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「文暢(ぶんちょう)さん」大分県・国東半島にある天台宗峨眉山「文殊仙寺」の副住職・秋吉文暢は、檀家や地元の人々からそう呼ばれている。

「寺の中という非日常にいる私を“僧侶”ではなく “ひとりの人間”として認識してもらい、人間同士の付き合いをしたい」という秋吉の思いがあるからだ。

サラリーマンだった秋吉が寺の危機を憂い、地元に戻り、入寺してから10年が経った。

「文暢さんが戻ってきてくれて、お寺が元気になった」と地元住民に評されている秋吉は、どのような思いで寺を運営してきたのか?

これまでの取り組みと、秋吉が考える地域と宗教の未来について話をうかがった。

六郷満山随一の古刹霊地「文殊仙寺」

国東半島一体の寺院群は、宇佐八幡神の生まれ変わりである仁聞菩薩が718年に開基したと言われている。

両子山を中心に、谷に沿って6つの郷が築かれていることから、それら寺院群は「六郷満山」と呼ばれており、神仏集合の原点となる山岳宗教として親しまれてきた。

その中のひとつである文殊仙寺は、樹齢1000年とも1500年とも言われ、特別保護樹木に指定されている御神木の大欅(ケヤキ)や、高さ9メートルで日本最大とされる宝篋印塔(ほうきょういんとう)などが敷地内にある、六郷満山随一の古刹霊地として有名だ。

 

運営状況が厳しくなっていた寺へ、30歳で覚悟の入寺

秋吉は文殊仙寺に入寺するまで、不動産会社のサラリーマンとして営業職を経験した。

「かけがえのない経験だった」と語るほど、熱心に仕事に打ち込んでいた秋吉が寺に戻る決意をしたのは30歳の時。

「そう決める前から、このままだと寺の運営が厳しくなることはわかっていました」と言うくらい、決断には相当な覚悟をもって決断したことがうかがえる。

秋吉は入寺の前に、寺の檀家のトップから「寺を運営しながらできる仕事を紹介しないといけない」という提案をもらった。

しかし、秋吉はその申し出を断った。「寺に戻ると決意した以上、他の仕事をするつもりはありません。どうしても生活していけなくなったら、アルバイトを探します」。

その決意を聞いた檀家は感心し、「寺が何か取り組む時は必ず手伝う」と協力の意志を伝えたそうだ。

 地域全体で一緒に成長すると、文殊仙寺もさらに上へ行ける

2018年、秋吉は「六郷満山開山1300年」の各種プロモーションを主導した。一部からは企画に対し批判の声もあり、落ち込んだこともあったそうだ。

しかし、六郷満山のひとつである富貴寺の住職から「やると言ったら曲げない性格のあなただから、ぜひやってください」とエールをもらい、とても励みになったという。

入寺以来、秋吉の様々な振る舞いや活躍を地域で目にしてきた僧侶の言葉からは、心底信頼されている様子が垣間見える。

秋吉は「私は誰よりも天台宗を愛しています」と同宗愛を示すと同時に、「他宗派の寺院とも分け隔てなく付き合っています」と強調した。宇佐神宮の例祭に他寺である文殊仙寺の秋吉が呼ばれたことも、他の宗教者から一目置かれていることの証左と言えるだろう。

秋吉は、常に「六郷満山地域全体での観光力の向上」を意識している。ひとつの寺院ができることには限界があるが、だからこそ地元住民の方々と関わったり、宗派を越えて協力するなど、様々な立場の人たちと一緒に切磋琢磨することが重要になる。

「それによって個々の寺や神社が輝いて地域全体がいまよりもっと良くなれば、結果的に文殊仙寺も利することにつながるからです」と語り広い視野をもつ秋吉は、地域にとって非常に貴重な人材であることがよくわかった。

天賦の才と経験で鍛えられた「人を巻き込む力」

「広い視野」が秋吉の得意技のひとつだとすると、もうひとつは「人の巻き込み力」だ。とくにコツがあるわけでもなく、どうすれば上達するかも考えたことはないそうだ。

それでも、なぜか「必然的にみんなが関わってくれている」というから、無意識のうちに人を巻き込める天賦の才があるのかもしれない。

もちろん才能だけでなく、「地域のために」という強い想いのほか、適格な交渉力と目的遂行のために頭を下げられる姿勢など、サラリーマン時代に培った力も活かされていることは言うまでもない。

現代は、僧侶の本気が試される変革の時代

観光誘客への注力は、一見すると僧侶の活動のようには思えないかもしれない。けれども秋吉は、長い歴史を振り返っても、お経を読んで供養するだけで寺が成り立った時代はなかったのではないかと想像しているそうだ。

今後、僧侶は地域での存在意義をどう示していくが重要で、本気で考えて取り組む「本物」のみが生き残ると考えている。

「戦後の高度成長期に経済が先に進み過ぎてしまった一方、宗教は置いてきぼりになってしまいました。現代は、僧侶の本気が試される変革の時代。とてもおもしろいです。

と語る秋吉からは、「私たちは生き残る」という強い決意を感じた。

僧侶が対峙すべき「宗教離れ」という言葉

秋吉は、この変革の時代に、宗教者や寺院が真正面から考えなければならないことが2つあると述べた。

ひとつは、市民の「宗教離れ」への対応である。秋吉は「宗教離れ」という言葉に懐疑的だ。

「その言葉を使う宗教者は、責任を他に擦り付けているように思います。そうならないような責務を果たしていません」と指摘した。

「例えば、昨今の御朱印収集ブームにおいて、宗教者は信者に寺までお越しくださったことに感謝しているでしょうか?そして、御朱印の意味を伝えているでしょうか?もしそうでないならば、宗教に興味や関心を持っていただく努力が足りません」と疑問を呈した。

また、「宗教に対する感覚は以前と比べ変わったかもしれませんが、宗教から完全に心が離れたわけではないと思います」とも語っている。これは、新興宗教団体による事件やトラブルの頻発によって、信仰に対する猜疑心が市民の中に生まれ、宗教との距離感が開いてしまったと分析している。

いま、この世を一緒に生きるという意識

宗教者や寺院が真正面から考えなければならないことの2つ目は、最も身近な檀家との付き合いに対する向き合い方だと教えてくれた。

「僧侶は檀家とともに、檀家は寺とともに、いまこの世を一緒に生きるという意識が大切。そうでなければ故人の人となりを深く理解できず、戒名を考えることはできません」と語る秋吉からは、檀家の人生に寄り添うことの重要性が伝わってきた。

また、檀家の方や寺院を訪れる人々やそれ以外の人々にも、お寺の在り方を説き、向き合い、実践する姿勢を貫くことが、寺が生き残る術であると考えているそうだ。

本気で思い悩んだ人の最後の砦になりたい

最後に、秋吉自身は、人々とどう向き合い、文殊仙寺をどのようにしていきたいかを尋ねると、「相談すれば、何か解決するんじゃないかと期待してもらえる寺にしたいです」という回答が返ってきた。

また、簡単な相談だけでなく、「本気で思い悩んだ人の最後の砦」になりたいとも強調した。「私もサラリーマン時代にミスをしでかし、これからどうなってしまうのかと暗澹(あんたん)たる思いにとらわれ、どん底に陥ったことがあります。

また僧侶になってからも、傍からは気づかれないかもしれませんが、苦悩をし続けています」と明かした。

「だからこそ、本気で今の状況から抜け出したいという人の心を受け容れられると思います」と答える秋吉からは、地域だけでなく、悩み、深く沈んでしまった人の心にも光を照らす存在でいたいという強い意志を感じた。

―インタビュアーの目線―

一説には、2040年には日本全国の寺の檀家数は半減し、それに伴い寺院の数も激減すると言われています。

そんな時代を迎える前に、引き続き寺院がその土地で歴史を重ね続けるためには、多くの僧侶が文暢さんのように「地域も人も、共に生きる」というマインドを持つ必要があるのではないかと思いました。

プロフィール

秋吉 文暢(あきよし ぶんちょう)41

大分県国東市/天台宗峨眉山 文殊仙寺 副住職

東京の不動産会社勤務後に文殊仙寺へ入寺。

サラリーマン時代の営業職経験から、人と向き合って伝える重要性を実感し、寺に人が来てもらう為の広報活動にも積極的に取り組む。

大分県国東半島に点在する寺院郡の六郷満山霊場を7年かけて整備し、2018年に実施した「国東半島宇佐地域・六郷満山開山1300年誘客キャンペーン」を主導して行うなど、地域活性化に取り組んでいる。

文殊仙寺 https://www.monjyusenji.com/