メニュー 閉じる
【曹洞宗正壽寺】早坂 光司

曹洞宗正壽寺 早坂 光司 はやさか こうし

人との出会いで気づいたこと

「僧侶にとって大事なのは修行だけじゃないと気づきました」

 名古屋市西区にある曹洞宗・正壽寺。名古屋駅から平坦な道で歩いていける場所にあり、毎月第二月曜の朝7時に開催している坐禅会には出勤前の会社員が気軽に立ち寄るなど市民に親しまれているお寺だ。

その住職が今回話を聞いた早坂光司(はやさか こうし)だ。一般家庭で生まれ育ったが中学卒業後、すぐに仏門に入った。宗門大学を卒業した後も修行僧として曹洞宗大本山・總持寺に上山(じょうざん。修行に入ること)するなど、長く修行の道を歩んできた早坂だが、ある悩みをずっと抱えていた。

「人付き合いが苦手なんです」

独身時代は生涯ひとりで生きていくと思い込んでいたが、妻・宏香さんに出会ってからは人と接することができる住職の仕事に喜びを感じるようになったという。彼はいったいどんな僧侶なのだろうか。

お坊さんにならないかと誘われて仏門へ

 早坂は大阪府内の一般家庭で生まれ育った。祖母がお寺の生まれということもあり、小さい頃に祖父母から「大人になったら僧侶になるんだよ」と言われていたそうだ。一方、両親から生き方について何か言われた事はなく、早坂自身は気にも留めていかなった。

しかし中学3年生のとき、名古屋市内で住職をしていた叔父から「お坊さんにならないか」と声をかけられた。「私が僧侶になるとは想像もしていませんでしたが、断る理由もなかったというのが正直なところです」と素直な性格の早坂が僧侶になると決めた背景を聞かせてくれた。

 早坂は高校に通いながら豊川市内にある僧堂(修行僧が寝食を共にして修行に励む場)に入った。15歳で仏門に入り、遊ぶ時間もなく修行に励む日々に同安居(どあんご。同級生)の中には音を上げる者もいた。ほとんどの同安居が親から言われて僧堂に入っていたのだ。

「僧侶になるかどうかは自分が決めなさいと両親から言われてきました。自分で決めた道なので逃げちゃダメだと思いました」と、より一層僧侶になる強い決意を固めたという。

 早坂は厳しい修行の毎日を粛々と過ごしていたが、次第に悩みが生じてきた。仏教の言葉が自分のなかで体得できなかったのだ。修行を重ねて仏事での作法や立ち振舞いは身についてきたのに、座学で教わったことを自分の言葉に置き換えて話せなかったという。

ある日、本山から来た高僧の法話を聞く機会があったが、それでも本当に理解した感覚は得られなかった。自分のなかで理解できていないまま僧侶になるより、仏教を体得したい想いが強くなり宗門大学に進学したいと思った。それからは就寝時間を削って受験勉強し、愛知学院大学へ進むことになる。

「まずはやってみなさい」

 大学では僧侶を目指す学生たちと一緒に学んだ。僧堂で暮らした高校時代より垢抜けた仲間が増えたが、自分自身にあまり変化はなかったという。大学まで進学し、仏教を学び続ける日々。それでもまだ仏教を体得したと感じられない自分に焦燥感を覚え始めていた。

早坂には信頼するゼミの先生がいた。僧侶でもある先生には何でも相談できたそうだ。ある日、先生に思い切って「自分がこれから何をしていいのかわかりません」と打ち明けたそうだ。しばらく考え込んだ先生は、「いまからうちの寺へ一緒に行かないか」と誘ったという。先生のお寺は新潟県にあり、真冬の時期だったがその足で新潟に向かった。

 新潟に着いたとき、生まれて初めて見る一面の雪景色に感動したそうだ。先生のお寺で雪下ろしを一緒にするなど、先生はずっと早坂に付き合ってくれたという。「あれこれと悩んでいるのはわかる。ただ、物事は触れてみないとわからないんだよ」と、先生は告げた。悩み塞ぎ込んでいた自分を、先生は連れ出しいろいろな経験をさせてくれた。

そのとき早坂は、僧侶になると決めた頃の自分を思い出した。先生は初心に戻るきっかけを作ってくれたのだ。これは早坂の人生で忘れられない体験になったそうだ。

 大学に戻り仏道を改めて真摯に学び、卒業時期も近づいていたが、本山へ上山したいと思うようになっていた。早坂は、その気持ちを素直に先生に相談すると、「まずはやってみなさい」と言ってくれた。

「本山で何が学べるのか、自分は何をしたいのかわからないまま先生に相談しました。いま思い返せば先生はその答えを知っていたのかもしれません」と、この先生のひと言が未来の早坂に大きな気付きを与えることになる。

人が集まるお寺にしたい

 早坂は本山の修行僧として總持寺で、修行に励んだ。そんななか、名古屋市内で住職をしていた叔父が市内のお寺で跡取りがいなかった正壽寺を紹介してくれた。それから早坂は、時々本山から正壽寺へ手伝いに出るようになり、總持寺で3年の修行後、正壽寺に副住職として入った。尼僧だった前住職は、当時20代だった早坂に、正壽寺での仏事や作法を丁寧に教えてくれた。

それを懸命に学んだ早坂は、大抵のことはこなせるようになったが、人付き合いだけがうまくできなかったという。前住職は地域のどんな人にでも気さくに話しかけることができる人柄だったが、早坂はどうやって話しかければいいかわからなかったそうだ。

入寺して5年後、早坂は住職になったことで人前に出て話す機会がさらに増えた。「檀信徒さんから『必要なこと以外、何も話さない人ね』と言われました」と、長い僧侶生活のなかでも最大の壁にぶつかった。

そんなとき、妻・宏香さんと出会ったことで運命が変わることになる。知人からの紹介で知り合ったが、気立てが良く優しい性格で、会ったときからこの人と結婚するだろうなと思ったという。

宏香さんと何度か会った後、正壽寺に連れていくことになった。早坂は宏香さんに「正壽寺を人が集まるお寺にしたい」と伝えた。自分の夢を初めて人に伝えることができた。自分でも驚きながらも、横では宏香さんが優しく微笑んでくれていた。

僧侶にとって大切なこと

 結婚した早坂は夫婦二人三脚で正壽寺を切り盛りしていた。一般家庭で育った宏香さんは檀信徒や街の人々と同じ目線でお寺を見てくれたので、早坂には斬新に思えた。

たとえば、これまで坐禅会の参加者に朝粥を出していたが、宏香さんは季節の野菜などを添えて彩りある『きせつのお粥』にしてくれた。毎月の坐禅会が楽しみになったと参加者の会話も増えたそうだ。宏香さんのひと手間は早坂自身が行き届かないことを気づかせてくれた。それが嬉しかったという。

 早坂にこれまでの人生で嬉しかったことは何かと聞いた。
「妻と出会ったことです。お寺のことだけでなくいつも私を支えてくれて、出会った時から変わらず優しい。この人と結婚して良かったと思います」。

 僧侶になって今思うことは何か。
「僧侶にとって大切なものは修行だけではなく、他にもあると気がつきました。正壽寺は街の方々とともに暮らしてきたお寺なので、お寺に人がいないと成り立ちません。住職の仕事で大切なのは人と接することだと思います。20代の自分は修行が何より大事なものでした。そして50歳になった今、人と関わることができるのは有り難いことなんだとみなさんのおかげで気がつきました。これからは、このご縁を必要としている方々へ繋げてゆくために、いろいろな活動をはじめています」。

若い頃、自分に足りないものを追い求めていた早坂。より大切なものがあると諭してくれた大学時代の恩師は亡くなってしまったが、妻とともに成長した姿で歩み続けている。

(インタビュアー・文)DIALOGUE TEMPLE 編集長 池谷正明

曹洞宗正壽寺

名古屋市西区則武新町1丁目8番2号

市営地下鉄鶴舞線「浅間町駅」3番出口より徒歩約13分
名古屋鉄道名古屋本線「栄生駅」より徒歩約15分
名古屋市営バス「菊ノ尾通二丁目」バス停下車徒歩約3分

早坂 光司曹洞宗正壽寺

一般家庭で生まれ育った早坂住職は、当初人付き合いが苦手だったといいます。しかし、奥様との出会いをきっかけにお寺に来てくださる方々に楽しんで来てもらうための取り組みを始めたところ、「人と関わることができるのは有り難いことなんだとみなさんのおかげで気がつきました」 と、住職として街の人と関わることを大切にしているようです。

ご案内

正壽寺ホームページ

正壽寺ホームページ

株式会社唯ホームページ

株式会社唯ホームページ

僧侶の人柄記事

僧侶の人柄記事

株式会社唯