「悟りの入り口に立つ」600kmもの仏跡巡り
「親が僧侶だったから自分もきっとそうなるのだろうなぁ」
安詳寺の長男として幼少期からごく自然と仏教が身の回りにあった小島にとっては、自身も僧侶になることに何の違和感もなかった。大学に進学し、1・2年生の頃は大学寮で同じように仏門を目指す学生と生活を共にした。授業が終われば、夜な夜な寮の仲間で集まり語り合う日々を過ごした。
「ただ単に家柄がそうだからという訳ではなく、多種多様な考え方に触れていくうちに、いろんな人と出会える僧侶って仕事は面白いと」
色々な場所から集まった同士と密に学ぶ中で小島は、僧侶の面白さの本質に気づいていった。本当の僧侶とは何なのかを若い時に考えたことで、自信にもつながり、大学卒業後すぐに僧侶となった。
僧侶として働きはじめて27歳となった時、僧侶の仲間から「インドへ行ってみないか?」と誘われ、3ヶ月の間仏跡を巡る旅へと出る。お釈迦様が法華経を説かれた地・ラージギルで1週間の断食を終え、ダージリンまでの600kmもの道のりを、日蓮宗でお題目を唱える際に使われる団扇太鼓を叩きながら練り歩いた。
最初に訪れた場所は40度近い気温であったが、最後にたどり着いた場所はマイナス3度になる場所だったというから、その道のりの長さが伺える。
「お釈迦様が悟りを開いた仏教最大の聖地ブッダガヤへお参りをした時、言葉にできない気持ち良さを感じましてね」 その感覚は僧侶になった後、どんな修行を重ねても経験できなかったものだったという。
「本当の悟りはあるんだ、と。当時経験したものは悟りのほんの入り口なんでしょうけれど、誰でも仏になることはできるんだと感じるほど脳裏にこびりついた経験になりました」
この経験が仏教を求める人のもとへ行き、自らが仏に近づける存在になりたいという小島の僧侶としての根本になっている。