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お寺の子として育ちつつも大学卒業後は就職する予定だったが、“禅”との出会いから、僧侶の道を選んだという藤井隆英。

彼が僧侶の修行に入った1995年は、阪神淡路大震災、そして地下鉄サリン事件が起こった年である。

修行期間中、ボランティアとして被災地入りした藤井は、修行を終えてNGO団体職員となり、識字学級の立ち上げをはじめ、お茶会の開催、仮設住宅の訪問などを行う。

そして整体師の技術を身につけ、施術を行いながら、被災地の方々の声に耳を傾ける“傾聴”活動を続け、その時の経験こそが今につながるという。

「日本人が抱いている、“坐禅”や“お寺”のイメージを変えていきたい。お寺は万人にとってひらかれた、身近な“場”であってほしい。」

人々が互いに貢献しながら“生きて”いけるように、“禅”としての健康法を伝える藤井隆英。彼はどのような僧侶なのだろうか。

一般的な“坐禅”のイメージを変えたい

“坐禅”と聞くと、どんなイメージを持つだろうか?

おそらく、お寺でやること、足を組む姿勢で動いてはいけない、“空”や“無”になれるもの、また我慢や苦痛がつきものだと思っている人が多いだろう。

しかし、これらはいずれも本来の坐禅とは違う。本来の坐禅とは、決して苦行ではない。

マインドフルネス的なものと捉えられるが、一時的なものでなく生き方から安らかさや幸せが身につくものであると藤井はいう。

坐禅とは、「この瞬間、自身が幸福であれ」というもの。姿勢をみても、人間工学的に“楽”な姿勢。それも“楽”とは逃げることではなく、そうある上で心地よくあり続けることができる意味であるという。

「寺での修行も厳しそうに見えるかもしれませんが、そんなに厳しくないんです。自らが望んでやっていることなので。」

修行とは、“仏”の幸福生活の再現であり、決して厳しいことではない。藤井は、“禅”を本質として捉え直し、広く伝えることに積極的に取り組んでいる。

それぞれの人が輝きを持って、“生きる”こと。全ての“生”が生き続けられるのが、仏教の社会的完成だという。

仏教の4つの根本の誓いである「四弘誓願」。その1つめの衆生無辺誓願度は、「私とあなたとの境界がない社会を作りましょう」ということ。

それぞれが置かれる環境の中、互いに貢献し合えるよう、多くの人に“禅の健康法”を伝えようと活動している。

お寺は仏さまに守られた場所

寺の息子として生まれた藤井だが、父は銀行員との兼業僧侶。僧侶姿の父を見るのは、お盆の法要など年に数回だけだった。朝のお勤めもなかった。

それでも、御本尊を大切にしなければといけないと、寺の修繕費にボーナスをつぎ込む父に、“寺を守る”真摯な気持ちを感じていたという。

また、藤井の小学校入学と共に、母が始めたのが地域の学童保育だ。共働きの家庭が増えてきた当時、お寺の本堂を活用した学童保育に来る子どもは年々増え、この活動は今もなお続けられているという。

「子どもたちが境内で遊んでいると、ボールがお墓に当たることもある。母は、“当たったのは仕方ないけど、お墓の前でごめんなさいと言いなさい”と伝え、子どもたちも自然とやっていましたね」

お参りや座禅など、お寺らしいことは何もやっていなかったが、誰もが自然に溶け込める場所を作っていた。だからこそ、自身の原体験としての寺は、子どもたちが自由に遊んでいる場、仏さまに守られた、皆が自由に過ごせる場だと話す藤井。

これは、「お寺だからよかった」という、学童に来ている子の親たちの言葉にも通じる。これは、まさにお寺として大事なことであろう。

もちろん、お墓や法要などの儀式も大切だ。特に、人が亡くなった際の1番最初のグリーフワークである“葬儀”を担わせてもらっているのは、とても大事なこと。葬儀の質により、ご遺族の未来の人生が変わっていく。

それは決して僧侶の良し悪しでなく、どれだけ仏教を伝えられるかでもなく、どれだけご遺族に寄り添い故人と向き合える機会を作れるかということ。

そのためには葬儀時の法話やお声掛けも大切ですが、仏法によって幸福になるためのダイジェストとなる、言葉だけでない五感を総動員した「葬儀」という儀式自体のクオリティも大切だと話す藤井。

仏教では故人が“仏”になってからがまさに修行と説きます。”仏”も成長していくのです。一周忌などの法要は、仏さまの成長を祝い、またこの世において成長した自分を見てもらうためにある。

私達の成長が、見守っていただいている役割を持った仏さまの成長につながる。だからこそ、私たちもこの世できちんと生活しましょうと伝えることが大切なのだ。

“禅”との出会い、そして、阪神淡路大震災が人生を大きく変えた

北海道大学の水産学部へ進学、札幌・函館で大学時代を過ごした藤井。卒業後は一般企業に就職するつもりでいた。

そんな思いに変化が起きたのは、大学3年生の時。悩みを抱え“自分探し”状態だった時に、出会ったのが“禅”だった。

西洋の哲学書を読んでも安らかになれず、さらに模索する中、「思想だけど、体感がある」と観じた禅。

哲学的な統合性がとれていながらも体感を重視している禅は、思想であり・坐禅であり・生き方のメソッドであると、のめり込んでいった。

さらに、振り返ってみると実家の寺が禅宗であることに気づき、ずっと拒否していた僧侶になるための修行にも、行きたくてたまらなくなったという。

藤井が岩手の修行道場に入ったのは、1995年の3月1日。阪神淡路大震災が起こった年だ。

「阪神淡路大震災のことはもちろん知っていたけど、遠かったこともあり、実感がなかったんです。とはいえ、前年の北海道南西沖地震の際、函館でも揺れたので、震災のイメージはありました。」

しかしながら、修行当初100日間は情報や外との接触が禁止。気になりつつも、修行優先だと思っていたという。そんな中、地下鉄サリン事件が起こる。

事件のことは何となく知っていたが、日本中にどんな影響を与えられたのか、わかっていなかったと話す。

修行100日間が終わり徐々に外出できるようになった時、たった3ヶ月の間に、事件前後で日本が変わってしまったことに気づかされた。

何となく落ち着かない様子の人たちを見据え、修行をしながらも社会と接点を持ち、仏教や禅を伝えることで、人々をよい方向へと導く手伝いができないかとの思いから、曹洞宗国際ボランティア会(現:公益社団法人シャンティ国際ボランティア会)の会員となった藤井。

そして、その団体が神戸に滞在・活動していることを知り、自身の神戸行きを決意したのだ。

相手の話を聞くことこそが、地域の見守り、コミュニティの構築へとつながっていく

きちんと被災地と向き合いたい。そんな思いから、修行を終えた後、無期限で被災地入りした藤井。事務局に直談判し、ボランティアから事務局職員となり、様々な活動に携わった。

その1つが識字学級「ひまわりの会」の立ち上げだ。震災で地域のコミュニティを失い、その結果、孤立を生み出していると感じた藤井。事務局の撤退後もその会の事務局長として、神戸に残った。

「会を守りたいという思いはもちろん、それ以上に自分が神戸に残りたかった。これまで出会った神戸の人たちと一緒にいたい、もっとお話を聞きたかったんです」

対話を通じてコミュニティを築き、円滑にしていくことで、地域が自然によい流れにのっていけばいい。そんな思いで、ボランティアコーディネーターや仮設住宅・市営住宅の訪問、お茶会の開催などを続けた。活動を行う中で、“お坊さんとして支援することの限界”をすぐに感じたという。

「私が支援していた被災地では、2km四方ほどの場所で128人の方が亡くなった。家族を亡くした人も大勢いる。そんなところで法要をやっても、何の力にもなれないなと。

もう1ついうと、心で癒すのも無理だと思ったんです。二十歳そこそこの私が、人生の大先輩たちを相手に何を諭せるんだと。それでも続けたかったのが識字学級でした。」

識字学級とは、教える側と教えられる側は対等であるという歴史を持ち、“やってあげる・やってもらう”ではないところが、藤井の性に合っていた。

ただ教えるのではなく、一緒に文章を作ることで達成感を感じながら、話を聞くことができる。まさに「傾聴」のような活動なのだ。

「本当に真摯に相手の言葉を聞くだけ、それだけをやっていたんです」

訪問して話を聞くことも、いつしか“見守り”活動となった。最初は訝しがっていた人とも徐々に打ち解け、用事がなくても話をするようになった。

何かを訴えるわけではなく、聞いてくれる人がいるから話す。話すことで自分を解放することにつながるのだ。

身体へのアプローチが、心をも変えていく

聞くことはできても、心の痛みを治すのは難しい。もともと腰痛持ちであり、“身体を治す”ことに強い興味を持っていた藤井は、ボランティア活動のかたわら、専門学校にて整体の資格を取得。

学んだことを活かし、“お坊さんの整体やさん”として被災地での施術をはじめた。来てくれる人のほとんどが被災者の方々。施術が終わった後、いろんな話をしてくれたという。

「慰霊祭の話をしたら、一度も参加していないという患者さんがいました。理由を聞いてみると、その方はもともと病院の婦長さんで、当時のことを強烈に思い出してしまう、それをわかっているから出られないといわれたんです。

でも、次の慰霊祭の後、“今年は行きました”と話してくれました。ちゃんと震災に向かい合うことができました、と。」

まさに、身体を調えることで心まで調えることができた。身体も心もゆるまったからこそであろうと実感した瞬間だった。

仏教と社会がつながっていることを伝えたい

「仏教はもちろん、お坊さんやお寺が素晴らしい資質を持っていると伝えたい。お寺という“場”は、人と対話し、助け合い、気づきを与えてくれるのです」

過去に記事で「修行と健康」をテーマに、僧侶として健康について語った経験からそう語る藤井。

仏教とのご縁でお坊さんをさせていただいているからこそ、人のために何ができるかをしっかりと持つ必要があるという。

「これからもこれまで同様、仏教を多くの人に伝えることより、人のためにできることを行い、シンプルに伝えていくことを大切にしたい。そのために、自分自身を磨き、お坊さん仲間と共に切磋琢磨しながら、伝えていきたいですね。」

―インタビュアーの目線―

阪神淡路大震災でのボランティア、そして整体を通じて、「聞く」ことに真摯に向き合った藤井さん。多くの人にとって、「聞いてもらう」ことは、大きな支えであり、救いになったことでしょう。

日常生活において仏教を意識することが少なくなってきているからこそ、藤井さんの活動が、多くの人にとって仏教を身近に感じる、仏教と私たちがつながっていることに気づくきっかけになってほしいと感じました。

プロフィール

藤井 隆英(ふじい りゅうえい)49

東京都八王子市/曹洞宗(禅宗)僧侶。整体師。

禅健康法第一人者。仏教身体研究家。

zafu代表。身心堂 主宰 主任講師。

北海道大学水産学部卒業。同大学院中退。

国内有数NGO職員として阪神淡路大震災復興ボランティア活動に参加。10年間多種に渡って活動。

健康に特化した禅を伝えるべく、臨済宗僧侶 樺島勝徳を師とし、数々の講座や講演、企業研修を行う。

マインドフルネスの祖ティク・ナット・ハン師を信奉。

問いの言葉の連なり「思惟詩」の制作、発表。

「身体と心をととのえる禅の作法」他、連載含め著書や記事多数。

空気式携帯坐禅座布団「zafuざふ」を開発。

日本マインドフルネス学会会員 

朝日カルチャー講師

“zafu”  zafu.jp