地域住民と寺の距離を近づける
野々部氏は、昭和から平成と元号が変わった時に金剛院の住職となった。「天皇が変わるということは、まったく別の時代になるということだ」と肌で感じた野々部氏がまず最初にしたことは、お寺のホームページの作成だった。
当時、お寺のホームページはほとんどなく、むしろ「お寺にホームページが必要なのか?」と失笑を買うくらいの時代ではあったが、独特の嗅覚がある野々部氏は「迷いもしなかった」という。
一口にホームページと言っても、そこに掲載できるコンテンツがないと意味がないので、さまざまな催しなどを開催し始めた。
「お坊さんのファッションショー」「寺シネマ」など個性的な催しもひとつひとつは成功し、それなりの成果を挙げた。しかし、何かが足りないと感じている中で気づいた答えが「地域コミュニティ」だったという。
今では当たり前のワードではある。しかし20数年前には世間でも一般的ではなかった。しかも、檀家という極めて狭く小さな中での関係ではなく、彼が着目したのは広い意味での地域住民とお寺の距離感だ。
「お寺は何より地域住民との信頼関係が必要だ。地域はクチコミ社会なので良いことも悪いこともすぐに広がる。金剛院がこれまで築くことができなかった社会的な課題や地域住民との関係を構築するには、僧侶自身が地域のもとへと出ていかなければいけないと思いました。」
野々部氏はNPO法人ライフデザインを設立し、「しいなまち みとら」というコミュニティスペースを近隣の商店街に路面店でオープンした。
野々部氏は入りにくいお寺のイメージを払拭したいと思っていた。そのために、お寺の出張所として寺外で広く地域住民に対し写経などのプチ修行や人生相談、仏事相談などを提供。
一方、NPO法人として幅広く活動することで行政、地域、企業との距離感を少しずつ縮めていった。
東日本大震災が発生した後、地域コミュニティの重要性が多方面で論じられるようになると、「しいなまち みとら」の取り組みにも注目が集まるようになった。
東日本大震災によって時代の流れが「心の時代」に大きく変わり、しかも短い時間でいろいろなことが変化していく時代になった。
「変わらなければいけないこと」、「変わってはいけないこと」の仕分けをする中で、野々部氏は金剛院の敷地内に、“葬儀をしない”というコンセプトのもと、点と点を線とし、面へつなげていくためのコミュニティを重視した施設「蓮華堂」を建設した。
シニア食堂、障害者就労支援、親子保育、デスカフェなど、時代が求める確かなものを伝えることができるコミュニティの場としての催しを、週に10本くらい運営する「プラットホーム」として構築していった。
これらの催しだけで年間3万人くらいの方がお寺に訪れるという。つまり、お寺が何をしているのかわからない、住職はどんな人なのか、檀家しか入れないというお寺のイメージが、この取り組みによって変わってきたのだ。
「物事は、急には作り上げられない。」5年、10年先を見据えて「しっかりと点を打つ」「縁を作り上げていく」ということを「いま」していかないと、お寺の未来はないという彼の言葉だ。