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真宗大谷派福泉寺 藤田惠日

真宗大谷派福泉寺 藤田 惠日 ふじた えにち

開かれたお寺を、若い力で。

 新潟県燕市にある福泉寺。その第18代住職をつとめるのが今回話を伺った藤田惠日(ふじた えにち)だ。

藤田住職は25歳にして住職をつとめ、お寺を開かれた場所にしたいとさまざまなイベントに参加している。「自ら行動することで、もっとお寺を多くの人が集まる場所にしていきたい」と語る藤田住職。彼は、いったいどんな僧侶なのだろうか。

少しの抵抗と未来を考えた青年期。

 藤田は福泉寺の長男として生まれた。幼少期は先代住職であった祖父、副住職の父と2人で福泉寺を運営するという環境で育ち、自身も10歳の時にお寺生まれだった母と2歳年上の姉の3人で一緒に得度したそうだ。

「よくわからないまま京都に連れていかれて、理解もできないまま正信偈(しょうしんげ。浄土真宗のお経のひとつ)の練習をしたり、気づいたらお坊さんになっていて…という感じで」と語るように幼少期から僧侶としての躾が厳しかった訳でなかった。

両親からいわゆるお寺の子、という育て方をされた記憶はないという。「お寺の行事に参加することも数える程度で、高校生までほぼお寺に関わらず青春時代を過ごしていました」。

しかし、当時はお寺に良いイメージがなかったそうだ。「何もわからないからこそ、何で将来自分は僧侶にならなきゃいけないんだろう、お寺で生まれたからといって何で継がなきゃいけないんだろう、とアバウトですが否定的な気持ちが思春期の頃にはありましたね」。

一方で、将来を考えた時に福泉寺を継ぐこと自体を否定していた訳でもないという。「お寺で生まれ、お寺で育って、祖父も父も僧侶。姉は得度しましたがお寺を継ぐ意志はなかったので、ゆくゆくは私が継ぐものだという意識はありました。口に出すことはあまりなかったですが、祖父母や両親もそれを望んでいたんだと思います」。

ぼんやりと僧侶として働くことを想像していた藤田だったが、急きょ父が病に倒れたことで仏教の道を歩む決心をすることになる。

仏教の道を歩む決心と仲間との出会い。

「宗門校である大谷大学へ進学しようと考えていました。そんな事を考えていた高校3年生になったばかりの4月に、父が急病で倒れてしまったんです」。藤田の父は一命をとりとめたものの、法務(葬儀や法事など)を勤めることができる状況ではなくなったのだ。藤田の母は福泉寺が運営する保育園で保育士として勤めていたが、急きょ入寺し、祖父と2人で法務を勤めることになった。「当時の祖父もすでに高齢だったこともあり、ぼんやりと僧侶になる未来から、一気に現実としてすぐにお寺を助けなければという意識に変わったんです」。
 京都の大谷大学へと進学した藤田だったが、大学での生活は大きな刺激になったという。「最初は全国から集まったお寺の子しかいないイメージだったんです。しかし実際には3000人近い全校生徒の中で、真宗学科にいるのは学年で数えても60人程度。ほとんどが一般の家庭の学生でイメージとはまったく違うものでした」。
 藤田は1年生限定で定員20人の学生寮で新生活を始めたそうだ。「毎朝7時に起床して朝のお勤め、授業を受け帰ってくると夕方のお勤めを必ずする生活でした。幼い時から読経などの練習をしていた訳ではない自分にとって毎日のお勤めは本当に良い練習になりましたね」。

そしてそこに集まった同志たちとの交流も藤田の心の支えになっていた。「高校生まではまわりにお寺の話をできる友達はいませんでしたから。北海道から長崎まで全国から集まった同志たちと、同じ境遇で育ったからこその悩みや考え方を話し合えた経験は、自分のなかでモヤモヤした気持ちを晴らしてくれるものでした」。

 充実した4年間を過ごしたという藤田に対して、在学中にお寺を急きょ切り盛りすることになった母から帰省を急かされることはなかったという。「大変な状況だったと思いますが、私の人生を考え自由を保証してくれていると感じていました。その優しさがあったからこそ、卒業後はすぐに入寺し住職を継ぐことに何の違和感もなかったんだと思います」。

門信徒との触れ合いで見えたこと。

 福泉寺に戻ってきた藤田は、1年前にすでに入寺していた1歳下のはとこと共に法務を勤め始めた。「福泉寺では月参り(門信徒のご自宅で行う仏事)を毎月190軒ほど回ります。最初は門信徒全てのご自宅を覚えることから始めました」。

幼少期から顔馴染みの門信徒はまだしも、なんとなく顔を知っているという門信徒も多かったそうだ。「最初は月参りのたびに、この住所はどんなお家で、どんな方が応対してくれるのか、特徴をすべてノートに書き記して覚えていきました」。

若い僧侶が訪れることに反発があるかと少し不安に思うこともあったそうだが、周囲の門信徒はみんな親しみやすかったという。「昔の福泉寺の話や、祖父が若い頃の思い出を話してくださる方もいて。みなさんの優しさがありがたいなと感じますね」。

一方でイメージしていたことと違う部分もあったという。

「勝手な偏見ではありますが、60代くらいの方であれば浄土真宗の教えをみなさん理解されていて、法事の時に何を準備する必要があるのかを知っているものだと思っていました。しかし、実際にはあまり浸透していないのが実情だったんです。私もまだまだ人のことを言える立場ではないですし、小難しいことをお伝えしようとは思っていませんが、これからはそういった面をお伝えすることも大切になると感じています」。

そう語る藤田はこれからの福泉寺をどのように考えているのだろうか。

開かれたお寺と仏縁との出遇い。

 「大学の卒業論文にも書いたのですが、開けたお寺を目指していきたいと考えています。福泉寺のホームページにも載せた言葉ですが『人と人との出遇い、人と仏法との出遇い、またそこから生まれる縁を大切にして、宗教・宗派を超えたさまざまな人が集まるお寺』を理想としています」と藤田は語る。

「私たちが待っているだけではお寺の世間からのイメージは悪くなり、廃れていく未来しかありません。私たちからアクティブに行動で示していかないと」。実際に藤田は自ら行動して出遇いの場を作りにいくことを実践している。

 新潟県の三条教区に属する20代から40代の若手の僧侶を中心に、一般のイベントへ出店したという。「休日の町の公園などで飲食店などが出店する普通のイベントに、射的のコーナーを作らせてもらいました。的などは全て僧侶が手作りして、簡単な景品などを用意して、一般の方々や子どもたちに楽しんでもらおうと。

1年くらい前には『お坊さんは〇〇にいる』という企画コンセプトで阿賀野市にあるサントピアワールドという遊園地にお願いしてブースを作らせてもらいました。机と椅子を置いて、遊園地に遊びにきた人がふらっと歩いてきた時にお話を聞きました。

新しくできた道の駅にも出店するなど、いろんなところに出向いてみなさんとの出遇いの機会を増やしていきたいんです。日常の暮らしのなかに袈裟姿(僧侶の法衣姿)で念珠をもった僧侶が突然現れるので、みなさん興味を持ってくださいます」。

藤田は今後も音楽イベントなどを考えているそうで、いろいろな業種と仏教界を積極的に交わらせようとしている。「人が集まる場所の選択肢がたくさんある中で、お寺も解放された場所としていろんなことができるような場所にしていきたいですね」。

宗教離れと言われる若い世代だからこそ感じている現実の問題に藤田は真摯に向き合っている。

真宗大谷派福泉寺

新潟県燕市小中川2892

JR上越新幹線「燕三条駅」、JR弥彦線「燕駅」からタクシーで15分
北陸自動車道「巻潟東IC」「三条燕IC」から車で15分

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