人と人のつながりを目指し、本格的に仏門へ
小池の思いは強くなり、就職活動も地域貢献をポイントに地域に根ざした企業を志望していたという。
「いくつかの企業から内定もいただいた後、須磨寺の跡継ぎのこともありましたから、両親や管長にも報告をしなければと思っていました」
両親には「普通にサラリーマンとして働いてみたい」と告げた。僧侶になりたくない訳ではなく、もし跡を継ぐことになったとしても一般社会の人の視点を持った人になりたいと小池は考えていた。
両親は反対することもなく「自由にしなさい」と告げたそうだ。
しかし、管長の意見は違った。「一言目から『あかん!覚悟を決めなさい』と言われまして…」
管長は就職すること自体に反対していた訳ではない。
「跡取りの犠牲になる必要はない。しかし、戻れる場所があるからと中途半端な気持ちで働くことはどちらの道を選んでも良いことではないとおっしゃいました」
自分にはこれしかないと決めて企業で働くか、仏門に入るかの二択を前に、当時の小池は悩んだ。
「悩んでいたとき、母から一冊の本が届きましてね」
それはさまざまな仏教に関わる人が現代においてどのような活動をしているかが描かれた『がんばれ仏教!』という本だった。
そこに高橋卓志という長野の僧侶のことが書いてあった。高橋住職は市民向けの生涯学習勉強会「浅間尋常小学校」を実施したり、文化の発信、障害者支援活動など、地域や人とのつながりを重視する活動を、お寺を解放することで実践していた。
「お坊さんってこんなに可能性のある仕事なのかと驚かされました」
小池はお寺が地域のコミュニティの核として存在する事例を見て、自らが学んできたこと、やりたいことにとても近いと感じた。
お坊さんはお寺の中にいる人というイメージが覆った瞬間だった。
「仏心に目覚めた訳ではありませんでしたが、地域のつながりを作れるのはお坊さんなのかもしれないと思い、須磨寺の跡を継ぐことを決めました」