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お寺や仏教、と聞くと、どんなことを思い浮かべるだろうか?

なんとなく難しくて近寄りづらい……といった思いや、お坊さんの前では、ちゃんとしていないといけない、そんなイメージも多くあると思う。

もしかしたら、悪いことをしたらお坊さんに怒られる、なんていう先入観も。

「でも、全然そんなことないんですよ」

と友光は語る。

「お坊さんって普段なかなか接する相手ではないから、なんとなく怖そうだな、って思ってしまったりする、ということもあるのではないでしょうか。

後は、家族や親戚が亡くなった時など接するタイミングが悪かったり。

たとえばお作法を間違えたり、お墓にワインをお供えしたりしても、怒ったりしませんよ(笑)」

今でこそ10年以上の経験を持つ僧侶である友光だが、もともとはお寺と特別関係があった、というわけではなかった。

一般家庭に生まれた友光は、子どもの頃から、お寺にはお盆やお正月、お彼岸などで年に1、2回に行くくらい。

大学生時代は、自身でDJを務めたり、イベントを開いたりすることが好きだったという。

当時に付き合っていた彼女(今の奥さん)の実家がお寺で、彼女の家族からの薦めで「お坊さん」という進路を考え始めた。

「はじめはお坊さんって、『お墓を守る、管理人さんみたいなものかな』というイメージしかなくて。地道に丁寧に日々を暮らしていく、といった印象があったので、自分には向いていないかもしれない、と思いましたね(笑)。

でも、彼女のお義父さんやお義母さんが僕を誘ってくれたというのは、きっと大丈夫だろう、と思ってくれたからだろうな、と」

大正大学へ編入し、仏教・天台宗が学べる環境で、仏教・天台宗を中心に、いろいろな宗派や神道のことまで、幅広く学んだ。

その後、比叡山延暦寺での修行を経て、お通夜やお葬式のあげ方など、僧侶としての基礎を体験していった。

仏教は自由で、型にはまらない

修行の後、実際に僧侶として働くなかで友光が感じたのは、仏教の懐の深さだという。

「みなさんがよく悩まれるお墓の問題についても、『仏教ではこうだから、こうしてください』ということはなくて。

過去の習慣によってこういう風にする方もいます、ということはお伝えしますが、『本来こうするのがいい』ということが一番ないのがお寺なのです」

自分自身はどうしたいのか?遺される方々にとって、自分はどうありたいのか?

そういったことを相談に来られる方と話し合い、その方が潜在的に持っている思いをもとに導くということが、僧侶として友光が大切にしている姿なのだ。

人は悩んだ時、どうしても答えを求めてしまいがちだ。

そして、自分を型にはめて安心してしまう。だが、仏教は、そういった「型」がないものなのだ.

仏教に書いてあるのは、「今の自分を受け入れて、今の自分に感謝して生きていく」、というシンプルな教え。

ありのままの自分の姿を受け入れて、そんな自分自身をまるごと愛すること。

毎日の暮らしの中で、悩んだり、自分自身を見失ってしまった時に、迷った時に相談する、なんとなく話を聞いてほしい……。

そんな時、その先に「お寺」という選択肢があるのではないか。

寺社フェス「向源」は、自分自身と向き合う場

2011年3月の震災が起きてから、「自分も何かをしたい」という気持ちを持っていた友光は、その年の9月に寺社フェス「向源(こうげん)」を開催した。

それから現在まで1年に1回のペースでイベントを続け、イベントの来場者は年々増え続けている。

「昔の時代には、日本に伝わる神の信仰と、仏教の信仰とを融合させる『神仏習合』という思想もあったので、そういった部分を広く紹介したい、という気持ちがあります」

向源は、雅楽や舞の披露、座禅や念仏、写経の体験など、仏教と神道、ひいては日本文化を、身をもって体験できるイベントになっている。

こういった日本の様々な伝統を、寺社仏閣のなかで味わえるのが向源の醍醐味だ。しかしそれだけではない。

そんな向源のイベントを通して自分自身と向き合うきっかけをつくってほしい。友光はそう考える。

フェスの名前も、自分自身と“向かう源(みなもと)”と書いて「向源」と名付けた。

「伝統ってすごいな、ということを感じてほしいのではなく、それを通して自分自身と向き合うきっかけを作る、向源がそんな場になれたらと思っています」

仏教は、実感するものだと考えています

僧侶がよく言う、「仏教を説く」ということ。友光は、説くというよりは、解く、というスタンスを持っている。

「僕自身は、仏教って、要はこういうことを言っているんですよ、ということを伝えて、その方自身に、『ああそうなんだなぁ』『私もそういう風に思うことあるなぁ』って実感だったり体感してもらえたらいいなあ、と思っています」

仏教を言葉で理解するより、体で感じてほしい、という友光。

寺社フェスを開くのも、自分自身と向き合うことで仏様の愛情や慈悲を体感してほしい、という理由からなのだという。

では、仏教とは、要は、どういうことなのだろうか。

あなたの生活が間違っています、だったり、あなた自身の過去・現在・未来が間違っていますということは一切言っていないという。

相談に来た時は、もしかしたらちょっとイライラしてしまっていたり、落ち込んだ状態にいたりするだけなのかもしれない。

「お釈迦様は、常にそれぞれの人々に対して、『あなたは素晴らしいし、あなたのことをいつも信じているよ。だから気が向いてきたら、こっち(お釈迦様)の方を向いてみてね』、というスタンスでいます」

たとえば、こういう生き方が正しい、ということもお釈迦様は一切言ってなくて、誰にでも平等に、手を差し伸べている。

どんな自分のことも、お釈迦様はいつも受け入れるつもりでいる。

そんな大きな安心感のなかで、人生というものを楽しんで生きていく、僧侶はその手助けをする存在なのだ。

それゆえ僧侶は、常にニュートラルな立場にいるべきだという。

思い切り悲しんでいる人には悲しいね、と言い、気持ちを切り替えたい、と思っている人がいれば、それもいいと思う、と背中を押してあげる。

答えを差し出すのではなくて、相手から思いを引き出して、一緒にうなづいて、そばにいることが、僧侶のできることなのだ。

お寺は、心の余白を作りにくる場所

お寺や神社は、たとえ都会であっても、建物はそんなに高くなく、広い敷地には緑が植えられていたりする。

お墓が並んでいたり、隙間さえあれば高いビルが並び立つ都会のなかで、お寺という空間は、見晴らしが良かったりもする。

友光が考えるに、お寺は、都会の「余白」だという。公園などとも違う、なにか心が落ち着ける場所、それがお寺。

「『お寺に来たからには、何かを得なければ。掴まなければ』と考えてばかりいると疲れてしまうので、心に余裕を持ちたいな、という時にふらっと来てみる。そんな気持ちで来てもらえたらうれしいです」

考えることも、答えを出さなければいけないことも多い現代。その変化のスピードについていけなくなる時は誰にでもある。

そんな時に、立ち止まって少し深呼吸をしてみる。自然体になってみる。自分自身の心の声に耳を傾けてみる。

何も考えずに、構えずに、ふらっとお寺を訪れてみるのもいいかもしれない。

―インタビュアーの目線―

― 絶対的に人を信じ、会いに来てくれる人 ―

友光さんと会ってそんな印象を受けました。仏教を広めるためにイベントをするのではなく、仏教がこれまで作ってきたものを、イベントを通じて人に届けているとのこと。それは、お坊さんやスタッフ、来場者がみんな対等に楽しむこと、いわゆる実感できる仏教の世界観を作ってくれているのだと思いました。

周りに気を遣い疲れてしまう現代社会のなかで、友光さんは正論にとらわれず、その人を信じて味方になってくれるお坊さんだと思いました。これからも活動を通じて、何かと疲れてしんどい人の気持ちを軽くしてくれることでしょう。

プロフィール

友光 雅臣(ともみつ がしん)35才

東京都品川区/天台宗常行寺 副住職

1983年生。大正大学卒。

2008年 天台宗比叡山で修行

2011年より寺社フェス『向源』を主催。

初年度の入場者数は70人ほどだったが、現在15000人を超えるイベントに成長。

東京や京都で開催し、現在も代表を務める。

2018年にはニコニコ超会議にて若者向けイベントを実施しながら、来場者の話を聞くブース「お坊さんと話そう」など、若者との対話活動を積極的に取り組んでいる。

常行寺  http://www.tendaitokyo.jp/jiinmei/jyogyoji/