
日蓮宗本興寺 浅井 慶信 あさい けいしん
見えない気持ちに、真摯に向き合う。
横浜市にある本興寺は日蓮宗57ヶ寺ある本山のひとつである。その69世貫首が今回お話を聞いた浅井慶信(あさい けいしん)貫首だ。
先々代である祖父・玄哲上人は最高の僧階である大僧正、先代の父・玄裕上人は日蓮宗宗会議員を務め、自身の息子たちも僧侶となったまさに僧侶の家系である。
「誰ひとりとして反発することなく自然と僧侶になった」と語る浅井貫首。彼はいったいどんな僧侶なのだろうか。
祖父にすべてを教えてもらった。
浅井貫首は東京都文京区にある本念寺の長男として生まれた。幼少期は祖父と父が本念寺を切り盛りするなかで育ったが、家族から僧侶になってほしいと強制されたことはなかったという。
浅井貫首が小学6年生の時に祖父に本興寺の住職を継承してほしいと声がかかった。
「当時の本興寺は本山ではあったものの、誰も引き継ぎたくないというほど荒れたお寺だったんです。本堂には蚕がつるしてあったくらいですから。ただ法縁の寺院ではあり、その中でも当時年長であった祖父が継承することを決めました」。
祖父が寺院の立て直しをするなか、浅井貫首も高校生から仏事の手伝いをするようになったそうだ。
「東京の本念寺ではご近所の檀家さんを読経で回っていましたね。すると祖父にも呼ばれるようになり、電車で2時間ほど通いながら本興寺の方も手伝うようになりました」。
周囲の檀信徒たちも孫がわざわざ遠方まで来てくれたということで快く迎え入れてくれたそうだ。
「父は宗会議員の仕事があり多忙でしたから、法務や作法はすべて祖父から。机に向かってお勉強というわけではなく、実際に法事や葬儀についていって所作や法話の内容を実地で教わりましたね。祖父がいたからこそ私自身は重圧を感じることなく現場で学ぶことができました」。
その頃には将来はお寺を継ぐものだと自然と思うようになっていたという。その後、浅井貫首は宗門校である立正大学へ進学したのち、信行道場での修行を積み僧侶としての道を歩み始めた。
宗務院でも勤務し財務や受付管理などを学んだのち、30歳で本念寺に副住職として戻ってきた。その頃には祖父が高齢になっていたこともあり、3年後には父が本興寺の住職となり、浅井貫首が本念寺の住職となった。
「檀信徒さんたちもおめでとうと温かく迎えてくれましたし、わからないことは全て父に聞くことができました」。
布教活動先を広げたり、青年会の会長を務めたりと精力的に活動していた中で、平成19年5月の47歳の時に本興寺の副住職として横浜に移り住むことになった。
組織の長としての「住職」の在り方。
大学時代には水泳部の主将を務めるなど体力には自信があり、大学卒業後には百日大荒行を経験し、これまでに3回成満したそうだ。2回目と3回目の荒行には、再行(二度目の荒行)代表・参行(三度目の荒行)代表として修行されたそうだ。
浅井貫首はこうした人の上に立つ経験からお寺の住職にもリーダーとしての資質を持つべきだと考えているという。
「中小企業の社長たちや国会議員の集まる勉強会に参加し、組織を運営するためのコミュニケーションや意識の持ち方を学ばせてもらいました。お寺も同じことなんです。決して商業的な意味ではなく、組織人として当たり前のように行われているコミュニケーションを大切にしています」。
現在の本興寺は浅井貫首の長男と次男が僧侶として働き、妻がお大黒さんとして接遇するなど家族のみで運営されている。その他の職員を雇わないのには家族だからこそできる綿密なコミュニケーションを大切にしているかだという。
「今も檀信徒さんの状況ややり取りはすべて全員で共通認識を持っておこうとすぐに集まって会話をするようにしています。そうすれば檀信徒さんがいらっしゃった時に誰が対応しても話を聞くことができますから」。
その中でも浅井貫首は自分のやり方を貫くわけではなく、周りの意見を必ず聞くという。
「貫首として大きな方針を決め、責任を負うのは私の仕事ですが、子どもたちとは意思の疎通を図るようにしています」。
浅井貫首は息子たちに僧侶になってほしいと強制したことはないという。それでも全員が反発することなく浅井貫首と同じように僧侶の道を選んでいる。
「私が祖父から教わったように、息子2人にも通夜や葬儀に参加することを通して作法などを身につけてもらいました。ただ一方的に教えるわけではなく、現代の価値観に合わせた言い回しやアップデートは本筋がズレなければ自由にして構わないと。
お坊さんになれとは一言も言っていませんが、昔からよく『誰にご飯を食べさせてもらっているか。それはお父さんではなく、のんの様(仏様)のおかげだからね』と言い聞かせていました。私自身は僧侶の本質は供養にあると思っていて、そこに対する姿勢を見て、育ってくれたのかもしれませんね」と語る。
目には見えない「供養」を価値にするための存在。
浅井貫首は僧侶としてご先祖やすべての亡くなった方々の供養を大切にしている。
「僧侶とは亡くなった人たちを供養する立場です。供養は僧侶だけでなく、檀信徒の信心でも行うことはできます。ただし、それは目に見える形で提供できるものでもない。私たち僧侶がご先祖さまを大切にし、真摯に供養に向き合っている姿を見せることで伝えられることはあると信じています」。
日蓮宗には大荒業を成満した僧侶しか行うことができないご祈祷があるが、浅井貫首はそれも行わないという。
「昔から付き合いがあり信頼関係のある尼さんとお互いに語り合うなかで、罪障を解消するために、木剣を使い、ある意味で霊を叩き切ってしまう行為を僧侶が行うのはいかがなものかと思うようになりました。
決して密教の文化や価値そのものを否定する訳ではなく、私個人の考え方ではありますが、それならば供養の方を重視したいと考えています。もちろん望まれる方もおられますので、ご祈祷自体は息子たちが今は執り行っています」。
少子化や核家族化が進み、お墓の後継問題も多くなってきたというが、浅井貫首はなるべく無縁(後継者不在)になりそうな家を支えていきたいと考えているという。
「お寺の供養を必要とする人にはなるべく手を差し伸べていきたいんです。例えばご自身が独り身でお墓の後継者がいないといった時に、妹さんが嫁いだ先の旦那さんが次男であれば、継いでもらっても構わないと。永代供養墓やいろんな人たちを供養するための供養塔の準備も始めています。ご先祖さまを含めたご家族全員に関わる霊位の供養を続けていきたいと思っています」。
人の気軽に集まれる場所に。
浅井貫首には本興寺の取り戻したい姿があるという。
「今の本興寺は伽藍も大きく、敷居が高いと思われがちですが、祖父の時代には平家に縁側があり、軽トラでやってきた檀信徒さんが座って祖父とお茶を飲みながら会話するようなお寺だったんです。今のお寺もそんな雰囲気になればいいなと。長男はコーヒーなどを出せるカフェを開くことも計画しています」。
仏事以外でも憩いの場所として賑わう本興寺の姿は遠くない未来で見ることができるようになるのだろう。
日蓮宗本興寺
横浜市泉区上飯田町3624
相鉄いずみ野駅からタクシーで約10分
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相鉄いずみ野駅から「中屋敷」バス停下車、徒歩3分