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「僧侶が目指すべきは薬剤師である」と語るのは、往生院六萬寺(大阪府東大阪市)の副住職・川口英俊(かわぐち えいしゅん)だ。

僧侶と薬剤師という一見つながりのない職業が連なる言葉には、「現代の日本仏教界への警鐘」と「僧侶がどうあるべきかの提案」が包含されている。

このような考えに至るには、川口の歩んできた足跡が大きく影響している。発言の真意について、これまでの道のりとともに紹介したい。

政治活動にのめり込んでいた生活から一転、修行へ

川口は、往生院六萬寺の長男として1976年に生まれた。子どもの頃から掃除や草取りなど寺の手伝いをして育ち、仏道に入る前にもかかわらず般若心経を読めるほど。寺を継ぐことに抵抗感はなく、「いずれ僧籍を取得しなければならない」と考えていた。

宗門系大学ではなく、関西大学法学部に進学した川口は、政治活動に没頭した。地元代議士の故・塩川正十郎氏の事務所の手伝いに勤しみ、選挙活動に尽力したり、自民党大阪府連の青年局で学生部の立ち上げをしたりする中で、「政治家」が自らの進路として頭に浮かび始めていた。

大学2回生の時、父である住職が体調を崩したことで、状況は一変した。

このまま住職の体調不良が長引けば、寺の法務は立ち行かなくなると考えた川口は、仏門に入ることを決意。大学を休学し、政治活動に別れを告げ、臨済宗の僧堂で修行を開始した。

根底にある「社会をもっと良くしたい」という思い

大学休学の二年間における約1年8か月の修行後に往生院六萬寺へ入寺した川口は、住職の体調が無事回復したこともあり、関西大学へ復学。副住職として寺の仕事をしながら大学に通う中で、「やはり僧侶以外の道もあるのではないか」と考えていた。

再び政治活動に飛び込み、議員の応援活動をしながら政策立案について学ぶほか、新たに弁護士を目指し、司法試験にも挑戦した。

結局、司法試験の高い壁に阻まれ、弁護士の道を諦めた。様々な模索の果てに、寺での活動に専念すると腹を決めた。

川口が政治活動や司法に惹かれたのは、「社会をもっと良くしたい」という思いが根底にあるからだ。

僧侶になってから、その思いを現実のものにするいくつかの機会を得た。

精神障害者の働く場をつくるための社会福祉法人の立ち上げや、東大阪市の生涯学習に関する推進会議やまちづくり審議会への参加など、福祉活動と地域社会活動に情熱を注いだ。

僧侶であり、当事者だからこそできることへのシフト

その中でも、とくに福祉への思いは強い。川口には、障害を抱えた家族がいるからだ。

「自分が当事者だからこそ伝えられる言葉があります。これは、修行だけではわからないことです。」

川口は相談を受けると、吐き出された苦しみの裏側にある背景にまで考えを巡らせる。

そして、ただ仏教の教えを伝えるのではなく、当事者である自分を通した上で考えを提示する。

悩みに対する答え全てが、経典から学んできた中にあるわけではないからだ。相手と目線を合わせさられるこの姿勢は、川口の強みだ。

障害をもった子どもを持つ親の苦悩

障害のある子どもをもつ親から相談を受けることもある。

「自分が先に逝ってしまった後、我が子はどうなるのだろう」という心配だけでなく、「子どもの障害は自分のせいだ」と自責の念を感じている人も多いそうだ。

そんなとき、川口は必ず「そうではない」と回答する。

様々な過去世からのそれぞれにおける因縁があり、決して親の業だけがその理由であるわけではないからだ。

過去は変えられないが、これからの因縁は変えていけることを伝え、前向きな言葉で彼らを支援している。

障害のために仏様の教えを理解できない方もいるのではないか。そう疑問を投げかけると、川口は「心に薫習(くんじゅう)として、仏法を染み付かせてあげることはできます」と答えた。

お香の薫りがものに移るように、たとえ頭では理解できないことであっても、仏様の事における経験は心に浸透する。

そして、それは来世、来々世、さらにその先へと向けた善き因縁とすることができるそうだ。

相談者が尋ねたいことを真正面から受け止め、答える

一般的に、寺での相談会などのイベントでは、僧侶が法話をした後に参加者から質問を受けるという進行が多い。

しかし、川口は本堂での施餓鬼法要等の法話では、参加者との質疑応答を大切にしている。

当初は、高い場所から仏の教えを説いていたが、ある時、相談者の悩みには個人差があり、それらひとつひとつに答えることが大事だと気づき、やり方を変えたという。それ以来、相談者の反応も良好だ。

この形式に変えてから、川口の勉強量は格段に増えたという。相談者の悩みに回答するには、引き出しの数を増やさないといけないからだ。

相談に訪れる人々は、ひとつの宗派の方だけではないし、仏教徒以外の方もいる。そのため、様々な宗派、宗教について絶えず学び、自分の知識にしなければならない。

「選ぶこと」は「選んだ道で全力を尽くすこと」

しかし、現在の日本の仏教界には「引き出しの数を増やそうとする僧侶が少ない」と川口は嘆いている。

現代は、修行が僧侶になる資格を取得するためだけのものになっているという。本来、僧籍の取得後も仏教や他宗派について学び続けねばならないにもかかわらず、そういった修行をする僧侶は減っているそうだ。

そのような状況に陥っているのは、現在の仏教界が宗派主義にとらわれていることに要因があるという。

川口は、これらを解決するひとつの手段として、寺院の単立化(宗派本山の包括寺院ではない宗教法人となること)を提案している。

「宗派という余計なしがらみから逃れた方がよいのです。そうでなければ、困っている人や迷っている人の多くに、すっと傘を差し出すことはできません。」

 チベット仏教との出会い

引き出しを増やすべく、川口は現在、積極的にチベット仏教を学んでいる。チベット仏教である理由は、自身の前世が関係しているという。 

「信じるかどうかはお任せしますが、私は前世でチベットにいたと思っています。」

前世では、チベット仏教ゲルク派の本山・ガンデン寺で、高僧の侍従のような手伝いをしていたという。現世でも自分の上に就いた人のサポート役を担うことが多いのは、前世からの因縁からかもしれないそうだ。 

前世とチベット仏教とのつながりをより強く確信したのは、2013年11月の来日の際でのダライ・ラマ14世との、とある出来事からだという。

法王が増上寺(東京都港区)を訪れた際のイベントでの質疑応答のセッションにて、川口との問答の直後に、法王がわざわざ川口の下へと歩み寄り、川口を呼び寄せて、握手と共にチベット語でお声掛けをなさられたそうだ。

「チベット語は理解できないのですが、不思議と何を仰っているのかは分かったような気がしました。『空*』についてしっかりと修習を進めなさいと。その時に、未熟な僧侶のまま志半ばで亡くなった前世が救われた気がしました。」 

*「空」とは、「全てのモノ・コトには実体が無い」という真理のことを表す言葉

と当時の感動を教えてくれた。仏教の家に生まれた理由や副住職になるまでの紆余曲折と葛藤、いま往生院六萬寺の副住職を務めていること、そして子供の頃からチベットに興味があったことの意味が、その時に初めてつながったという。

 チベット仏教を日本に活かすこと

川口がチベット仏教を学んでいるのは、前世とのつながりだけが理由ではない。

哲学的に精緻な論理学と認識論という強固な2つの軸で確立されているチベット仏教が、弱体化してしまった日本仏教界の修道論の復活につながると考えているからだ。

特に、チベット仏教におけるラムリムという思想には、悟りへと至るための筋道が順序だてて説明されており、どうすれば仏になれるかまでが明確に記されている。

「チベット仏教をもっと学び、広めることが、いまの日本の仏教界に必ず役立ちます。それは、私の前世からの使命だと思います。」

 「薬剤師」としての僧侶を目指す

最後に、僧侶たちはこれからどのような立場を目指せばよいのかについて尋ねたところ、「薬剤師」という意外な答えが返ってきた。

「私の中で、仏様は医師で、僧侶は薬剤師という考えを持っています。仏の教えである経典を処方箋として、悩みを抱えた方々に、僧侶が適した教えと分量を調合し、お渡しするというイメージです。」

それには、宗派や宗教を越えて学び続け、調合できる薬の種類を増やすことが必要だという。

いま自分の引き出しにある経典という名の薬が、ある人には効果的であっても、別の人には劇薬であるかもしれない。副作用も出るかもしれない。

そのためには、特定の宗派の教えという狭いところから飛び出し、広く学ぶ必要がある。

「現代では、寺に相談にいらっしゃる方以外にも、多くの方々が悩みを抱えています。彼らに、自分が修験して納得し、得心して迷いがなくなった教えの薬を調合し、お渡しすることが僧侶のやるべきことだと思います。私はそんな僧侶になりたいです。」

そう語る彼だが、実力はまだ足りないそうだ。

「理想とするレベルに達するまでは、まだ30年、いやもっとそれ以上が必要だと思います。長い道のりですが、必ずそこを目指します」と語る彼の眼には、強い決意が宿っていた。

                                      川口と妻・亜希子さん

―インタビュアーの目線―

現在の仏教界の甘さを指摘している川口さんは、「戒律には反していますが、結婚したり、子どもを持ったりしてわかったこともたくさんあります」と話してくれました。

世俗の人と同じ体験をすることが、彼らの抱える煩悩や苦しみの理解につながり、それに対する回答につながっているそうです。

なかでも坊守(妻)の存在は、堅物と見られがちな僧侶にとって、地域の方々とよい関係性を結ぶうえでなくてはならないとのこと。

取材に同席していた奥様がそれを聴き、浮かべた笑顔が印象的でした。

プロフィール

川口 英俊(かわぐち えいしゅん)42

大阪府東大阪市/岩瀧山 往生院六萬寺 副住職

1976年 東大阪市生まれ

関西大学 法学部卒業

学生時代に政治の現場を体験。住職である父の急病で大学を休学し、臨済宗妙心寺派・禅専門道場で修行。寺坊での活動のほかチベット仏教哲学を研究し、仏教サロン京都ではチベット仏教講座の講師を務める。僧侶が悩みに答えてくれるサイトhasunohaでは回答数が2300回を超える。

往生院六萬寺 http://oujyouin.com/