お布施の額は「お気持ち」で。どんな条件でも分け隔てなく葬儀を行えるかどうか、常に神仏に試されている
大法輪寺では、強制的な寄付や護持会費がない上に、お布施の額も信者に「お気持ち」でお任せしている。
当然ながら、最初はお金がなくて苦しんだ。お金がないと、だんだん心の余裕もなくなってくる。豪華な葬儀とは対照的なお布施の額に、「これが自分の評価なのかもしれない」とショックを受けたこともあったという。
もちろん、お布施の額を指定せずに葬儀を受けるというのは、自分たちの生活や寺の運営がある以上、それなりのリスクを伴う。
しかし不思議なことに、家計が本当に苦しいときには、毎回葬儀や納骨の依頼が入り助けられてきた。喪家から頂くお布施より自費の交通費の方が高くなってしまうような遠方の葬儀を引き受けたあとに、大規模な葬儀の依頼が入ったこともあったという。
「どんな条件でも分け隔てなく心のこもった葬儀を行えるかどうか、神仏に試されているのでしょうね。常に『シャカリキ(釈迦力)』に頑張っていれば、最後は神仏が守ってくださるのだと実感できました。」
大法輪寺に葬儀を依頼する人の中には、平均的なお布施の金額を知っている人も当然いるだろう。それでも「どのくらいお布施をすればいいですか?」と尋ねられれば、一貫して「お気持ちでいいですよ」と答え、金額は絶対に口にしないようにしている。誰にでも平等にお経を上げている寺なのだと示し、安心してもらうためだ。
「僧侶がお布施の中身を気にしたら、仏の教えにも矛盾してしまうと考えています。お布施の金額に関わらず、
『前世で大変お世話になった人かもしれない。お経を上げて恩返しをしよう』
と思えばいいんです。各宗祖たちは、道端で亡くなった人にも無条件でお経を上げていたんですから。」
また、大法輪寺は無宗派のため、さまざまな宗派の人から葬儀の依頼がある。田口は依頼のニーズに合わせた葬儀を行うという。
たとえば、生前に田口を慕ってくれていたカトリックの女性が亡くなった際は、遺族と話し合った上でお経をあげ、最後に故人が大好きだった賛美歌を参列者みんなで歌った。
きっと葬儀社には「変わった坊主だ」と思われたかもしれないが、こうして宗派や宗教の壁を取り払って原点に戻ることこそ、田口が独立してまで実現したかった形である。
さらに大法輪寺は、葬儀だけでなく納骨堂のあり方も特殊だ。管理費なしで永代無料、必要なのは「法事・仏事の依頼」と、なるべく後継者に負担をかけないようなシステムになっている。
「遠方に住む家族は、年に1・2回、納骨堂やお墓参りに来るときには温泉旅行も楽しめる。今を生きている人のためにやっているのに、負担になってしまっては意味ないですからね。」