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札幌市にある惠弘寺(えこうじ)は、今回ご紹介する足立隆厳(あだち りゅうげん)住職により2014年に建立されたお寺である。

「お坊さんになるなんて考えたことはなかった。」

そう語る足立は福岡の一般家庭で生まれ育ち、40代後半まではサラリーマンとして働いていた。

しかし、現在は僧侶であるとともに臨床宗教師・札幌市保護司としても活動している。

仏道とは無縁だった足立は、いかにして僧侶になり、自らの仏道を見つけてきたのか。

「仏教は生きている人のためにある。」そう語る彼はどのような僧侶なのか。

自らの祖父母の供養を目指し仏道へ

福岡のごく一般的な家庭に育った足立は、社会人として実家の家業を手伝ったり、何度かの転職を経て自ら事業を経営するなど仏教からは縁遠い人生を歩んでいた。

しかし、ある日経営していた会社を閉じることを決意する。

「当時はお金を稼ぐことに執着する日々が続き、毎日が暗い気持ちでいっぱいだった」

と足立はその時の心のうちを語る。

ある日、足立は不可思議な体験をする。

「夜中に寝ていたらすでに亡くなっていた祖父母の姿を見たのです。」

夢か現かわからないが、確かに祖父母が微笑みかけてくれていた。

「今思えば、『まだまだこれからだよ』と諭されているような気がしましたね。」

その後、活力を取り戻した足立は札幌の葬儀社で働き始める。

しかし、そこで見たのは人の思いに寄り添うとは程遠い、ビジネスライクな葬儀の現場だった。

「思いのない人たちに拝んでほしくなかった」と感じた足立の心によぎったのは、自らが僧侶になり、人生を助けてくれた祖父母を自らの手できちんと供養してあげたいという純粋な気持ちだった。

そんな時、足立は1人の僧侶と出会う。「葬儀社で働いていた時、いろんな宗派の葬儀を見てきましたが、その方が最も美しい所作でスムーズな葬儀をされていたのです。」

足立はその僧侶に「祖父母の供養を自ら行いたい」と仏門に入りたい旨を相談した。

「サラリーマンとの違いや、一般家庭で育った私が僧侶になることの難しさを丁寧に説いてくださったのちに、『本当に覚悟があるのなら、私のお寺で役僧として修行なさい』と。」

こうして足立は祖父母への思いを胸に48歳にして仏教の道を歩み始める。

寺院以外でお坊さんは求められている

足立は仏門に入り、修行を重ねる中で仲間から「臨床宗教師」の存在を聞かされた。

臨床宗教師とは、ガンなどの病により終末期にある人や災害などで心に傷を負った人の悲しみや苦しみに寄り添いケアをする宗教者である。

「お坊さんがお寺だけではなく、病院でも活動できることを知り、仏の道を歩む者として私もやらなければと思いました。」

その心にはやはり祖父母への思いがある。祖父母が亡くなる時に、自らがそばにいることができなかった後悔。同じように終末期を迎えてもなかなか家族と触れ合えない人を放っておくことはできなかった。

また、足立は同じ宗派の僧侶から「札幌には保護司が足りていない」という現状を聞き、保護司としても活動している。

保護司とは、犯罪を犯してしまい刑務所へ収容されている人や仮釈放・保護観察中の人が再び再犯に走らないように面談を行い、社会復帰を見守るボランティアである。

「自らが犯した罪への後悔や反省に悩む人やそのご家族と多くの方が心のケアを必要としています。」

最初は臨床宗教師や保護司の存在すら知らなかったという足立だが、「お坊さんと話したい」と多くの人が自分たち僧侶を必要としている現実がそこにはあった。

「お坊さんというとやはりお葬式や法要など死後に関わることが多い印象でした。しかし、今を懸命に生きている人もまた仏の救いを必要としていた。これもまた同様に私たち僧侶の役目だと感じたんです。」

人との対話で気づく、自らのできること

足立の胸には臨床宗教師として初めて出会った、末期ガン患者の女性の言葉が今も刻まれている。新潟の病院に傾聴に伺った時のことだ。

「『あなたの歳の時には自分が死ぬことなんて考えたこともなかった。お坊さん、私みたいに死ぬ時に家族が看取ってくれないような死に方はしないでね。』とおっしゃいました。

この方は自分の命がもう少しであることを自覚し、死への覚悟ができていたんですね。」

大事な人生の終焉の場所に立ち会うこと。そこで話を聞く相手が自分であることの重要さ。それを初めて実感した。

「自らの死を受け入れることができていない人も当然います。『死んだらどうなると思う?』とよく聞かれますが、正解はありません。

相手の方がどう答えを出したいのか。僧侶の立場からどう寄り添うべきなのか。一人一人と会話することの大切さを教えていただきました。」

その女性患者は学校の先生として生涯を捧げていたそうだ。

「『私の人生はたくさんの教え子との出会いで満たされている。だからお坊さんもたくさんの人と出会って人生を楽しんでね』と。

本当は私が彼女をケアをする立場でしたが、実際には彼女から多くのことを教わったような経験でした。」

それからは葬式だけではなく、北海道胆振東部地震の被災地ボランティアに参加するなど、自分が僧侶としてできることを実行しようと決意した。

人を笑わせる。それは「日常」。

臨床宗教師、保護司、ボランティアと活動し多くの人と対話を重ねる中で、足立には感じとったことがある。

「人が癒されるのは、ありがたい法話でもなんでもなく、本当にたわいもない話だったりするんです。」

足立が北海道地震のボランティアへ参加した時のことだ。

被災者の人が「笑えるひと時が欲しいんです」とこぼしたそうだ。お笑いのセンスなどないと困った足立は、どうすれば良いのか思い切って聞いてみた。

「本当になんでもいいんです。仏教の話じゃなくてもいい。お坊さんと何気ない会話をできていることで安心するんです。」とその方は答えたそうだ。

単に笑えるといっても、漫才を見て笑うようなものではなかった。それは日常を取り戻すための会話であり、毎日人と普通のことを話せるという当たり前のことが、人々の安心と笑顔につながっていた。

「これからもお坊さん=葬式といったイメージを振り払いたいと思っています。重病の方も、被災者の方も、ご遺族の方も。今生きている人のために、できる限り多くの人とこれからも対話していきます。」

―インタビュアーの目線―

いまを生きる人のために対話を中心に活動を広げる足立さん。

ご自身が人生に迷った際に亡くなった祖父母様から言葉を頂いたのも仏様のご縁だったことでしょう。

その時の体験がいまの足立さんの活動の原動力になっているのではないでしょうか。

これから高齢化社会がさらに加速していく中で、足立さんの活動が広がり多くの人の助けになっていってほしいと思います。

プロフィール

足立 隆厳(あだち りゅうげん)55

札幌市/高野山真言宗 圓通山惠弘寺 住職

日本臨床宗教師会認定臨床宗教師

札幌市保護司

札幌BONZEくらぶ代表

国境なき僧侶団メンバー 

1963年福岡市生まれ。

親族の経営する会社で勤務したのち、自営業として経営者などを経験。2000年に葬儀社で働いた時の経験から、自ら僧侶になる。僧侶のできることは何かと考え、臨床宗教師、保護司の一面も持ち、東日本大震災や北海道胆振東部地震でのボランティア活動やラジオパーソナリティーなど多岐に渡り活動している。