浄土真宗本願寺派専修寺 高橋 了 たかはし りょう
お寺は心を形で表す場所
山口県下関市豊北町に開基460年の歴史をもつ専修寺はある。豊北町は人口8000人ほどの小さな町だが、街の人がお寺に来る文化が根付いており、日頃からお寺の住職と気軽に話している。
その住職が今回話を聞いた高橋了(たかはしりょう)だ。長門市にあるお寺の三男として生まれたが、母の実家である専修寺を継いだ。高橋が住職を継ぐことになった背景には特別な想いがあったそうだ。
「お寺は形には表現できない無形文化が集まる場だと思います。たとえば、お寺でいただくお香の奥深い香りや、餅つきをいろんな世代の人が協力し合うことで得られる味わいなど、お店では体験できない文化があると思います」。そう語る彼はいったいどんな僧侶なのだろうか。
お寺の子として生まれて
高橋が進路を決めようとする年頃のころ、僧侶を目指すことは自然と考えられた。長男である兄はすでに海外教区で僧侶として働いており、次男は実家のお寺を継ぐことになっていた。
三男である高橋は、両親から僧侶になることを強制されたことはなかったという。ただ、高橋が育った地域では人がお寺に集う文化もあり、お寺の子として生まれた高橋も僧侶になる未来を前向きに捉えていた。
高橋は自分の意思で京都の宗門大学に進学し、得度習礼(とくどしゅらい。僧籍を得るための研修)を受けた。その時、母は大変喜んでくれたという。母方の祖母は母が高校生の時に亡くなっており、高橋は祖母のことを知らない。
そんな高橋に母は「おばあちゃんが大変喜んでいるよ」と話したそうだ。会ったこともない祖母が自身のことで喜んでいる光景を高橋はなぜか思い浮かべることができた。
母が昔から言い伝えてくれたおかげで祖母の思いが伝わってきたのだろう。今でも高橋はこの時のことを不思議にも嬉しかったと振り返る。
僧侶の価値とは何だろう
僧侶の資格を取った高橋だったが、社会に対し僧侶ができることには思い悩んだという。死とは何か、生きるとは何か、それに対し何を答えることができるのか。宗門大学では仏教の勉強や僧侶としての作法を学ぶことはできても、僧侶が提供できる価値や事例などは探せなかった。
思い悩んでいるなか、『形を見たら心を訪ねよ。心を聞いたら形で表せ』という言葉に出会った。高橋は「僧侶が提供しているサービス自体が重要なのではなく、人から求められた想いそのものが大切だった」と気づいたという。
ちょうどその頃、京都にあそかビハーラ病院という緩和ケア施設があることを知る。ビハーラとはサンスクリット語で「休息の場所」の意味があり、あそかビハーラ病院は仏教を背景としたターミナルケア施設、いわゆるホスピスだった。
ある日、高橋はその病院で働く看護師と話す機会があり、僧侶が病院で何をしているのかを尋ねると、これから病院で見学研修があるから来ないかと誘われ、その足で病院に向かった。病院に着くとちょうど患者が息を引き取り、施設から搬送される光景を目にした。
僧侶である高橋がその場面でできることはただ念仏しかないと一心に合掌し、念仏した。命を終え、家族とともに見送られる場面を初めて目の当たりにし、その後は施設のなかでただ放心状態になったという。
そんななか、その日は施設の人が楽しみにしていた年忘れ会があり、お見送りを終えたスタッフは準備で忙しそうにしていた。その年忘れ会ではバイオリンの演奏やパントマイムなどの出し物をするスタッフの姿があり、患者さんとご家族は笑顔であふれてたという。高橋はここで僧侶としての勉強をしたいと、あそかビハーラ病院に研修生として入ることになる。
ビハーラ僧として患者の緩和ケアに携わることになったが、初めての医療現場は戸惑うことばかりだった。緩和ケアに従事する看護師には新米の僧侶に医療についてゆっくり教えてくれる時間もなく、高橋はとにかく邪魔にならないようにするしかできなかった。
しかし、ある看護師から死に対して不安を感じる患者にどう接すればいいのか悩んでいると相談されたという。仏教ではこの場面でどう声をかけてあげればいいのかを尋ねられたのだ。高橋は自身の学びから、その人の死生観を聞くことが大切だと伝えた。死とはこういうものだと決めつけず、一緒に対話しながら想像していくことで少しでも安心してもらうことが大切だった。
あそかビハーラ病院では、患者はいずれ死を迎える人、看護師はそれを見送る人という存在ではなかった。僧侶も患者も一緒になって死に対する不安を少しでも和らげようとする、家族と過ごす家のような場所だったと、高橋は当時を振り返った。
お寺は心を形で表す場所
ビハーラ病院に勤めた後、高橋は布教使(仏教を広める先生)になるための学校に入った。大学や病院で学んだことを全国の寺院に伝えたいと感じてのことだった。
しかし、その学びの過程のなかで、自分がひとつのお寺に属したとしても同じことはできると気づいたそうだ。高橋は帰省した際、僧侶としてどこかのお寺に入ろうか考えていると伝えたところ、父が専修寺に入らないかと勧めてくれた。
その後、父はすぐに叔父である専修寺の住職に話を持ちかけ、高橋の入寺が決まった。父の素早さに少し驚きながらも、実家から車で30分ほどの距離にある専修寺に入った。しかし、叔父である住職にお寺の門信徒について聞かせてもらおうと思った矢先、叔父が亡くなってしまった。
急に住職を亡くして不安なのは専修寺の門信徒さんも同じだと感じた高橋は「住職は死んで終わっていく命ではない。私と門信徒さんで共に住職を想って生きていきたいです」と門信徒一人ひとりに話かけていった。
すると多くの門信徒さんから、高橋が専修寺に入寺することを住職が喜んでいたと聞かせてくれた。これまで一度も専修寺の後継者について話題にしなかった住職が、高橋の入寺が決まったことを門信徒さんに報告していったそうだ。
その心を聞き、門信徒さんと一緒にこのお寺を守っていくと決意した高橋は、目に見えない心を形で表わしていくこととは何かを学んだという。
あなたはひとりじゃない
高橋にこれからお寺でしたいことを聞いた。「相手が大事にしていることは何かを聞きたいと思います。いま何に苦しんでいるのか、ビハーラ僧は毎日ベッドの脇で患者に話しかけていましたから。
同じことを地域でも行いたい。辛くてしんどい人に『問題があったらお寺に来てくださいよ』とは言えません。大切にしているのは、こちらから気にかけ、僧侶はお一人に対して大切に想っているんです、あなたはひとりじゃありませんよと、向き合って対話することです。『あの人なら相談できるよね』と思ってもらえる、そんなお坊さんになりたいです」。
あなたの命は仏様から願われている命、だから誰ひとりとして孤独の中に置き去りにしないと伝え続けてきた高橋。三男として生まれ、自分に何ができるのか不安で仕方がなかった学生時代、母から祖母の想いを伝えてくれたことや兄が家族お揃いの輪袈裟を作って僧侶になったお祝いをしてくれたことを振り返った。
父や叔父が高橋の入寺を心待ちにしていたことを聞き、その心を伝えてくれた門信徒さんに高橋は今日もこちらから一人ひとりに話しかけている。
浄土真宗本願寺派専修寺
山口県下関市豊北町大字田耕5120
山陰本線「滝部駅」からタクシーで5分
高橋 了浄土真宗本願寺派専修寺
あそかビハーラ病院にビハーラ僧(常駐僧侶)として働いていた山口県下関市・専修寺の高橋住職。
緩和ケア病棟に勤めていた経験から、終末期を迎える門信徒のご家族の相談相手になっているとお聞きしました。