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東京都大田区にある安詳寺(あんじょうじ)は寛永6(1629)年に開山された日蓮宗のお寺である。

今回ご紹介する小島知広(こじま ちこう)は、この安詳寺の住職20世であるとともに、アジアの発展途上国における農業・農村開発などを実施するNPO法人グレーターメコンセンターの理事長をつとめる人物だ。

また2011年から3年間、アジアの貧困諸国で自立支援を行う「四方僧伽(しほうさんが)」の代表を務めた。アジアの貧困地域で積極的に支援活動を行う小島は、いかにして世界を巡り、その活動に身を投じてきたのか。

「巡り会えた人達を仏様と思い、仏教の縁で人々と接したい」。そう語る彼はどのような僧侶なのか。

「悟りの入り口に立つ」600kmもの仏跡巡り

 「親が僧侶だったから自分もきっとそうなるのだろうなぁ」

安詳寺の長男として幼少期からごく自然と仏教が身の回りにあった小島にとっては、自身も僧侶になることに何の違和感もなかった。大学に進学し、1・2年生の頃は大学寮で同じように仏門を目指す学生と生活を共にした。授業が終われば、夜な夜な寮の仲間で集まり語り合う日々を過ごした。 

「ただ単に家柄がそうだからという訳ではなく、多種多様な考え方に触れていくうちに、いろんな人と出会える僧侶って仕事は面白いと」 

色々な場所から集まった同士と密に学ぶ中で小島は、僧侶の面白さの本質に気づいていった。本当の僧侶とは何なのかを若い時に考えたことで、自信にもつながり、大学卒業後すぐに僧侶となった。

  僧侶として働きはじめて27歳となった時、僧侶の仲間から「インドへ行ってみないか?」と誘われ、3ヶ月の間仏跡を巡る旅へと出る。お釈迦様が法華経を説かれた地・ラージギルで1週間の断食を終え、ダージリンまでの600kmもの道のりを、日蓮宗でお題目を唱える際に使われる団扇太鼓を叩きながら練り歩いた。

最初に訪れた場所は40度近い気温であったが、最後にたどり着いた場所はマイナス3度になる場所だったというから、その道のりの長さが伺える。 

「お釈迦様が悟りを開いた仏教最大の聖地ブッダガヤへお参りをした時、言葉にできない気持ち良さを感じましてね」 その感覚は僧侶になった後、どんな修行を重ねても経験できなかったものだったという。 

「本当の悟りはあるんだ、と。当時経験したものは悟りのほんの入り口なんでしょうけれど、誰でも仏になることはできるんだと感じるほど脳裏にこびりついた経験になりました」  

この経験が仏教を求める人のもとへ行き、自らが仏に近づける存在になりたいという小島の僧侶としての根本になっている。

国境を越え、仏教を求める人のもとへ

「仏様と自分のことを考え、どうすれば仏様に近づくことができるか。それが一番」。その方法として小島は世界の仏教徒を支援する道を歩み始める。

小島は世界の仏教徒を支える活動をする「四方僧伽(しほうさんが)」に参加した。年に一度タイで行われ、支援などの活動内容を決める世界同時平和法要(通称:セカヘイ)にはいろいろな国から仏教徒が集まり、世界中の仏教徒との縁を結ぶことができた。

ある時、バングラデシュのお坊さんから、仏教徒が弾圧されている現実を聞かされる。バングラデシュ国民のほとんどはイスラム教徒であり、仏教徒は0.5%ほどだという。仏像が壊されてしまうことや、時には命の危機に晒されることもある。

同じ仏教徒でありながら、過酷な環境に置かれている同胞の姿に小島は心を打たれる。宗教観のすれ違いを解消できないかとコミュニティを築いたり現地の人の話を聞くなど、食料や生活必需品の配給支援や経済的自立を促すために小規模融資をする仏陀バンクという組合を作ったりと積極的に活動を広げていった。

「宗祖・日蓮聖人が説かれた教えに、寺の外に出て、人々の中に入ってご修行することが大切だという教えがあります。

グローバルな世界になり、LCCなどを利用して費用を抑えながらどこの国に行くこともできるようになりました。少しでも時間があれば海外へ赴き、その教えを実践していく。

例えば、多くの仏教徒がいるミャンマーでは内紛で多くの人が亡くなっている。貧困地域、紛争地域、そういった場所で仏教を求める人たちの問題をなんとか解決していきたいんです」

仏の縁が結ぶ僧侶・井本勝幸との出会い

世界での活動の一環でカンボジアにて小学校建設の支援活動をしていた小島は、そこで1人の人物と出会う。それが、井本勝幸である。

僧侶である一方で、若くから難民支援に関わり、特にミャンマーの内戦問題において、政府と少数民族武装勢力との交渉が円滑に進むよう尽力し、解決へ導いた人物だ。自らと同じように宗教者の立場として世界の問題を解決する姿を見た小島は、貧困・紛争地域で自身の行う活動が目指しているものがしっかり見えたという。 

「貧困・紛争地域といった厳しい環境で生活する人々も、笑った時の笑顔はとても良い表情をしてらっしゃるんです。その表情を見ていると、何か役立つことはできないかとワクワクしてくるんです」  

その後、小島は井本とともにより精力的に支援活動を行っていく。例えば、カンボジアでは井戸水にヒ素が含まれやすい土地のため、慢性的な水不足とそれに伴う人間関係の衝突が起きていた。そこで、約2年の歳月をかけて雨水を貯水するための「安詳池」を作り、水で争う人たちの和平にも努めた。  

2015年には井本とともにNPO法人グレーターメコンセンターを設立し、ミャンマーにおける農業支援事業、また戦時中にミャンマーで死没した旧日本兵の遺骨調査事業を今も進めている。 

「インドへの仏跡巡りの旅から始まり、四方僧伽への参加、井本氏との出会いと、さまざまな事や人に巡り会えたことで、僧侶をしていて本当に良かったと思えました」

小島と井本勝幸氏

大切なものを心に進むこれからの道

「これからは菩薩行を伝えていきたいですね」

菩薩行とは、他人に対する慈悲(思いやり)を重視し、最高の悟りに到達しようとする行いである。他人に対する慈悲を持つことで、誰もが一緒に仏になれることを伝えていくこと。

世界の仏教徒を支える活動をする小島にとって、その経験を人々へ伝えていくことがこれからの進む道である。法華経では自分も仏、周りの人も仏。仏と仏で拝みあいましょうという教えが大切にされている。 

「仏になることは崇高なことだと思われるかもしれませんが、自分が仏になるうえで、大切なものを心に持つことが大切なんです。

世界の仏教徒との縁をいただいた私にとって、それは世界の仏教徒を支えることでした。まずは皆さんも自分の心に仏様の世界を思い描くところから始めてみてはいかがでしょうか」

―インタビュアーの目線―

世界を巡り、各地で支援活動を行う小島さん。

始めてインドを旅した時には、支援活動のことは全く考えていなかったと聞きました。

そこから様々な出会いが重なり、今の活動を始めるようになったのは、まさに仏様のご縁に導かれたように感じました。

世界での活躍を期待されるグローバル社会の中で、大切な思いとともに活動する尊さが広がっていってほしいと思います。

プロフィール

小島 知広(こじま ちこう)57

東京都大田区/日蓮宗長久山安詳寺 住職

NPO法人グレーターメコンセンター理事長

1963年 東京都大田区生まれ

立正大学卒業

大学卒業後、インドへ渡り断食行や600kmの平和行進を行う。2006年よりラオス、カンボジアの学校建設に携わり、アジアの貧困諸国で自立支援を行う「四方僧伽」に参加し、2011〜2014年は代表として活動する。2015年にNPO法人グレーターメコンセンターを設立する。

安詳寺 https://anjoji.tokyo