音楽を融合させてお経を広める「仏教に関心のある人ない人問わず、聞いてもらえるかどうかにこだわりたい」
お坊さんになったばかりの頃、入院する母の見舞いに袈裟を着て病院へ行ったところ、誰かが亡くなったのだと勘違いされ、病院の受付が騒然としたことがあった。
そのとき、僧侶のイメージはまだ一般市民にとって不自然であり、時には「死」を連想されてしまうことすらあると、改めて感じたという。
たしかに、功徳院は「すがも平和霊苑」という墓地があり、生老病死の「死」には真剣に携わっている。しかし、こうした僧侶のイメージを変えるには、「生老病」にも向き合わなくてはいけない。
そう考えたのが、臨床宗教師として病院でボランティアをするなど、お寺の外で活動を始めるきっかけになった。
いっぽうで、僧侶になった後も音楽を続けていたことに後ろめたさを感じていたという。しかし考えてみれば、賛美歌やゴスペルなど、音楽のルーツというのは世界的にも宗教であることが多い。
そう気づいた松島は、お経を音楽に乗せた楽曲を作り、コンサートホールや病院などで、ライブを開催するようになっていった 。テレビ番組で、木魚を叩きながらジングルベル歌う姿が取り上げられたこともある。
ただ、仏教にはもともと、お経に節のついた「声明」というものがあるのだ。なぜ、わざわざ独自の楽曲を作るのかについて、松島はこう語る。
音楽を作っているのは、人々が仏教に対して感じている壁を取り払うためなんです。だからこだわっているのは「仏教に関心のある人ない人に問わず、聞いてもらえるかどうか」。
音楽を知った後に、「このルーツは仏教なんだ」とわかってもらえればいいので、より敷居の低い形でお経に触れてもらえるよう、独自に楽曲を制作しています。
病院へ「お経をあげに行きます」と尋ねると、病院としては受け入れ難い。そこで松島は「仏教音楽体験」と言い換え、自分が作った仏教音楽でお経を披露したり、患者さんたちに木魚を触ってもらったりしているのだ。
仏教と音楽、木魚とジングルベル、お坊さんと病院、松島の行うこれらの活動は「異質なもののコラボレーション」と捉えられることも少なくないが、家族がもともと他人同士であるように、社会は異質なものの組み合わせで成り立っていると松島は語る。
仏教には、どこにも偏ってはいけないという「中道」の教えがあるため、そもそも「これが普通」という考え方がありません。
本当は誰も「普通」じゃなくて、社会の中に身をおくというのは、自分と異なるものの中で生きること、自分と違う相手と生きることなんです。その大前提に立つことで、抱えている悩みが解消されていく人もいると思っています。