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大分県由布市に本院を置く功徳院は、東京・巣鴨に別院を持つ、高野山真言宗のお寺。1998年には「すがも平和霊苑」が開所し、墓地問題にも積極的に取り組んでいる。

そんな功徳院別院の住職が、松島龍戒だ。学生時代はさまざまな楽器を自ら操り、作曲、CDジャケットの作成と、音楽制作に熱中。現在もお経を音楽に乗せた楽曲を作り、コンサートホール、病院、施設などでライブを開催するほか、YouTubeにも動画を投稿している。

得意な音楽を生かし、独自の方法で人々と仏教との架け橋を生み出した彼は、いったいどのような僧侶なのだろうか。

音楽制作に没頭した学生時代。東京別院の建立をきっかけに、僧侶の道へ

松島は神奈川県平塚市に生まれ、一般家庭で育った。叔父は大分の功徳院の住職を務めていたが、その弟である松島の父は、仏教の修行後お寺に残ることを選ばず不動産などを営んでいたのだ。

学生時代の松島は、音楽活動に没頭。ロックバンドを組んで演奏をしたり、ギターやベース、ドラム、シンセサイザーを自ら弾き、楽曲の制作も行っていたという。

しかし、松島が大学生だったときに、巣鴨に功徳院の別院を作る仕事に携わっていた父から「お前がお寺を継がないか」と声がかかる。先代住職は若くして体が丈夫でなかったこともあり、後継が必要だった。

正直、音楽ばかりやっていた松島にとって仏教は馴染みのあるものではなかったが、後継ぎとなることが決まり、お坊さんの道へ進むことに。文教大学を卒業後、高野山で1年の修行を経て功徳院へ入山した。

テレビ朝日の番組『ぶっちゃけ寺』に出演した際、なぜお坊さんになったのかと聞かれた松島は「そこに寺があったから」と答えたのだが、まさにその通りである。

 音楽を融合させてお経を広める「仏教に関心のある人ない人問わず、聞いてもらえるかどうかにこだわりたい」

お坊さんになったばかりの頃、入院する母の見舞いに袈裟を着て病院へ行ったところ、誰かが亡くなったのだと勘違いされ、病院の受付が騒然としたことがあった。

そのとき、僧侶のイメージはまだ一般市民にとって不自然であり、時には「死」を連想されてしまうことすらあると、改めて感じたという。

たしかに、功徳院は「すがも平和霊苑」という墓地があり、生老病死の「死」には真剣に携わっている。しかし、こうした僧侶のイメージを変えるには、「生老病」にも向き合わなくてはいけない。

そう考えたのが、臨床宗教師として病院でボランティアをするなど、お寺の外で活動を始めるきっかけになった。

いっぽうで、僧侶になった後も音楽を続けていたことに後ろめたさを感じていたという。しかし考えてみれば、賛美歌やゴスペルなど、音楽のルーツというのは世界的にも宗教であることが多い。

そう気づいた松島は、お経を音楽に乗せた楽曲を作り、コンサートホールや病院などで、ライブを開催するようになっていった 。テレビ番組で、木魚を叩きながらジングルベル歌う姿が取り上げられたこともある。

ただ、仏教にはもともと、お経に節のついた「声明」というものがあるのだ。なぜ、わざわざ独自の楽曲を作るのかについて、松島はこう語る。

音楽を作っているのは、人々が仏教に対して感じている壁を取り払うためなんです。だからこだわっているのは「仏教に関心のある人ない人に問わず、聞いてもらえるかどうか」。

音楽を知った後に、「このルーツは仏教なんだ」とわかってもらえればいいので、より敷居の低い形でお経に触れてもらえるよう、独自に楽曲を制作しています。

病院へ「お経をあげに行きます」と尋ねると、病院としては受け入れ難い。そこで松島は「仏教音楽体験」と言い換え、自分が作った仏教音楽でお経を披露したり、患者さんたちに木魚を触ってもらったりしているのだ。

仏教と音楽、木魚とジングルベル、お坊さんと病院、松島の行うこれらの活動は「異質なもののコラボレーション」と捉えられることも少なくないが、家族がもともと他人同士であるように、社会は異質なものの組み合わせで成り立っていると松島は語る。

仏教には、どこにも偏ってはいけないという「中道」の教えがあるため、そもそも「これが普通」という考え方がありません。

本当は誰も「普通」じゃなくて、社会の中に身をおくというのは、自分と異なるものの中で生きること、自分と違う相手と生きることなんです。その大前提に立つことで、抱えている悩みが解消されていく人もいると思っています。

お坊さんのイメージを変えて「人々の多面性や多様な価値観を認める仏教の教え」を広めていきたい

松島の目標は、「お坊さんがどんな場所にいても不自然ではない社会」を作ることだ。そして、その社会の中で、人々の多面性や多様な価値観を認める仏教の教えを広めていきたいと語る。

具体的には、今後単身世帯が増えていく中でも、そういった教えが必要になってくるだろう。単身世帯の増加に伴い、「温かいベッドの中で家族に看取られて亡くなり、葬儀にたくさんの人が参列する」といった今まで理想とされてきた最期を迎える人は、少なくなっていく。しかし、どんな生き方、死に方にも価値があるという考え方が広まれば、「単身のまま亡くなることは寂しい」という固定観念に苦しむ人を救うことができるのである。

また、実際に、功徳院のすがも平和霊苑は、他宗教、無宗教、家族構成、地縁問わず誰でも墓地や本堂施設の利用ができ、苑内には従来制度にとらわれない墓地が用意されているのが特徴だ。

たとえば、ひとつのお墓に多くの遺骨を埋蔵する「合葬墓」の場合、寺が管理、供養の責任を負うため、安価で管理費が不要である。配偶者や子供がいないなどの理由で、従来制度のお墓に入ることが困難な人、従来制度の墓に入ることになじめない人、子供に負担を残したくないと考えている人などが利用しているという。

仏教の「曼荼羅図」には、いろいろな仏様や鬼、動物、人種がごちゃまぜに描かれています。これはまさに、いろいろな役割や価値観によって構成されている社会の縮図。特にこれからの世の中は、異質なものを受け入れ、お互いにバランスを保っていくという考え方が不可欠になっていくのではないでしょうか。

―インタビュアーの目線―

自分の得意な「音楽」をお経と掛け合わせることで、人々に仏教を身近に感じてもらうための、新たな入り口を生み出した松島さん。

従来のあり方にこだわるのでなく、「いかにして多くの人に寄り添えるものを作るか」を徹底的に突き詰める姿勢は、すがも霊苑の墓地のシステムなどにも、通ずる部分があるのではないかと感じました。

これからも素敵な仏教音楽を制作し、多様な人々が仏教と出会うきっかけを生み出していかれることでしょう。

プロフィール

松島 龍戒(まつしま りゅうかい)50

東京都豊島区/高野山真言宗 龍源山功徳院 住職

一般社団法人現代仏教音楽研究会 代表理事

一般社団法人日本臨床宗教師会 認定臨床宗教師

1968年神奈川県生まれ。                                 文教大学卒業後、高野山大学大学院文学研究科修士課程修了。功徳院住職として仏道普及、墓地問題に取り組むいっぽう、現代仏教音楽研究会を主宰、お経の癒やし効果を追求。寺、コンサートホール、病院、施設などで仏教音楽ライブを開催。また、終末期医療と仏教の共存を目指し緩和ケア病棟や高齢者施設での仏教体験活動に励む。

著書:

『それでいい!今どきの仏事108問答』(2019 WAVE出版)、

『CD付き 書く、唱える、聴く 般若心経手習い帖』(2018 池田書店)

監修本:

『新発見!日本の古寺』(2018 三栄書房)

『すばらしいお寺・神社ベスト80』(2016 プレジデント社)

仏教音楽CD/DVD『聲奏一如』シリーズの企画、演奏、作・編曲のほか、仏教音楽コンサートの企画、演出を手がける。

功徳院  https://www.haka.co.jp