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蓮昌寺住職の雄谷 良成(おおや りょうせい)は、仏教界のみならず、福祉やまちづくりの世界で名の通った人物だ。

これまで福祉業界は、障害者や高齢者、学生などを縦割りで分けてきた。社会福祉法人佛子園の理事長でもある雄谷は、それらの人々を“ごちゃ混ぜ”にし、地域ケアの在り方に新たな手法を示した。

「人と人とのつながりの連続でいつの間にかこうなった」と語る雄谷のこれまでの歩みと、そこから見えてくる寺の役割について聞いた。

ごちゃ混ぜで育った子供時代

佛子園は、1960年に先代の住職である雄谷の祖父によって創設された。

知的障害者の入所施設にはじまり、障害者の就労支援施設や高齢者の介護施設の運営など、長年にわたり地域の福祉を担ってきた。

2013年には、高齢者や大学生、障害者などが分け隔てなく共生する地域拠点「シェア金沢」をオープン。新たなコミュニティの形を示す先進事例として、国内外から大きな注目を集めている。

雄谷は、佛子園創設の1年後の1961年に生まれた。祖父や両親が施設で働いていたため、障害者たちと同じ屋根のもとで生活し、多忙な家族の代わりに彼らに抱きかかえてもらったり、遊んでもらったりしていたそうだ。雄谷にとって、彼らはごく身近な存在だった。

“家族”を救いたいという思いで僧侶へ

宗門系の大学へ進学せず金沢大学を選んだり、特別支援学校の教員となりカリキュラムを作成したり、障害者教育の指導者を育成するために青年海外協力隊の一員としてドミニカ共和国に滞在したり、多岐に渡る活動に勤しんだ。

ドミニカからの帰国後、地元の新聞社に入社し活躍していた雄谷は、ある出来事をきっかけに実家に戻ることを決意した。

きっかけのひとつは、少年時代を一緒に過ごしたある障害者の入水騒動だ。

当時の佛子園には児童施設しかなかったため、一般企業に入社した彼はアパートで暮らしていた。仕事や日常生活のなかで精神的に追い詰められた彼は、ケアを受ける機会もなく失踪。

真冬の海への入水を試みたが、彼の様子を気に留めていた佛子園の職員と雄谷が失踪の情報をつかみ、捜索し、間一髪で救出に成功した。

さらに同時期には、別の障害者が勤務先から3年間も給料を受け取っていなかったことも判明した。

雄谷と家族同然である障害者たちの事例だけでなく、障害者を取り巻く環境のひどさを伝える案件が新聞社にも続々飛び込んできた。

「児童施設だけでは不十分。障害者福祉について真剣に考えなければ、そして、自分を家族のように育ててくれた人たちを助けなければと思いました。」

修行時代に出会った「三草二木」の考え方

34歳で実家に戻った雄谷は、僧籍取得のため日蓮宗の信行道場に入った。そこで、「三草二木(さんそうにもく)」という法華経の教えのひとつに出会った。

三草二木とは、

「太陽も雨も平等に大地に降り注ぐが、草木は、大きかったり、中くらいだったり、小さかったり、それぞれ異なった成長をし、花を咲かせ、実を結ぶ。

地上には、大きさのほか、姿や形が異なる様々な草木が生い茂り、それぞれが持ち前を発揮している」

という意味だ。

小さい頃から障害者と一緒に生活してきた雄谷は、その教えを深く理解できた。彼にとって、三草二木はいまも重要なキーワードのひとつだ。

廃寺騒動で生まれた、みんなが集える施設

三草二木と肩を並べる重要なキーワードである「ごちゃ混ぜ」に雄谷が気づいたのは、かつて石川県小松市にあった西圓寺(さいえんじ)の廃寺騒動がきっかけだ。

西圓寺は他宗派の寺院であり、雄谷とは何の関係もなかった。住民から「廃寺になるあの寺をなんとかしてほしい」と頼られたものの、関わるにはハードルが高かった。

とはいえ、無下にはね除けるわけにもいかず、西圓寺の行く末を議論する場に立ち合うことにした。

「更地にして駐車場にすべきだ」などの意見も出たが、西圓寺の檀家のおばあさんの「この代で寺がなくなったら、私はあの世へいけない」という涙ながらの訴えに、雄谷はほだされた。

その結果、荒れ地になるのを避けるべく、雄谷と佛子園の利用者たちで定期的に掃除するしことになった。

しかし、本来関係のない雄谷たちが掃除を続けるにも限界はある。1年後に再度廃寺の在り方を検討したが、またもや檀家や地域の人々に「なんとかしてもらえないだろうか」と泣きつかれ、最終的に西圓寺の土地と建物を譲り受け、管理せざるを得なくなってしまった。

佛子園で譲り受けたその場所は、寺ではなく、佛子園の施設として活用することにした。名前は「三草二木 西圓寺」。

障害者の就労継続支援や生活介護、高齢者デイサービス、放課後等デイサービス、児童発達支援の機能のほか、利用者以外にも日常的に地域の人々が集まれるようカフェやコミュニティセンターの機能も設け、三者三様の人々が、各々の目的のもと集える施設となった。

ごちゃ混ぜだから居心地がいい

2008年1月の三草二木 西圓寺誕生後、55世帯だった同施設のある野田町地区の世帯数は76世帯にまで増えた。その中心はUターンしてきた若年層だ。

雄谷は、彼らが地区への転居を決めた主な理由が「居心地がいい」だったことに驚いた。

詳しく聞いてみると、「障害者が奇声を発したり、認知症の人が不思議な行動をとったりして最初は驚いたが、不思議と居心地がいい」という回答が返ってきた。

「この化学反応は、全く予期していませんでした。健常者、障害者、認知症といろいろな人がごちゃ混ぜになっていることが居心地のよさをつくっているのではないかと思ったのは、この件がきっかけです。」

それ以降、雄谷は積極的にごちゃ混ぜを推進している。「シェア金沢」も、三草二木西圓寺の件がなければ生まれなかったはずだ。

生きがいや喜びでまちを満たすには

雄谷は、「ごちゃ混ぜによる居心地の良さ」についてのヒントが、ハーバード大学のニコラス・A・クリスタキス教授が執筆した『つながり 社会的ネットワークの驚くべき力(原題:CONNECTED)』(講談社、2010年刊)の中にあると教えてくれた。

クリスタキス教授が取り組んだ実験の結果は以下の通りだ。

半径約1.6kmの中で、自分の近くにいる人に「私は幸せだ」と伝えると、そのうちおよそ15%の人がその言葉の影響を受けるという。

幸せと言った人の知り合いの知り合いでは10%、さらにその知り合いでは6%となる。これは、自分の全く知らない人にさえ何らかの影響を与え、その反対に自らも影響を受けているそうだ。

「実験結果に驚きました。仏教の縁起説や因果応報の考えと同じことが起こっていたからです。生きがいや喜びに溢れたまちにいると、それらが自分にも戻ってくる。

しかし、高齢者が引きこもっていたり、障害者への対応がひどかったりすると、まちが悲しみの空気に満ち、住民たちにも返ってくることを示唆しています。」

もうひとつ雄谷が教えてくれた、2016年の厚生労働省の発表データによると、ダウン症の人たちに「毎日幸せに思うことが多いか」と質問したところ71%が「はい」、20%が「ほとんどそう」と回答したという。

クリスタキス教授の研究結果を踏まえると、ダウン症の人が地域にいれば、みんなに幸せが伝播していく。ごちゃ混ぜによる居心地のよさは、これらの研究と調査結果からも示唆されているのだ。

人と人をつなげて課題を解決する寺を目指す

人を集めることに長けた雄谷に、現代の僧侶の多くが抱えている「寺に人が訪れない」という悩みについて尋ねてみた。

「寺が、問題を抱えている誰かの課題を解決する機能をもつ場所になることが重要です。

人と人が関わることによって互いの幸せを目指すことを“成仏”とするならば、課題解決も成仏を目指すひとつの方法でしょう。」

福祉と同様に、寺の仕事も、時代に合わせて効率が重視されるようになり、様々な事業が分割された。

寺はもともと多様な業務を果たしており、学校の代わりとして寺子屋を開いたり、役所の代わりに戸籍を扱ったりしていた。

廃寺になった西圓寺では、薬屋や両替商の看板、蚕の糸巻き機が天井裏から見つかったそうで、何でも屋っぷりには驚かされたそうだ。

雄谷は課題解決をうまく進める際のポイントを教えてくれた。

「寺で全てやろうとするのではなく、自分にできない領域を把握し、謙虚に受け止め、まちに自ら出ていき、できる人たちにつないでいくことが重要です。

そうすれば、困ったことや悩みごとがあった時に“お寺に行ってみよう”と考えてくれるようになるでしょう。

そこにただ存在するハコとしての寺ではなく、人と人がつながっている状態の寺であると、自ずと人は集まってくると思います。」

“人を育てられる人”を育てたい

僧侶としても経営者としても、今後も寺務や事業を継続していくには後進を育てなければならない。どのような人物を育成したいか尋ねると、雄谷は

「“人を育てられる人”を育てたい」

と答えた。有能な人を育てることは大変ではないが、“有能な人を育成できる人”を育てるのはとても難しいそうだ。

「これを目標にすると、育てる側の自分の評価は一生つきません。後進を育てられたかの評価は、育てた後進がさらにどのような後進を育てたかになり、それはずっと続くからです。

でも、私はそれでいいと思っています。その方が、人を育てる努力を継続できますから。」

雄谷、そしてその後進たちは、「三草二木」と「ごちゃ混ぜ」の精神でどのような未来を形づくっていくだろうか。命が続く限り、見守っていきたい。

―インタビュアーの目線―

取材する前に、行善寺施設内のレストランで蕎麦を頂きました。

その蕎麦はブータンのヒマラヤの高地で生育された蕎麦の実を直輸入で仕入れ、障害者スタッフの方たちが製粉、製麺しているとのこと。

ブータンの蕎麦の実を仕入れてから、その生産地域の年収は約2倍になり、平均寿命も上昇しているといいます。

雄谷さんがレストランで働く障害者スタッフの親に「お子様が製粉・製麺してお店に出している蕎麦で、ブータンの極貧の街が救われているんです」と伝えると、「あの子と生きてきてよかった」と喜んでくれたそうです。

人の悩みに耳を傾け、受け容れ、共に生きることは僧侶が持つ本来の資質です。宗派や国、地域にとらわれず共生のまちを作っている雄谷さんに「これからの社会とお寺ができること」についてお聞きしたところ、こうおっしゃっていました。

「西圓寺でのおばあちゃんの涙ながらの訴えが、いろいろな人やものごととつながり、結果的にブータンの生活を変えています。仏教的な縁って実におもしろいんです。」

プロフィール

雄谷良成(おおや りょうせい)  57才

石川県金沢市/日蓮宗普香山蓮昌寺・行善寺 住職

社会福祉法人佛子園 理事長

公益社団法人青年海外協力協会 会長

一般社団法人生涯活躍のまち推進協議会 会長

 

1961年 金沢市生まれ。

金沢大学卒業後、特別支援学校に教員として勤務。

青年海外協力隊としてドミニカへ。

帰国後、北國新聞社に入社し6年間勤務。

1994年 実家の佛子園に戻り、事業を展開。

2014年 シェア金沢オープン

2015年 三草二木 行善寺 開設

               輪島市生涯活躍のまち「輪島KABULET®プロジェクト」開始

蓮昌寺 http://renjyoji.jp/

佛子園 http://www.bussien.com/