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「最近、お坊さんと話したのはいつか?」と尋ねられ、即答できる人はいるだろうか?

誰かの葬儀や通夜に参列しただけでは必ずしもそのような機会はないだろうし、喪主を務めない限り、僧侶と会話する機会はないだろう。

寺は住んでいる地域にあるし、僧侶もそこにいるはずだが、精神的にはとても遠い存在になっている。

そんな中、寺や僧侶、仏教の存在を「自身の好きなものや経験談」を通じて、もっと身近に感じてもらおうと尽力している住職がいる。

東京都目黒区にある天恩山五百羅漢寺の住職、佐山拓郎である。

ゲームやマンガ、社会人経験…自分の趣味や経験を仏教の理解に活かす「開かれた場所」

「“仏教って宗教ですよね。宗教はちょっと…”と敬遠されることが度々あります。しかし、仏教は皆さんの日常とつながっている。私はそう伝えたいです。」

ゲームやマンガ、スポーツ観戦などを愛する佐山は、それらと仏教の教義をつなげた法話に長けている。

たとえば、ロールプレイングゲームの不朽の名作「ドラゴンクエスト」シリーズをテーマに、仏の教えや人生を生き抜く術を説く『ドラクエ法話』と名付けられたイベントが定期的に開催され、人気を博している。

これまでの人生で自分が没頭したものや趣味、経験を仏教に活かせるかもしれないと気づいたのは、ここ数年の間だという。それまでは他の寺の住職の法話など、どこかから内容を借りてこなければならないことが多かったそうだ。

その状況を打破するきっかけは、仏教がテーマのフリーマガジン『フリースタイルな僧侶たち』の中の読者投稿コーナー「しりとり法話バトル」との出会いだ。

毎号提示されるお題に沿った法話を、読者である僧侶たちが投稿。誌面の掲載を勝ち取れる作品は毎号1作のみという狭き門である。

佐山が同コーナーへの投稿を始めると、第10回のお題「途中」で初の掲載を獲得。「疑い」がお題となった第11回でも採用され、2号連続での掲載となった。

同回では、ドラゴンクエスト4の「しんじるこころ」というアイテムを入手するイベントに絡むホフマンというキャラクターのエピソードを交え、「なぜ差別があるのか?」という疑問を抱いたお釈迦様が出家に至った流れについて説いた。

掲載後、実際の法話にも同様の要素を盛り込んだところ、聴衆の反応が良くなったという。

「ドラゴンクエストと仏教にはつながりがあったのですね」という感想に手応えを感じた佐山は、それ以来、ゲームやマンガ、スポーツ、自身の10年間のサラリーマン経験などを交えた様々な法話を披露できるようになった。

10年間のサラリーマン生活の後、仏道へ

仏教を身近な存在にすべく活動している佐山は、東京都台東区にある小さな寺の跡取りとして生まれた。

幼少期から「寺の跡取り」として英才教育を受けていたかというと、そうではない。本人曰く「ほとんど寺の手伝いをしない子ども」で、寺を継ぐ、継がないという意識を全く持たぬまま学生生活を過ごしたそうだ。

大学卒業後も実家に入寺せず、書籍制作の会社に就職。入社後メキメキと頭角を現し、部下を持ち、プレイングマネージャーを務めるなど、サラリーマン生活はとても充実していた。

しかし、心身ともに疲労のピークに達した佐山は32歳で退職。縁あって五百羅漢寺に入寺することになった。

佐山は当時について、「正直に申し上げて、疲れ切っていた私にはもう僧侶の道しかありませんでした。当時の住職に拾っていただいたという表現が正しいと思います」と回顧した。

恩人は、お笑いコンビ「パンクブーブー」

仏教系大学の在籍時に寺での修行や仏教に関する授業を受けていたため、佐山が寺の業務に慣れるまでは、そう時間はかからなかった。そんな佐山の僧侶としての心構えをより堅固にした出来事が、2つあった。

ひとつは、2009年12月20日に突然訪れた。漫才日本一を決める『M-1グランプリ』をテレビで視聴していた佐山は、福岡出身の男性コンビ・パンクブーブーが初優勝し、ボケ担当の佐藤哲夫とツッコミ担当の黒瀬純が抱き合って号泣しているシーンを目の当たりにした。

「同年代の人が、自分の目標を達成するために全力を注ぎ、優勝という形で報われたことを非常にうらやましく思いました。このままだと、私は一生、何も目標を達成しないかもしれない。」

その日以降、佐山は「自分がこのお寺でできることは何か?」を真剣に考え始めるようになったという。

「パンクブーブーは、私の恩人だと思っています」という言葉を熱を帯びた表情で語る様子から、彼らが佐山の心境に多大なる影響を与えたことがよくわかった。

大震災で知った「自分のやれることをその場所でやる」ことの重要性

もうひとつの出来事は、2011年3月11日に発生した東日本大震災だ。

あの日、佐山は五百羅漢寺で被災した。寺に大きな被害はないことを把握した後、佐山は安全を確認するために実家へ向かい、確認が終わった深夜2時に夕食をとっていないことを思い出した。

コンビニには既に商品は残っておらず、飲食店も軒並み閉店しているなか、行きつけのバーが一軒だけオープンしていた。

入店した佐山が「大変ですね、こんな時にお店を開いて」とマスターに声をかけると、「こんな大変な時だからこそ、店を開けなくちゃいけない」と返答した。

その時、佐山は「“自分のやれることをその場所でやる”ということが人の助けにつながる」と身を以て実感したという。

社会人経験で養った「外の世界とつながる積極性」

これらの出来事により自分が僧侶として「どのように活動すべきか」という指針ができた佐山は、前住職の退任に伴い、自ら立候補し、2014年に五百羅漢寺の住職となった。

住職就任後、佐山はそれまで以上に新たな学びや出会いを求めるようになった。

まず、異なる宗派の勉強会に足繫く通い、他宗について学ぶようにした。

すると、あらためて浄土宗の良い点を再認識するようになったという。「“どの勉強会に行っても佐山がいる”と僧侶の間で話題になったほど」というから、その積極性の高さがうかがえる。

また、インターネット上のお寺「彼岸寺」というWEBサイトで紹介されていた、おもしろい活動をしている自分よりも若い僧侶たちに会いに行ったり、活動の現場に参加したりした。

その中でも、日本最大の寺社フェスである「向源」というイベントとの出会いは大きかったそうだ。

2011年から続いている「向源」は、神道や仏教などを含めたさまざまな日本の伝統文化を体験できる、宗派や宗教を超えた人気イベントだ。

その存在を知った佐山は、「自ら運営に加わりたい」という思いからボランティアとして参加。今年5月には、五百羅漢寺と隣接する羅漢会館を会場に開催される予定だ。

一連の行動力の源について、佐山は「社会人時代の営業活動が源。あの経験がなければ、これほど精力的に人に会いに外に出なかったと思います」と答えた。

「選ぶこと」は「選んだ道で全力を尽くすこと」

精力的に活動している佐山は、後悔のない人生を送るには「自らの選択」が重要であると語っている。

「後悔しない人生は、自ら道を選ぶことから始まると思っています。そして“選ぶ”は“選んだ道で全力を尽くす”と同義です。」

これは、浄土宗における「選択(せんちゃく)」の考えにつながるほか、彼自身が一歩踏み出すことで得た様々な僧侶との出会い、取り組みへの挑戦による経験があるからこそ語れる言葉だろう。

では、その道をどのように選べばよいのだろうか。

佐山は、「道が複数ある時は“どれが正解なのか?”と迷ってしまうこともあるでしょうが、それはいずれにも良いところがあるからです。選ばなかった方の後悔をなるべくせず、選び取った方で全力を尽くし、良い結果を手に入れることが大事です」と述べた。

「仏教を一般の人にとって身近な存在にする」ことを選択した佐山は、その目標の達成のため全力を尽くし続けている。

今後、どのような手段を取り入れるかが実に楽しみだ。

―インタビュアーの目線―

佐山さんにお話をうかがい、「寺や仏教、僧侶を遠ざけているのは、実は私たち市民にも原因があるのではないか」と思いました。僧侶を私たちと同じ一人の人間であると理解しているものの、高尚な存在として認識し、「住職も寺も、仏教も遠い存在だ」という考えに陥っているかもしれません。趣味や経験など、私たち市民との共通点はたくさんあるはず。それらをもとにお互いが歩み寄ったり、思い切って相手の懐に飛び込んだりすれば、両者の距離はこれまでよりも縮まるのではないでしょうか。

プロフィール

佐山 拓郎(さやま たくろう)43

東京都目黒区/天恩山五百羅漢寺 住職(2019年取材当時)

1975年生。大正大学卒。

大学卒業後、書籍制作会社に就職し10年間勤務する。しかし、自分の幸せを探し直すため、背負っていたものをすべて下ろすことを決意し退職。縁あって五百羅漢寺に入寺する。

2014年、住職の退位後、第四十世の住職に晋山。

五百羅漢寺には300体以上の「羅漢像」が祀られており、全国から見学者が集まる名所となっている。現在、「らかん仏教講座」や「お財布供養」「お寺の中のビアガーデンLa・GORA」など、五百羅漢寺で行われるユニークなイベントも人気。

五百羅漢寺 http://rakan.or.jp