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2019年5月20日、現地時間午後2時。カンヌ国際映画祭のレッドカーペットでメディアがレンズを向けた先には、会場の雰囲気とは少し不釣り合いにも思える、袈裟をまとった日本の禅僧の集団がいた。

列の先頭を歩くのは、四天王寺(三重県津市)の住職であり、全国曹洞宗青年会の前会長・倉島隆行(くらしま りゅうぎょう)だ。

彼が中心となり企画・製作された映画『典座(テンゾ)』は、カンヌ国際映画祭の批評家週間「特別招待部門」に選ばれ、試写会が開催されたのだ。

「カンヌ国際映画祭は夢のような場所でした」と笑顔を浮かべた倉島に、本作について聞いた。

                           フランス・カンヌ映画祭に出席する曹洞宗僧侶(一番左が倉島隆行)

仏道を求める若い僧侶の葛藤や求道を表現した『典座』

「国際舞台を通じて、日本の仏教のすばらしさを世界に伝えたい」という倉島の思いから企画された『典座』について、簡単にあらすじを紹介したい。

舞台は、東日本大震災後の日本。主人公は、一緒に本山で修行した2人の僧侶だ。

一人は山梨県都留市・耕雲院で修行する弟弟子の智賢(チケン)。父である住職とともに寺を切り盛りしながら、電話相談や精進料理教室など、意欲的な活動を続けている。

もうひとりは、兄弟子の隆行(リュウギョウ)。彼は、東日本大震災による津波で、福島県沿岸部にあった寺も、家族も檀家も全てを失っていた。現在は、がれき撤去の作業員として仮設住宅にひとりで住みながら、本堂再建を諦めきれずにいた。

彼ら2人を軸に、“仏道を求める若い僧侶の葛藤や求道”について、禅問答のように描かれている。なお、タイトルの「典座」とは、禅宗の寺院において、僧侶や参拝者の食事をつくる役職のこと。典座の教えは調理だけでなく、仏道を歩む上で大切な教えを多く含んでいる。

映画にとってなくてはならない人選だった尼僧・青山俊董老師

倉島は映画に隆行役として出演しているほか、プロデューサーとしてキャスティングにも携わっている。

作品の中で重要な役割を担う登場人物として真っ先に頭に浮かんだのが、尼僧である青山俊董(あおやま しゅんどう)老師だった。

「仏教を“葬式仏教”と揶揄されるような、軽い存在にまで腐敗させてしまったのは男性僧侶です。そのような状況下で、あるべき日本仏教の姿を体現し続けている人物こそ青山老師であることも伝えたかったのです」

とキャスティングの意図を説明してくれた。

倉島だからこそできる、仏教とカンヌ国際映画祭をつなげる発想

仏教とカンヌ国際映画祭をつなげてモノゴトを考えられるのは、20代の時にフランスで修行した経験のある倉島だからなせる業だろう。

彼は、福井の永平寺と、フランスの永泰寺での修行経験がある。

永平寺では修行と共に、同郷であり、昭和を代表する僧侶・澤木興道(さわき こうどう)老師の説話集に没頭。その中で、厳しい禅風の老師に禅僧の在り方を見つけた。

そんなさなか、大学の同級生の死に遭遇した。臨終の道を歩む同級生から仏教の意味を問われたが、口ごもり、答えることができなかった。

このまま僧侶になるわけにはいかないと思った倉島は、フランスの永泰寺で修行することを決意し渡仏した。

フランスを選んだのは、澤木老師の最後の弟子として得度を受けた弟子丸泰仙(でしまる たいせん)老師が、坐禅を本道とした仏教―あるべき日本仏教を布教していたからだ。

フランス人は、純粋に心身の向上を図り技術として坐禅に共鳴する人が多く、永泰寺にも僧侶になるための者だけでなく、ただ坐禅をしたい者など、様々な目的の人々が集まり、純粋に坐禅の探求を続けていたという。

実は、倉島が澤木老師の説話集と出会う以前にも、四天王寺とは少なからず縁があった。津が地元であったことから老師は幼少期に四天王寺を訪れて境内で過ごしたり、全国を回る参禅指導を始めてからもたびたび立ち寄っていたりしたそうだ。

このような話を聞くと、倉島が津に生まれたこと、澤木老師の説話集との出会い、フランスでの修行、そして映画のカンヌ国際芸術祭での上映というのは、全て縁でつながっているようにも見えてくる。

挑戦への覚悟と、批判を恐れずに貫いた意志

全国曹洞宗青年会会長への就任後すぐの挨拶で、映画をつくる意義について説明した倉島は、最後にカンヌ国際映画祭の会場のレッドカーペットの上を禅宗の僧侶たちが歩いている合成写真を見せた。

呆気にとられている出席者らに向かって、「私が先頭に立って推し進めるので、ぜひ後をついてきてほしい」と語りかけた。

しかし、組織内からすぐに多くの賛同を得られたわけではなかった。「なぜ、映画なのか?」「なぜ、自分の専門外の世界のことをしようとするのか?」という疑問や「組織を崩壊させかねない。リスキーだ」という意見もあったという。

倉島は、それらを意に介しなかった。「刺激が強すぎるとかリスクがあるとか、様々な意見を取り入れてしまうと相手の心に刺さらない、丸いものになってしまいます。」

同様のことが、現在の仏教界でも起こっているそうだ。批判への意識や表現への配慮を気にし過ぎてしまい、昔の経典のことに書いてあることを墨守(ぼくしゅ。頑固に守ること)するばかりで、修行をした僧侶自身の言葉で伝えていない。

また、宗派という狭い範囲でのピラミッド構造を意識し過ぎて、挑戦する意欲を失っている。

「そんな状況を打破したかったのです。途中で会長職を降ろされてもいいと思う覚悟でやりました。」

倉島は並々ならぬ覚悟で、このプロジェクトをスタートさせた。

想いがつなげた、監督との縁

倉島が力強く推進できたのは、彼の中で成功のビジョンが描けていたからだった。

自信の源のひとつが、全国曹洞宗青年会の副会長で、耕雲院(山梨県都留市)の副住職・河口智賢の存在だ。

彼の親族に、映画監督の富田克也がいたのだ。富田は『サウダーヂ』が第64回ロカルノ国際映画祭で独立批評家連盟特別賞を、第66回毎日映画コンクールでは日本映画優秀賞と監督賞を受賞するなど、国内外で高く評価されている。

縁を感じた倉島は、富田が作品の撮影中だったタイ・バンコクへ飛び、企画について伝え、2人で語り合った。意見が共鳴した富田は、その場で監督を引き受けた。

「『こうしたい』という思いがつなげた縁だと思います。これは人間が意図してつなげるとか、そういうことが及ばない領域かなと思います。」

と答えた倉島は、さらに前進した。

仏教界からのエール

当然だが、映画の製作にはお金がかかる。今回の製作予算は、協賛金のほか、全国の寺院からの寄付で賄うことにした。すると、寄付金は予想を遥かに超える1,000万円以上となった。

「全国の老僧の方々が、“若いやつに夢を託そう”ということで協賛していただけたようです」とうれしそうに語る倉島の表情が印象的だった。

当初は約15分の短編映画を製作するつもりだったが、寄付金が集まったことで作品の時間は1時間に、福島でのロケも入れるなど、スケールが一気に拡大した。

                                  カンヌ国際映画祭の記者会見会場にて

映画は、宗教である

映画製作に携わる中で、倉島は「映画は宗教である」ということに気づいたという。

きっかけは、映画の制作スタッフが映画を「神仏の目線」でつくっているという話を聞いたからだ。

映画には、私たちがふだん生活している時には持ちえない目線や角度から撮影した表現が多い。高い場所から俯瞰(ふかん)して撮影し、表現された映像は、まさに神や仏が見ている視点のようだ。

倉島は、映画に宗教的な部分があるからこそ、人智の及ばない現象が起こったという。たとえば現場で急に雨が降ったり、突然陽光が差し込んだりして、それらが映像に思いがけない効果を与えたり、偶然台本に最適なロケ地が見つかったりすることがあったそうだ。

                      カンヌ映画祭の舞台挨拶(左から富田克也監督、出演者の倉島隆行、河口智賢)

仲間たちと共につくり上げた作品への賞賛の声

倉島は、当初の宣言通り、袈裟姿の僧侶たちがレッドカーペットを歩くというビジョンを現実にした。

「上映後の記者会見では、今まで一緒に苦労してきた仲間たちの顔が浮かび、胸が熱くなりました。富田監督、制作チームである空族の皆さんに感謝したいです」

と語る倉島の語気には、熱が帯びていた。

試写会後の反応は上々だ。映画評論家たちからは「狂気に満ちたカンヌの中で禅のように穏やかな島だ」というコメントを、現地の高校生たちからも賞賛の声をもらったという。

倉島は「熱狂する映画祭の中で、私たちの作品で伝えたかった真理がフランスの方々に届いたと思います」と述べ、作品への自信をさらに深めたそうだ。

若い僧侶よ、大きくはばたこう

倉島は、任期満了に伴い、2019515日を以て全国曹洞宗青年会の会長の座を退いた。

若い世代にバトンを渡すいま、これからの彼らに求めることについて尋ねると、倉島は少し厳しい表情で答えた。

「仏教界の発信力を強めるためには、若い人材の登用が求められています。

その一方で、若い僧侶たちは“宗派の壁がある”とか“目新しいことをすると潰される”と言い、行動に移さないケースを見聞きします。

しかし、それではだめ。仏教者は、大きくはばたいた方が面白いのです。もともと、失うものなどないのですから。」

彼が「禅僧の在り方を見つけた」と言うほど尊敬する澤木老師も、若い僧侶の活動を訴えていた。

そして、その弟子だった弟子丸老師は単身で渡仏し、法式が整理されていなかったフランスに坐禅の文化を根付かせた。

弟子丸老師が日本を飛び出さなければ、フランスのみならず、ヨーロッパに坐禅文化は根付かなかったかもしれないし、倉島が渡仏することも、『典座』が制作されることもなかったかもしれない。

自分を信じてはばたいた人がいたからこそ、変化が生まれ、さらには次世代に意志が受け継がれたのだ。

「やるべきことを黙々とやれば、結果は出ると思います」という倉島の説得力のある言葉が、多くの若い僧侶たちに伝わることを願ってやまない。

―インタビュアーの目線―

インタビューで、「映画は宗教である」という言葉を耳にした時、倉島さんが『典座』という映画を企画したことに深い納得感を覚えました。

一般の方々に仏教の素晴らしさを伝えたい一方で、僧侶たちにはいま一度、仏の視点で自分達の姿を顧みる機会をつくるため、自分の背中を若い僧侶に見せたかったのかもしれません。

プロフィール

倉島隆行(くらしま りゅうぎょう)  41才

三重県津市/曹洞宗 塔世山四天王寺 住職

全国曹洞宗青年会・前会長

全日本仏教青年会第21代理事長

1977年三重県生まれ。

伊勢国際宗教フォーラム世話人としてダライ・ラマ14世をお招きするなど、宗教の垣根を超えて活躍している。全国曹洞宗青年会製作の映画『典座』(2019年秋公開予定)では、震災で寺を失って酒におぼれるお坊さんの役で出演。

第72回カンヌ国際映画祭批評家週間「特別招待部門」正式出品

四天王寺 http://www.sitennoji.net/

『典座』 http://sousei.gr.jp/tenzo/