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【浄土真宗本願寺派/武蔵野大学名誉教授】ケネス 田中

浄土真宗本願寺派僧侶/武蔵野大学名誉教授 Kenneth K. Tanaka ケネス 田中

自分で伝える『自灯明』

「お坊さんはもっと自分の力で発信しないといけません」

武蔵野大学名誉教授であり、浄土真宗本願寺派僧侶でもあるケネス田中教授(法名:釈賢信)は、一般家庭で生まれ育ち、そして仏教に出会ったという。

アメリカで過ごした時、仏教文化における居心地の良さを感じ、そこから真に仏教を学ぶため、スタンフォード大学と東京大学で仏教と文化について研究した。

大学を退任後、世界中の学生に対しオンラインで仏教を教える活動を始めているケネス教授。「教鞭をとれるのは体力的に70代までと思っていましたが、コロナ禍で進化したオンライン環境のおかげもあり、私もまだまだできると感じました」と熱い想いを語った。彼とはいったいどんな人物なのだろうか。

父の強い決意でアメリカへ

日系3世であるケネス教授は山口県美祢市で生まれ、その後北九州市で暮らしていた。米国籍を持つ母はハワイで生まれ育ったが、戦前に祖父母と共に日本の実家に帰ってきた。

戦後、母は進駐軍のベースキャンプに勤めていた。女学校を卒業し、英語ができる才女だったので、当時の給与で日本男性の平均の3倍くらいもらっていたそうだ。ケネス教授は母からキャンプでの仕事の話を聞くのが楽しみだったという。

父は地元タクシー会社で運転手として働いていた。しかし、いつかはアメリカで勝負したいという想いから一念発起し、家族を連れてアメリカ西海岸へ移住することになる。

父はアメリカで庭師として働き、最初は苦労したそうだが、のちに家を複数持てるほど成功した。移住当初は日本よりも貧しい暮らしが続き、あるとき仕事の都合で引越しをした。そこでは近所付き合いとして教会に家族と一緒に行くことがあり、ケネス教授はこれまで日本で宗教活動に参加することがなかったため、新鮮な気持ちでミサに参加したという。

文化的アイデンティティーとしての宗教観

ケネス教授が住んだ西海岸のシリコンバレーには日系人が多く暮らしており、多くが仏教徒だった。アメリカでは仏教は少数派だが、街の寺院で行われた日曜学校には毎週300人もの子どもたちが集まっていたという。

アメリカで暮らすには何らかの宗教に属するということが社会通念上あり、ケネス教授はそれを受け入れることができた。しかし、移住当初親しくしてくれた教会の牧師に恩はあるものの、キリスト教の文化にはどうしても馴染めなかったという。

「神が社会を作ったというのなら、みんな幸福になってないとおかしいじゃないか」と、そもそもの教義に違和感があったのだ。そんななか、仏教寺院に通うようになった。日本でもあまり行ったことはなかったが、アメリカという他民族社会において、日系人である自分が寺院に行くことは、宗教観を通じて文化を確かめることができる体験だった。

つまり、アメリカにおける宗教は、それ自体が各国の文化を体感させる役割を有していて、それは日系人だけではなく、例えば、イタリア系移民であれば自国の宗教観をもって自身のアイデンティティを実感できる。

ケネス教授はアメリカにいながら日本の文化を感じる宗教施設であった『日本のお寺』に居心地の良さを感じたのだ。

仏教で社会を変えたい

ケネス教授はカリフォルニア州立大学に進学後、スタンフォード大学に転入した。当時のアメリカはベトナム戦争の反戦活動から学生運動が盛んに行われ、授業も閉講になることが多かった。

そのとき、アメリカがカンボジアに侵攻した時、学生たちが飛行機をチャーターしてワシントンに乗り込み、政府に抗議する事件が起きた。

「当時、アメリカは景気が良く、豊かな生活だったにも関わらず、市民は社会に対する不満を抱えており、特に人権侵害とベトナム戦争に対する政府への不満が爆発していました。そこには反戦ムードによるものというより、社会を民衆が変えたいという背景があったと思います。事実、自分がそうしたいと思っていましたから」と、ケネス教授は当時を振り返った。

しかし、漠然と社会を変えたいといっても自分では何も出来ない。生活が豊かなのにいったい何が不満なのか。理由を考えてみると、幸福度が高い社会にはそれを享受する文化があり、ただ生活が豊かになるだけでは人は幸せになれないのではないかと感じた。

そのとき、ケネス教授は地元の仏教会で地域住民が社会のために何ができるかをみんなで話し合っていたことを思い出した。

小さな田舎町だったが、みんなでイベントに取り組もうとする一体感があり幸福感を得たという。人は集まることでアイデンティティーを確かめ合い、活動を通じてそれぞれの文化を感じ、社会が成り立っていく。助け合い、慈しみあう心が文化を作るのだ。

仏教の慈悲の精神を知るケネス教授はスタンフォード大学を卒業後、仏教を学ぶため同じ西海岸にあるバークレーにある仏教大学院で修士号を取得した。ケネス教授は当時の自分と、いまの若い僧侶と重なる点があるという。

「昨今、スピリチュアルなものを感じたいとお寺や神社に来る人が増えたなか、日本の若いお坊さんもSNSなどで自己表現するようになりました。自分が漠然と何か社会を変えたいと思って猛烈に勉強したのと同じように、お寺に来てくれる人と一緒になって社会を変えたいと感じているのではないでしょうか」と、自ら発信し、社会とつながりを求める僧侶の姿勢を感じ取っていた。

若い僧侶が台頭し、ケネス教授が学んだ仏教と文化がこれからの社会を変えていくかもしれない。

慈悲・平等・一体観

ケネス教授はより深く仏教を学ぶため、東京大学インド哲学でも修士号を取得した。その後、アメリカに戻ってカリフォルニア大学で博士号を取得、仏教大学院で11年ほど教鞭をとった。仏教大学院の准教授に誘われるも、東京大学時代に師事した教授から声をかけられたことをきっかけに辞退し、武蔵野大学で教鞭をとることになった。

それ以降、日本で暮らすことになったケネス教授は自分のことをバイカルチャーと呼び、アメリカと日本の文化を両方あわせ持った存在と自負している。日本、アメリカ、それぞれの社会の良い点も悪い点も肌身で体感している。日本で暮らしていると日本の悪い点も感じることはあるが、日本にあるそもそもの文化には、人が自然と幸せを感じることができるものがあるという。

それが仏教の教えに基づく「慈悲」「平等」「一体観」の3つの要素だという。

「人はみんなこうあるべきだという強制的な教えではなく、ここに来て、感じ、気付きなさいという仏教の教えに通じる文化があると思います。人を慈しみ、人を平等に見ること、そして日本の村社会にあるように、私たちは仲間と一体であると感じることができる文化が素晴らしいと思うんです」。

群れから外れた人を蔑視せず、集う人たちで信じ合う文化が日本にはある。アメリカで生まれ育ったケネス教授の子どもたちは、現在アメリカで暮らしている。彼らが東京のアメリカンスクールで学んだ経験から、いまでは孫たちに日本の文化を教えることができることを誇りに思ってくれているそうだ。

法灯明だけでなく、自灯明を。

「いつか駅前で辻説法をしたいと思ったことがあるんです」と笑顔で話すケネス教授。アメリカの大学で博士号まで取得し、日本の大学で名誉教授の称号まで持つケネス教授が、わざわざ知らない人が往来する道端で、なぜ仏教の話をしたいのかを尋ねた。

「コロナ禍により、私たちはオンラインで仏教を教える機会が増えました。おかげで、仏教に関心のある人はアクセスしやすくなったと思います。逆に言えば、仏教に関心のない人にはさらに届きにくくなったのも事実です。体力があれば自分が信じた仏教のありがたさを広く伝えていきたいと思います」。

 お釈迦様が残した言葉に『自灯明・法灯明』がある。法灯明とは真理という灯、つまり本当に正しいことを信じて行動しなさい、ということ。自灯明は自分が仏法を体得して行動しなさいということ。ケネス教授は仏教に関心のない人へ無理に説くのではなく、ありがたい仏法に遇えたからこそ、自分が感じたことを伝えたいのだという。

「お釈迦様が教えてくれた法だけを伝えるのではなく、自分がそれを納得し伝えているか。これからの僧侶は読経や法話だけではなく、自分の人となりがわかる伝え方が必要になってくるでしょう」。

Kenneth K. Tanaka/ケネス田中浄土真宗本願寺派/武蔵野大学名誉教授

1947年山口県生まれ。日系二世の両親と10才で渡米。カリフ ォルニア州シリコンバレー育ち。米国国籍。スタンフォード大学(文化人類学 学士)。米国仏教大学院大学(仏教学 修士)、東京大学大学院(印度哲学 修士)。カリフォルニア大学(仏教学哲学博士)。1978年、西本願寺にて得度習礼、および教師資格を習得。米国仏教大学院大学准教授及び北米教区南アラメダ仏教会住職を経て、1998年武蔵野大学教授に就任し、2018年3月定年退職。 現在、武蔵野大学名誉教授。

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