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長野県松本市にある浄土宗・玄向寺(げんこうじ)。

この寺の特徴といえば、約1350株の牡丹が植えられた見目麗(みめうるわ)しい庭園だ。通称「ぼたん寺」と呼ばれるこの寺院の副住職が、荻須真尚(おぎす しんしょう)。

彼は京都大学や大阪大学で仏教について深く学んだ非常に熱意の高い人物である。2500年前のお釈迦様の言葉をわかりやすく嚙み砕き、人々に一つずつ丁寧に教える荻須の仏教への思いは非常に厚い。

そんな彼の妻が、フランスからの元留学生だというから驚きである。二人が結婚に至るまでにはどんなことがあったのか。そして、彼はどんな僧侶なのだろうか。

檀家から見える寺院の姿とは。進学先で知ったわかりやすく伝える大切さ

寺院の長男として生まれた荻須に、真の和尚になるようにと祖父が願いを込めて「真尚」という名前をつけたという。

その意味を自身は理解できていない幼少期、法要に来た檀家のお年寄りたちの間を走り回っていると「あとは頼んだぞ」という言葉を投げられてきたそうだ。

それが「俺たちが亡くなったあとは、お前が供養してくれよ」という意味だと理解できたのは高校生の頃。当時、全国大会に出るサッカーの強豪校に所属していた荻須だったが、この事実を認識したことで檀家との関係と自らに課せられた「寺院の後を継ぐ責任」を自覚するようになった。

本来、住職になるためには宗門大学に進学するのが正道だが、荻須はより檀家の気持ちを理解することが必要と考え「将来は住職を継ぐから今は一般の大学へ行き、一般人の目から寺院がどう見えるかを知りたい」と父に相談。在学中に住職の資格を取ることを交換条件に茨城の国立大学へ進学した。

そこでは日本史学を専攻していた荻須だったが、学ぶことへの面白さに目覚め更なる進学を父に志願したという。

大学卒業後、京都・黒谷の浄土宗大本山金戒光明寺内の浄土宗教師修練道場にて1年間学び、その後、聴講生として京都大学や大阪大学などで計3年間、浄土学・仏教学、さらにはインドやチベット、ブータンを旅して、現地で「生きた仏教・人々の心の拠り所となっている仏教」を学ぶ道をたどることになった。

そんな学生時代に恩師から「現代は本来のお釈迦様の言葉・お経から逸脱して、真実を伝えるいう行為ではなく、ただその人の考えをもっともらしく説く行為に成り下がっている」ことを指摘される。

2500年前のお釈迦様の話は大学で長年学んできた僧侶でも難しい。しかしお釈迦様の声を聞きたい人がいる以上、それからブレてはいけない。ここから荻須はわかりやすく噛み砕く必要がある。この経験からひとつずつ丁寧に教えてあげることを大切にするようになった。

カンボジアでの学校作りや妻との出会い

きちんと伝える・教えることの大切を学び、副住職になった荻須は、長野県中部にある長野県中信地区仏教青年連盟に所属することになる。

そして今から12年前にカンボジア・プノンペンに小学校を寄贈する連盟事業に、広報部長兼ボランティア部長として参加。

小学校の建設資金300万円をバザーや寄付等で集め、いざ寄贈するべく現地での贈呈式にあわせた視察で、荻須はプノンペンにてポルポト政権による虐殺が残した爪痕を目撃する。

知識階層で民衆の指導的な立場だった学校教員はみんな犠牲になっており、子供達を教えられる人材が枯渇していたのだ。

来訪した小学校のある場所はのどかな田舎である一方で、まだあちこちに地雷が埋まっていた。それだけでなく各所に瓦礫や汚物も除去して、井戸やトイレも備えた小学校を建設し、贈呈することができた。

不安もある中で、荻須が見たのは子供達が目を輝かせながら絵本を読み、ボールや器具を奪い合うようにしてサッカーやバドミントンを楽しむ光景であった。

「日本では学校に行きたくないという子供もいるのに、この子供達は学ぶことに目を輝かしながら、喜んでやっている」

この小学校寄贈事業を通じ、カンボジアで嬉しそうに学ぶ子供達を見た荻須は、幼き頃に祖父から仏壇に手を合わせることを教わった姿と重なったという。

祖父は「教育は大事だぞ。親が仏壇の前で手を合わすと、子供もその姿を見て、自然と手を合わせるようになる。教え、育てることは人間形成の中でとても大切なことだ。」と教えてくれたという。この経験も荻須の「伝える・教える」ことへの熱心さに力を与えた。

その後、荻須は大切な人と出会うことになる。2003年、当時信州大学の留学生だった妻との出会いだ。

彼女の在籍していたフランスの大学は積極的に海外への留学を推奨しており、当初は中国の大学へ留学する予定だった。しかし当時流行していたSARS(感染症)の影響から行き先を急きょ変更して、長野県松本市にある信州大学に。

大学のある松本市は戦後、荒廃した人々の心を元気づけるべく始まった、花いっぱい運動発祥の地。

その運動に共感して、歴代住職が明治時代より植え育てていた牡丹を、祖父が1000株まで増やし、さらに父が350株増やして、1350株余の美しい牡丹が咲く玄向寺の庭園を見に来たのが二人の出会いだった。

「フランス人が日本の寺院に嫁ぐ」3年連続の来日に揺れる心

フランス語やドイツ語など複数の言語を話せる彼女に対し、片言の英語しか話せない荻須。だが、親戚先の中にパリで活躍した洋画家・荻須高徳がいたことから、幼い頃よりフランスには親近感があったという。

その年の信州は、長野市の善光寺が7年に1度の御開帳の年に当たり、そこへお参りに連れて行ったり、京都・奈良まで足を伸ばしたりして、彼女が日本にいる間、各地を案内した。

交流の過程で、荻須の人柄に惚れ込んだ彼女は熱烈なアプローチをし、帰国した翌年もまた信州大学へ留学生として再来日。荻須の元へ来ようとしたが、彼女の気持ちに気づいた荻須はその気持ちに応えられないので、この時は自らの気持ちを押し殺して、彼女と会わない道を選んだ。

しかし、彼女の愛と熱意、行動はものすごく、真剣な姿に周りにいる多くの人々の心が動かされた。

彼女は荻須とのコミュニケーションである日本語を忘れないために、大学卒業後、大学院に進学して日本語を学んだ。さらに日本へ3回目の留学をして、京都の日本語専門学校に半年通い、その後、東京・銀座のエルメスで企業研修として働きながら、日本語と日本のことを学んだ。

帰国後、日本語ができるスタッフを募集していたルイヴィトンのパリ本店に就職。そこで日本語の習得技術を磨きながら、ずっと荻須に出会ってから足掛け7年も想いを寄せ続けた。その深い想いに心を動かされた荻須は、彼女の想いを受け入れる覚悟を決めた。

「真尚とこのお寺が好きなんです。私は外国人ですから、日本人の女性が1回でできることをすぐにはできないでしょう。しかし、2回、3回と時間をかけてでも覚えて行います。茶道も華道も着物も勉強しますから、どうぞこの寺に居させてください。」

住職である荻須の父と母に、彼女が会った時、そう彼女は決意を伝えたという。

快諾したフランスの義父、説得してくれた実父。熱意と行動が人の心を動かす

今度は荻須が妻のご両親へ結婚したい想いを伝える番になった。

フランスの彼女の家を訪れた荻須を待っていたのは、なんと親戚全員を集めた盛大なパーティーだった。

まだ認めてもいない状態で歓待を受けた荻須は面食らいつつも、改めて妻の両親へ挨拶をした。「娘さんを荻須家の嫁にください」という荻須の言葉に対し、彼女の父は

「フランスでは娘を一家の嫁に渡すなどの感覚はない。娘が好きな人と一緒に居られるなら、父として嬉しいことはない。」という温かい言葉を返してくれた。

フランスでは心温まる歓迎だったものの、本当の問題はここからだった。

帰国後、今度はかつてプレッシャーのかかる言葉をかけた玄向寺の檀家たちに説明しなければいけなかったのだ。父である住職が檀家を集めて「息子の副住職が結婚したいと言っている。相手はフランス人だ」と言ったところ、全員無言だった。

フランスの時とは真逆の反応。しかしここで父はこんな言葉を熱く語ってくれた。

「息子と彼女は足かけ7年の付き合い。彼女の想いを聞いた時、この人ならこの寺を守ってくれると感じた。」

すると、檀家のひとりから「玄向寺を守ってくれる人なら応援する」と言って拍手し、そして檀家全員が拍手してくれたのだという。フランスは仏国と書く、つまり仏の国から玄向寺に嫁がきたと言って喜ぶ声もあり、翌日には松本市内まで噂が広まったという。

驚き、戸惑う反応だった檀家たちの気持ちを、妻の想いを汲んだ父の言葉が変えてくれた。

父は、「私達は仏教徒だ。仏教では生まれや育ちではなく、その人がどう行動するかが大切としている。お檀家の皆さんに結婚を許してもらったから、今度はお前たちがどう行動して、お檀家さんに寄り添い、寺を護っていくか、行動で示すことが大切だぞ。」と話してくれた。

「人に思いを伝えるには熱意と行動が必要。フランスから来た妻と彼女の気持ちを受け入れてくれた父から教わりました。」

これまであった家の宗教ではなく、個人が理解して信仰する宗教を目指したいと語る荻須。それを実現するために多くの仲間を増やし、地域の寺院と協力関係を築くべくきちんと思いを伝えることが不可欠になる。

仏教がいまを生きる人のために何ができるのか、苦しみに満ちたこの世を正しく生きるために説かれた仏教を多くの皆さんに伝えて、実践してもらうために、荻須は大切な妻と父から教わった熱意と行動力でこれからも活動を続けていく決意だ。

―インタビュアーの目線―

学生時代、思いをきちんと伝える大切さを学んだ僧侶である荻須さん。

カンボジアの学校作り、そしてフランス人である奥様との結婚を通し、そのためには熱意と行動力が大切であることを、実感を持って知ることができました。

この経験で得た貴重な学びを元に、これからも正しい仏教を伝えてくれることでしょう。

プロフィール

荻須 真尚(おぎす しんしょう)43

長野県松本市/浄土宗 女鳥羽山道樹院玄向寺 副住職

松本富貴雅楽会 会長

松本浄土宗青年会 会長

1975年 長野県松本市生まれ

茨城大学卒業後、京都大学・佛教大学・大阪大学に科目等履修生として、仏教学・浄土学・日本史学等を学ぶ。

長野県中信地区仏教青年連盟の事業活動として、カンボジアに小学校を現地に寄贈する。

地元松本に「松本富貴雅楽会」を創設し、日本の伝統音楽である雅楽の普及と発展のために、元宮内庁式部職楽部首席楽長の岩波滋氏(松本市出身)を迎え雅楽の稽古に励み、また各地で雅楽演奏を行っている。

玄向寺 https://www.genkouji.jp/