日蓮宗延命院 下宮 弘聖 しもみや こうせい
人生を楽しんでもらいたい〜明るい気持ちになるお寺〜
JR山手線・日暮里駅から徒歩5分にある日蓮宗・延命院。近くに谷中霊園があり、駅のまわりにもお寺がたくさんあるエリアだが、そのなかでも延命院は山門から続く石畳の参道が見渡せて、開かれた雰囲気のあるお寺だ。その住職が今回話を聞いた下宮弘聖(しもみや こうせい)だ。住職を継いで間もない下宮に、35歳で住職になった理由を聞いたところ、「父はまだ60代ですが、元気なうちに住職を引き継いだほうがいいと言われたから」とサラッと話してくれた。彼はいったいどんな僧侶なのだろうか。
お寺の子として生まれ、僧侶になった
延命院の長男として生まれた下宮は宗門校である立正中学・高校を卒業している。仏教系の学校とはいえ、当時300人ほどいた同級生のなかでお寺の子供は10人程度。一般の学校と変わらない環境だった。住職である父から「自分の好きなように生きていけ」と言われていた下宮は、幼い頃からお寺を継ぐことに反発するわけではなかったが、自分が住職になってお寺をもっと大きくしたいという夢があるわけではなかった。
「小さい頃に読んだ本に影響を受けたのかもしれません」と、下宮が影響を受けた児童文学作家ミヒャエル・エンデの作品『モモ』の話をしてくれた。物語のなかで、もっと豊かになりたいと人はセカセカ働き、人生を楽しむことを忘れ、心を失っていくことが描かれており、下宮はこの本で哲学と仏教に近い考え方があると感じたという。東京の私立中学校に通う同級生のなかには超富裕層と呼ばれる家庭で育った仲間もいた。彼らがたくさんの給料がもらえる会社に就職するために、いい大学へと進学しようと勉強に費やす時間に「本当にそれが楽しいのかな」と疑問を抱いた。仏教は先祖がいるおかげで自分が生かされていることの有り難さを説いているが、『モモ』の話が教訓になり、その価値観に似た仏教の道へ進むことを決めた。
修行で出会った言葉「智恩報恩」
大学の仏教学部の学生のほとんどが僧侶になるために入学していたので、周りの仲間の仏教を学ぶ姿勢は真剣そのものだった。そんな中、下宮は周りの学生のモチベーションの高さに少し戸惑っていた。僧侶になる意気込みや、身につけたいスキルが自分の中に必ずしもあったわけではなかったからだ。しかし、日蓮宗の修行のひとつであり、35日間指導を受ける信行道場で、下宮の考えが変わることになる。
信行道場のなかで「智恩報恩(知恩報恩)」という言葉に出会った。その意味は、自分が多くの人に支えられていることを知り、その恩に報いること。下宮は自分が暮らしてきた環境や生活は人から与えられたもので、寺院は檀家や地域の方から支えられたものでもあると気付いた。その恩返しとして広く社会に報いていくのが自分のこれからすべきことだと考えるようになった。下宮は修行後すぐに延命院に戻らず、宗門機関である日蓮宗宗務所に勤めることを決意する。父に宗務所勤めをしたいと相談したところ、「自分の好きなように生きろ」と変わらず下宮の考えを尊重してくれたそうだ。
面接試験を受け、入所が決まった後に配属先を聞かされるのだが、その部署の上司は延命院と同じ教区の寺院の住職だった。下宮が配属された理由は「延命院の息子ならしっかり仕事をしてくれるだろう」とのことだった。理由を聞いた下宮は、実家のおかげでいただくご縁もあるのだなと「智恩報恩」を感じた。その上司とは入所後13年間、ずっと一緒に働かせてもらうことになるのだった。
全国の寺院を見て気付いた現状
下宮の配属先である「寺院僧籍課」は宗門の法律に関わる問題を管理する部署だ。全国の寺院から法律に関する相談を受けた際にサポートする部署で、国が定める宗教法人法に基づき、寺院運営に関わる法律情報やサポートを宗門寺院に提供している。例えば、僧侶が新しく寺院を建立する場合は、行政の規定で寺院設立賛同者数が一定数必要であるが、その署名を提出する際手続きといった相談対応を提供するなどしている。寺院経営に必要な法務関連の仕事は住職になるために有意義な仕事だったという。
しかし視点がひとつ変われば、ネガティヴな考えを持つ寺院が少なくない現状を知るきっかけでもあった。寺院からの相談内容のなかには、檀家や地域から迷惑をかけられたので予防策を知りたい、空いている土地を自分のものにしたいといったものもあった。切実ではあるが、決して前向きとは言えない解決に時間を使うのが社会に対して寺院がすべきことなのか疑問を感じた。
下宮は「自己満足のために時間を使うより、もっと楽しいことに目を向けたらいいのに」と残念な気持ちになったという。課題を抱える寺院のために解決策を提供する仕事ではあったが、ただ答えを出すことが真の課題解決になっているのか。もやもやとした思いを抱えたまま働いていた最中、父から延命院に戻って住職を継ぐようにと言われたのだった。
入り口から条件を付けないお寺にしたい
2020年11月に住職を継いだ下宮は、延命院に来てくれた人にお寺に来て良かったと思ってもらえるお寺作りとは何かを考えた。そこで思い出したのが、宗務所で働いていた時に先輩に連れて行ってもらったスナックだった。そのスナックは気さくなママがひとりで切り盛りする小さな飲み屋で、注文も好きな時に頼めばいいし、お店に入るのに決まった料金もない。気取らない雰囲気の店だったが、初めて店に行った下宮にもママはあれこれ聞いてくることはなく、ただ飲むのに付き合ってくれたそうだ。
訪れるお客さんは目的が決まっているので、その近くで話を聞いてあげることがもっとも満足度が高いとスナックを事例に気付いたという。そこで、下宮はお寺に来る目的のひとつであるお墓参りに着目し、境内に入壇条件のない樹木葬を開所したのだ。
「入り口で条件を付けず、お寺に来てくれた人がお坊さんと話したいなと思ったときに近くにいることができる環境を作った」という下宮。自由に出入りできる公園墓地と違い、延命院では墓所へ入るためには必ず境内受付を通るので、お墓参りする前に延命院の誰かと必ず顔を合わせることになる。そこで一言挨拶を交わすことがコミュニケーションの積み重ねとなり、お寺付き合いのひとつとなっているのだ。
「いらっしゃい。ありがとう。また来てね。スナックのママはシンプルな言葉をサラッというだけであれこれと話しかけてこないんです」と、下宮は楽しい場の雰囲気がどうやって作られるのかを身をもって感じていた。その知識から延命院もまた来てくれた人が居心地よくなるための取り組みを実践している。
こちらから答えを出さない優しさもある
下宮からこれからのお寺に求められるコミュニケーションについて話を聞いた。「お寺にいるといろんな人からの悩みをお聞きします。その答えや事例を紹介してあげるのも解決策のひとつですが、ときにはそれを言わないことが解決につながることもあります。その人の悩みの深さにもよりますが、答えを直接言われてもスッキリしないことがあるかと思います。本当は相手の中で答えが決まっている場合には、こちらから答えを言わずに相手が自ら答えを引き出せるように話しかけてあげることが大切です。簡単な悩みならインターネットで検索すれば答えが出てくる時代。本当に辛い悩みは解決に導くにも時間がかかるので、何回もゆっくり聞いてあげることが住職の役割だと思います」。
否定もせず、答えも出さないのが相談相手への優しさのひとつだという。
悩みを瞬間的に解消するだけが真の解決にならないと下宮が考えるのは、焦らず人生を楽しむために生きてほしいという仏教の根本的な考えが根付いているからだ。感謝する心を持ち、いまある暮らしを楽しむ心を持ってもらいたいという下宮。延命院に来てくれた人に少しでも明るい気持ちになって帰ってもらいたいと、境内整備や色とりどりの花木が映えるように場の雰囲気作りを心掛けている。
日蓮宗延命院
東京都荒川区西日暮里3-10-1
JR日暮里駅北口より徒歩5分