臨済宗建長寺派長昌寺 石澤 太樹 いしざわ たいじゅ
住職と距離が近い、親しみやすいお寺。
横浜市金沢区の住宅街に、450年の時を刻む「長昌寺」というお寺がある。
「病を癒す」「容貌を美しくしてくれる」と伝わる芋観世音菩薩を祀り、江戸時代から芋観音として人々に慕われてきた。境内には文豪・直木三十五のお墓もあり、命日には直木賞作家が参列する法要「南国忌」が今も営まれている。
そんな由緒あるお寺の第十六世住職・石澤太樹(いしざわたいじゅ)は、かつてはお寺が嫌いな少年だった。住職になるまでの道のりは、決して一直線ではなかった。
お寺が嫌いだった少年が住職になるまで
「子どもの頃、『坊主丸儲け!』ってよくからかわれたんです。お坊さんは楽して儲けているという意味ですよね」。
石澤は当時を振り返り、苦笑いを浮かべる。お寺の子どもであることを揶揄する言葉が、幼い心には重くのしかかった。剃髪しなければならないというイメージも重なり、お寺が嫌だった時期があったという。
そんな少年に、父も母も「継ぎなさい」と言ったことは一度もなかった。「お経を教わったことも、作法を厳しく躾られたこともありません。夏休みに朝のお勤めへ顔を出したり、お手伝いのおばさんと墓地や境内の掃除をしたりと、お寺との関わりはそれくらいでしたね」。
地元の小学校ではなく横浜国立大学教育学部附属横浜小学校へ進み、中学・高校は受験して鎌倉学園へ。僧侶養成を目的とした宗門大学ではなく、一般大学へと進んだ。就職活動の時期になると、自分がお寺を継ぐべきかどうか考えるようになった。
「寺を継ぐかどうかは頭の片隅にはありました。でも、せっかく一度きりの人生なのだから外の世界を見てみたいという気持ちになったんです」。
卒業後は上場企業へ就職し、財務部に配属された。勤務地は新潟。予算管理や原価計算など、数字と向き合う日々が始まった。
転機が訪れたのは、働き始めて3年目のことだった。その頃、実家にいる母が体調を崩し、精神的に不安定な時期が続いていると耳にしていた。そんな折、姉から思いがけない連絡が入った。
「姉から『お母さんが一番気にしているのはあなたのことなんだよ』と伝えられたんです。私がこれからどんな生き方をするのか、母はずっと心配していたようです。自分のせいで母が苦しんでいた、その事実が胸に突き刺さりました」。
同じ頃、父が複数のお寺を一人で兼務し、限界を迎えていることも重なった。石澤はそこで初めて腹を決めた。「いまの状況を解決するには、私がお寺を継ぐしかない」。
そこで父と母を新潟に呼び出し、家族水入らずで宿泊した旅館で、こう宣言した。「仕事を辞めて戻ります。坊さんになります」。
臨済宗建長寺派の住職になるには、まず大本山・建長寺の修行道場で修行を積まなければならない。退職から3ヶ月後、石澤はその道へと踏み出した。
道号を授けてくれた老師との思い出
道場での生活は、入門の瞬間から始まっていた。石澤はその時のことを今も鮮明に覚えているという。
「建長寺では初めて修行に入る時、玄関先でしばらく待ち続けるしきたりがあります。これが最初の関門です。何もやることがないので、自分がなぜここに来たのかを自然と考えさせられるんです。私はその膨大な時間の中で、『今身につけている衣も草履も、これまで私を支えてくれた人たちの思いがあってのものなんだ』ということを心から実感しました」。
臨済宗の修行道場では、住職免状を取得するために最低3年半の在籍が必要とされる。「この修行では何かを体系的に教えてくれるわけじゃないんです。食事の仕方、掃除の仕方、托鉢といった日常の一つひとつを、見様見真似でひたすら繰り返していきました」。
さらに、毎朝4時に、管長の吉田正道老師と一対一で禅問答に臨んだ。「禅問答とは、投げかけられる問いに向き合い、自分なりの答えを出していくものです。答えが出ればまた次の問いへと進んでいく。
それをひたすら続けて、やっとこなせるようになってきた時に、もっと深めたいという気持ちが自然と出てきました」。住職免状の取得だけなら道場を出ることもできる。しかし、石澤は指導者として残る道を選んだ。
道場を離れる決意をしたのは、それから数年が経った頃だった。老師のもとへ赴き、長昌寺の住職として歩む意志を伝えると、老師はそれきり何も言わず、30分近くテーブル周りを拭き続けた。石澤はただ座って待った。
そしていよいよ去るという時、老師に呼ばれ、手渡されたのは一枚の色紙だった。
「そこには私に授ける道号(僧侶としての名前)とその意味が、老師の直筆で丁寧に記されていました」。意味まで添えて書いたのは、これから住職として歩む石澤住職への老師なりのエールだったのだろう。
「あの沈黙の意味は今も分かりません。でも、ずっと心に残っています」。
地域の人たちとの関係を築けた消防団活動
兼務していた悟心寺(ごしんじ)の住職に就いたのは、修行道場を離れてすぐのことだった。
「親父から『帰ってきたんならすぐ住職をやれ』と言われまして。見習い期間も引き継ぎもありませんでした」。
実は住職就任そのものよりも、頭を悩ませたことがあった。「私は地元の学校に通っていなかったので、地域に住む人たちについてほとんど知らなかったんです。一から関係を築いていかなければなりませんでした」。
その突破口となったのが消防団への入団だった。「入団して本当に良かったです。会社員の方や自営業の方など、いろんな立場の人と一緒に活動できるのがおもしろいんです。地元の方とのつながりの7割くらいは消防団で築いたんじゃないかな。もちろん今でも活動を続けていますよ」。
気取らず、飾らず、ただ目の前の人と向き合う。そんな石澤の姿勢が、地域との距離を少しずつ縮めていった。
LINEでいつでも相談を。信頼されるお寺でありたい。
住職として地域と向き合う中で、石澤はある変化を肌で感じていた。葬儀のあり方が急速に変わってきていたのだ。
「コロナ禍以降、一日葬や家族葬が主流になってきて、住職が遺族の方と話せる時間がぐっと減りました。以前は通夜の席でゆっくりお話しできましたが、今はそれが難しいです。だからこそ、普段から檀家さんたちとのつながりを大切にしたいと思っています」。
そのために、石澤は檀家さんが気軽に連絡できる仕組みを整えている。LINEでの相談受付、QRコードでの法要申し込みなど、これらは「いつでも、どこからでも気軽に連絡してほしい」という想いから生まれた取り組みだ。
また、現在石澤は母校の鎌倉学園の理事として学校に勤めており、長昌寺にいられるのは水曜日と週末に限られる。それでも「住職への連絡のハードルを下げることが大事」という考えから、LINEや電話をすればかならず石澤に連絡がつくようにしている。
「お布施はいくらですか?永代供養はできますか?お墓を建てるべきですか?など、疑問があれば何でも聞いてください。とにかくカジュアルに相談できるお寺にしたいんです」。
誰もが気軽に足を運べるお寺にすること。それが石澤の使命だ。長昌寺の扉は今日も、地域の人たちに向けて開かれている。
臨済宗建長寺派長昌寺
横浜市金沢区富岡東3-23-21
京急富岡駅より徒歩15分 ・ タクシー5分
京浜急行バス 4系統 東富岡バス停より徒歩5分
臨済宗建長寺派悟心寺
横浜市金沢区富岡東5-12-38