動した野々部氏は、「考えてみればお寺も同じことで、2500年前からの仏教の教えを目に見える形で紡いでいきたい」と思い、自らの意思で「発心」して宗門系の大学へ進学することを決めた。

地域住民と寺の距離を近づける

野々部氏は、昭和から平成と元号が変わった時に金剛院の住職となった。「天皇が変わるということは、まったく別の時代になるということだ」と肌で感じた野々部氏がまず最初にしたことは、お寺のホームページの作成だった。

当時、お寺のホームページはほとんどなく、むしろ「お寺にホームページが必要なのか?」と失笑を買うくらいの時代ではあったが、独特の嗅覚がある野々部氏は「迷いもしなかった」という。

一口にホームページと言っても、そこに掲載できるコンテンツがないと意味がないので、さまざまな催しなどを開催し始めた。

「お坊さんのファッションショー」「寺シネマ」など個性的な催しもひとつひとつは成功し、それなりの成果を挙げた。しかし、何かが足りないと感じている中で気づいた答えが「地域コミュニティ」だったという。

今では当たり前のワードではある。しかし20数年前には世間でも一般的ではなかった。しかも、檀家という極めて狭く小さな中での関係ではなく、彼が着目したのは広い意味での地域住民とお寺の距離感だ。

「お寺は何より地域住民との信頼関係が必要だ。地域はクチコミ社会なので良いことも悪いこともすぐに広がる。金剛院がこれまで築くことができなかった社会的な課題や地域住民との関係を構築するには、僧侶自身が地域のもとへと出ていかなければいけないと思いました。」

野々部氏はNPO法人ライフデザインを設立し、「しいなまち みとら」というコミュニティスペースを近隣の商店街に路面店でオープンした。

野々部氏は入りにくいお寺のイメージを払拭したいと思っていた。そのために、お寺の出張所として寺外で広く地域住民に対し写経などのプチ修行や人生相談、仏事相談などを提供。

一方、NPO法人として幅広く活動することで行政、地域、企業との距離感を少しずつ縮めていった。

東日本大震災が発生した後、地域コミュニティの重要性が多方面で論じられるようになると、「しいなまち みとら」の取り組みにも注目が集まるようになった。

東日本大震災によって時代の流れが「心の時代」に大きく変わり、しかも短い時間でいろいろなことが変化していく時代になった。

「変わらなければいけないこと」、「変わってはいけないこと」の仕分けをする中で、野々部氏は金剛院の敷地内に、“葬儀をしない”というコンセプトのもと、点と点を線とし、面へつなげていくためのコミュニティを重視した施設「蓮華堂」を建設した。

シニア食堂、障害者就労支援、親子保育、デスカフェなど、時代が求める確かなものを伝えることができるコミュニティの場としての催しを、週に10本くらい運営する「プラットホーム」として構築していった。

これらの催しだけで年間3万人くらいの方がお寺に訪れるという。つまり、お寺が何をしているのかわからない、住職はどんな人なのか、檀家しか入れないというお寺のイメージが、この取り組みによって変わってきたのだ。

「物事は、急には作り上げられない。」5年、10年先を見据えて「しっかりと点を打つ」「縁を作り上げていく」ということを「いま」していかないと、お寺の未来はないという彼の言葉だ。

人が生きていくために必要な「祈り」

野々部氏は「お寺の強みは『墓地』という最終的な居場所を持っていることだ」という。

しかし、家が継承できない時代にあって家墓地から個人墓地への「永代供養墓」に金剛院はすべて切り替えてしまった。それもひとつの形ではなく、さまざまな選択ができる十数種類の永代供養墓を展開していることも斬新だ。

こうした新しい墓地申込者や、催しに参加されている方をみていると、本当に人それぞれに悩みや迷いを持っているのを感じるそうだ。街を見ても、人は何かに対していつも怒っているし、いろいろな事故が多発するのも負の気持ちの連鎖が、人々の見えないところで起きている。

「人が生きていくために大切な『祈り』がなくなってきている。」と野々部氏は言う。地域でどんなつながりを求めようが、たくさんの催しをしようが、お寺の幹にあるのは『祈り』の場ということだ。

従来お寺で祈る場面は法事や葬儀、墓参でしかなかったが、寺社巡りや御朱印がブームになるなど、いまの人は祈りを求めている。

祈りの場所は昔から変わらずあるが、忙しさに追われて祈る時間がなくなった。そして、祈りでは何も解決されないと、祈りの重要性も意識として遠のいてしまった。

だからこそ、「祈り」の重要性を僧侶が説かなければいけない。ただ祈りなさいとか先祖供養しなさいと押し付ける言い方ではなく、「なぜ『祈り』が大切なのかということが現代人の心に腑に落ちる工夫をしていかなければならない」と野々部氏は言う。

例えば「祈るとは『意に乗る(意識に乗る)』ということ」と話す野々部氏。日本の先人たちは、祈ることで自分の意識が天と地につながることを感性で知っていたのだろう。

天と地の間にいるのが「天地人」ということ。一人、一名という数の単位から、人は亡くなると「一柱」という言葉に変わることも、先人たちが作り上げてきた日本語の素敵な感性だ」と野々部氏は言う

日本人は感性を大切にしてきた

「五大に響きあり」宗祖・弘法大師様の言葉だ。大師様は、本堂で鳥の声と人の心、空に浮かぶ雲、流れる水などもすべてひとつに溶け合い、自分の心が大きな自然や大宇宙の心と深くつながっているとハッキリと「感じた」という心境を綴った詩文を残されている。

コンピューターや機器のない時代に、山の頂上に立派な伽藍を持つお寺が建立され、しかも、それぞれの神社仏閣の位置関係が不思議と正三角形の六芒星としてつながっていたり、いろいろな霊山などともレイラインで結ばれていることを今の科学で検証してみると、不思議に感じることも多い。

日本人が感性を大切にしてきた証拠でもあり、古来から天体の動きやそこから感じる感性を信じて文化を作っていったのだ。

今の日本人は常識やマニュアル、偏見などに支配されていて、自身の感性を大切に出来ていない風潮にある。しかもHSP(Highly Sensitive Person)という超繊細な感性を持つ方々も多く、そういう方たちには生きづらい世の中になってきている。

しかし、「実はその『感性』がこれからは重要視される時代に入ったと感じている」と野々部氏は言う。

平成という情報の高速化、合理化の時代で見失ってしまったものは多い。便利になることはかまわないし、もう昔には戻れない。だからこそ、令和の時代は自分自身の感性を持つことによる「仕分け」が必要になってくる。

真言宗の修行の本質も自身の五感を研ぎ澄ませることで、天と地と心が一つにつながっていることを体感することだが、いまの社会ではシステムばかりに気をとらわれてしまっている。

スマホやPC、ロボット、AIなど技術は、これからも進歩していくだろう。AIはミスを犯さない。「ミスを犯すのは人間」・・・そんなメッセージがコンピューターから指摘される時代かもしれない。

技術の進歩により、深く考えたり、覚えたりするような自身の感性の必要性が重視されなくなった。「そんな時代に、お寺だからこそできることがあるのでは」と野々部氏はいう。効率化や利便性の隙間に必要な「意識の構造改革」を人は求めている。「それはお寺がやるべきだ」と野々部氏は考えている。

昔はお寺で祈り、自分の内なる声を聞くことで大切なものは何かを意識することができた。現代では自分の意識を外に向けざるを得ず、いまの自分の感情や生き方、取り巻く環境を自己認識しにくい。

感性とは自分を深く意識するということを、現代社会の状況を踏まえて、何か新しい伝え方や切り口の仕方で発信することが、いまのお寺には求められているのだろう。

これから、ますます、お寺は重要になる

「在宅医療への同行や、ERがあるような地域医療の要である大学病院でがん患者さんの前でお話する機会も増えたり、いまの若い人たちの中には、ものごとの本質を求め気づき始めた方々が増えたように思います」と言う野々部氏。

どこへ行っても同じ建物や同じ仕様、同じ物、同じ事、同じ場であることに違和感を覚え始めた方々が、お寺に確かな答えや先生としての教えを探しに来ている感じがしているそうだ。

それは「より多くの催しをしているからこそ感じていることで、平成の初めに住職となって、時代が大きく様変わりしたときと同じ印象を持っている」と野々部氏は振り返る。まさに令和という時代の変わり目なのかもしれない。

いま、若い人の中では、すべてを忘れて心身を休めるリトリートへ出かけたり、満月や新月の時には気分や運勢などいろんな事が変わるエネルギーを感じたいと会社を休んで、お寺参りに出かける人もいるほどだ。

「いいね」を一生懸命に押している自分は、実はとても不安なのだろう。流行に流されそうな時間を少し自分で止めてみると「長年にわたって継承されてきた日本古来のお寺の中に、自分にとって必要なことや本物とは何なのか、という疑問に対して、答えとなるような大きな価値と希望があることに、気づくことができるだろう。」という野々部氏。

新しい商品やサービスが次々と出てきても、本質的な価値がわかれば人の意識は長く受け継がれてきた原点となるものに帰る。いま流行っていることはいずれ飽きるのだ。

機械化が進み物事の本質に触れることが少なくなった社会で、これから野々部氏はどのような取り組みに挑戦していくのか。

「ちょっと、いまはお休み中・・・」と野々部氏は言うが、寺院消滅やお寺のM&Aの可能性もある中で、人々が自分にとって本当に大切なものは何か。

自分の内なる声を聞くための感性と本物の教えを伝え、感じてもらえる場所としてのお寺の価値が、この寺の中にあることを強く感じながら赤門テラスなゆたを後にした。

―インタビュアーの目線―

「いかに本質を見抜けるかが問われる時代になる」

時代に先駆けて数多くの活動をしてきた野々部さんの言葉には重みがありました。

機能性や利便性だけでない本質的価値を、これからを生きる私たちが知り、それをどう伝えていくか。

私たちがいまできることは、機能的価値を追求する社会に対し、お寺は感性を研ぎ澄ます場のひとつとして価値を伝えていくことかもしれません。

「遺骨の数え方を一柱、二柱と呼ぶのは人が死ぬと天と地とでつながるから」

伊勢神宮から高野山までの距離と同じく、京都御所が伊勢神宮から同じ108kmの場所で作られたのは、日本人が感性を大事にしたから」

昔から伝わる智恵を、野々部さんから細かく丁寧な言葉で教えていただきました。

「感じる」という目に見えない価値を求める人に、お坊さんが伝えていくことはあると思いました。

プロフィール

野々部利弘(ののべ りこう)  64才

東京都豊島区/真言宗豊山派 蓮華山金剛院仏性寺 第33代目住職

総本山長谷寺特派布教師

NPO 法人 ライフデザイン理事

1954年  豊島区生まれ

大正大学仏教学科修士課程中に、カンボジアなど難民救済ボランティアに参加し、またラオスの子供達に学校を作る。国立劇場やニューヨーク・カーネギーホールなどで声明(お経)講演を行い、広く仏教の素晴らしさをつたえる。カウンセラーとしても人生の悩みを聴き、お寺では弦楽四重奏コンサートをはじめ、演劇「曾根崎心中」や「お坊さんのファッションショー」などユニークな公演を開催中。

2010年に「しいなまち みとら」を開設して、地域との共生を目指すお寺の出張所を商店街に開設し、また2014年から金剛院内に次世代カフェ寺ス「赤門テラス なゆた」を展開し地域課題などにも取り組んでいる。

著書:「心のごちそう帖 お寺ごはん」

金剛院 https://www.kongohin.or.jp/