相手の視点に立つことが共生の一歩
留学から戻った髙瀬は、大正大学から声がかかり、研究者として仏教の社会的責任をテーマに調査や情報発信をする活動を始めた。さらに、中学校でも教壇に立つ機会を得た。
その中で、中学生にホームレスのイメージを聞いたそうだ。生徒の意見は「家がない」「仕事がない」「ひとりぼっち」といったものに集約されたという。
そこで髙瀬は「では災害で家や家族を失い、仕事にも行けなくなった人は?」と問う。
「『それはホームレスではない』とみんな答えるのです。自然災害はしょうがないから、と。
しかし、私たちが出会ったホームレスの方の中にもしょうがない理由で困難な状況に追い込まれた人はたくさんいるのです」
髙瀬が出会ったホームレスの中には、母の介護で離職し社会復帰できずに資金が尽きて家を出た人もいる。
社会問題の背景は一つの要因で済まされないにも関わらず、自己責任の一言で片付けられることがある。
「自己責任論ですべてを片付けてしまうのは、課題そのものを見て見ぬふりをしているだけで、これは誰にでも“しょうがない理由”で起きうることなんです。
養護学校での体験のように、相手の視点に立つことが大切なんです」
人はつい自分の目線で物事を考えてしまうという。相手の目線からこの社会はどのように見えているのか。
「理解はできなくとも、思いを巡らさなければ歩み寄ることはできません」と髙瀬は語る。
「相手に思い寄ること。それが無ければ共に生きることは難しいでしょう」
髙瀬のように仏教者として、社会問題の本質や人の背景に目を向けることは仏教における智慧(一切の現象や、現象の背後にある道理を見きわめる心の作用)である。
「私たち僧侶はあらゆること、そしてその本質に目を配らないといけないのです」