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【高野山真言宗金蔵院】眞田 有快

高野山真言宗金蔵院 眞田 有快 さなだ ゆうかい

活力に満ち、引っ張ってくれる存在。

 横浜市磯子区にある金蔵院は、北条泰時が創建したことにルーツを持ち、1328年に理空上人が中興し開基された由緒あるお寺だ。その第44世住職が今回話を聞いた眞田有快(さなだゆうかい)である。

全国約3700ヶ寺の住職の中から27人だけが選ばれる高野山真言宗の宗会議員、横浜清風学園理事長を務め、横浜茶道連盟にも所属するなど幅広く活躍する眞田住職。彼は、いったいどんな僧侶なのだろうか。

自然とこのお寺を継ぐものだと思っていた。

 眞田は金蔵院に長男として生まれた。先代住職の父はもともと岡山の在家の出身だったが、戦後の混迷の中で菩提寺に引き取られ育てられたという。縁があり、高野山で修行を積んだのち、跡継ぎがいなかった金蔵院の住職となったそうだ。

しかし、眞田自身は幼少期、日頃から修行や手伝いを強制されることはなかった。「普段は何も言われることはありませんでした。在家出身の父からすると何か強制するとロクなことがないという思いも根本にあったのかもしれませんね」。

眞田は中学、高校と地元の一般校に進む一方で、漠然とお寺を継ぐ意識はあったという。「振り返れば勝手かもしれませんが、修行をした訳でもないのに自然とこのお寺を継ぐものだと思っていました」。和歌山にある本山の51ヶ寺の宿坊(宿泊のできるお寺)・西南院(さいなんいん)に住み込みで高野山大学に進学した。

「それまで何も修行をしてこなかったので、お経もお作法も知りませんから。何もかも初めての勉強であり、大学の授業から戻れば宿坊へ泊まる参詣者のお世話をこなす日々でした。不慣れなこともあり最初の頃は苦労が多かったですね」。

周囲にはすでに修行を積んだ同窓生も多かったというが、その人たちに負けないという気持ちで勉学に取り組んだそうだ。大学卒業後に修行道場を経て本山・金剛峯寺で勤務を始め、僧侶としての道を本格的に歩み始めた。

視座を広げられた、大切な法会。

 修行道場を出たのちにすぐに金蔵院に戻る選択肢はなかったのだろうか。「先代住職である父もまだ元気でしたし、『戻らずに本山に残ってはどうか?』とアドバイスされその気になったものの、いざ本山で勤務を始めると思ったより深い学びを得ることができ、自然と楽しくなりましたね」。

密教である真言宗ではさまざまな礼儀や作法、曼荼羅の配置といったルールが口伝で継承されることもあり、その場にいないと知り得ない学びも多くあるそうだ。

特に印象に残っているのは昭和59年に行われた『弘法大師御入定1150年御遠忌大法会』だという。これは真言宗を開宗した弘法大師空海が入定(にゅうじょう。永遠の瞑想に入ること)してから50年に1度開催されている大法会である。

「私が所属していたのが式典などを仕切る法会部だったこともあり、とにかく忙しく働いたものでした」と語る眞田。檀家を連れて全国から何十万人もの人が集まりお参りされる中で、法会の準備等に日々追われたという。

「法会式典の対応を終える参詣者のお世話の準備に追われ、また朝にはお勤めが始まりますから。時には睡眠時間が2時間という日もあったものです」。しかし、若くしてこういった経験を積んだことが視座を広げるきっかけになったといい、その後、金蔵院に副住職として戻った。

仏縁に導かれて、大きな仕事を任されるまでに。

 ある時、仕事で逗子を訪れ、駐車場に車を停めると近くにお寺があることに気づいたという。

「ふと御堂があることに気づいたんです。看板も出ていないようなお寺でしたが、せっかくだからと般若心経を唱えさせていただきました」。後々話を聞いてみると、そのお寺を兼務で住職として務めていた方が、父と縁のある住職だったそうだ。

「その方から住職として就任しないかと打診され、金蔵院の副住職とともに逗子・高養寺の住職となりました」。偶然が重なり、住職となった眞田だが立場が人を育ててくれると実感したそうだ。

「宗教とは不思議なもので、計算通りではいかない。これが仏縁なのかと思いましたね」。住職という肩書きを得たことで、これまでは就けなかった役職にもつけるようになったという。

「神奈川県内の116ヶ寺を統括する宗務支所の役には正住職でなければ就くことができませんでした。高養寺の住職となったことで、これまで以上にさまざまな仕事を任せてにらえるようになった。役が人を育てると言いますが、価値観や考え方がより広がりました」。

特に、2001年に横浜そごうで行われた美術展の運営に携わったことは大きな経験だったという。『弘法大師空海と高野山の秘宝展』と銘打たれた展覧会は、高野山に伝わる仏具、密教宝具、書跡などを展示しながら、大学教授のシンポジウムや、四国八十八ヶ所巡りを疑似体験できる場所が用意されたそうだ。

「かなり大掛かりなイベントとなり、設備はどう借りるのか、美術品をどう搬入するのか、資金問題や来場者数の読みなど…考えることは山ほどありました。特に一般の方はどうやったら来てくれるだろうか思案し、当日はお茶室で抹茶を飲む茶道体験やその場で写経してもらう企画を立ち上げました。想像よりも多くの方々にお越しいただけて、それはそれで案内などが当日は大変だったものの、盛況に終わらせることができました」。

その後、宗務支所副長や代議員、支所長などを歴任する中で、高野山真言宗宗会議員についても、眞田は自ら立候補して選挙によって就任している。

「単に周りから薦められただけなく、本来こういった役職は自らが本当にやりたいと思う人がやるべきだと考えていました。人や組織、引いては社会のために自分ができることは積極的に取り組んでいきたいですね」。

自然と前向きになるような存在に。

 眞田は高野山真言宗宗会議員、横浜清風学園理事長を務め、横浜茶道連盟、青年教師や保護司として地域貢献活動にも積極的に参加するなど休みなく働いている。

「本山で働いていた時の忙しさと比べれば、まだまだ平気ですよ」と明るく笑い飛ばすが、忙しくする方が性に合っているのだという。「役職仕事も、学校の理事長も、地域貢献もまずはやってみようという気持ちから始めたものでした。その度に新しい気づきがあり、それが人を成長させてくれる」と語る眞田。

「仏教離れと声高に言われる現代でも、多くの方々が救いや供養を求めてお寺にはやってきます。何か困ったことが起きた時に頼れる存在として、私たち僧侶がいる、ということをお伝えしていきたいですね」。

2034年には『弘法大師御入定1200年御遠忌大法会』が行われることを楽しみにしているという眞田。活力にあふれるその姿を見ると、自然と前を向きたくなる。そんな明るい雰囲気を持つ僧侶であった。

高野山真言宗 金蔵院

横浜市磯子区磯子4-3-6

JR磯子駅西口より徒歩18分
JR磯子駅西口からタクシーで5分
JR磯子駅西口から「芦名橋」バス停より徒歩3分

眞田有快高野山真言宗金蔵院

昭和34年に金蔵院の長男として生まれ育つ。高野山大学を卒業後、高野山専修学院での修行を経て、総本山金剛峯寺に職員として入寺し、法会部に配属。「弘法大師御入定・1150年御遠忌大法会」という50年に一度の行事に携わる。その後、金蔵院の副住職として戻り、逗子・高養寺の住職を兼務。高野山真言宗神奈川宗務支所長の後、宗会議員や横浜清風学園理事長、横浜茶道連盟の理事長を務める(令和7年2月現在)。 

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