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静岡県富士市にある法源寺の副住職でありながら、大学に勤務するのが今回紹介する髙瀬 顕功(たかせ けんこう)である。

僧侶でありながら、大正大学にて助教として教鞭をとる髙瀬。

ホームレス支援を行う「ひとさじの会」の代表でもあり、さまざまな顔を持つがそこには共通した考えがある。彼はいったいどのような僧侶なのか。

共生を初めて意識したきっかけ

髙瀬の父も祖父も高校の教員をしながら住職を務める兼業僧侶であった。

小さい頃から僧侶になりなさいと言われることもなく、自身も特に僧侶になりたいと特別に意識していた訳ではなかったという。

大学進学も宗門大学ではなく、一般受験で立命館大学に進学。その頃に教員免許を取得し「自分も父や祖父と同じ道をたどるのかなと漠然と思っていました」と僧侶になるために大正大学の大学院への進学を決めていた。

その大学院への進学前の出来事が髙瀬の人生に大きな影響を与えるきっかけとなる。

「地元の先輩から、産休に入る先生の代わりに授業を手伝ってくれないかと誘われたのです」

人手が足りないからと実家の富士市にある養護学校で4ヶ月ほど講師として奉職したそうだ。そこでは知的障がいのある8人ほどの高等部のクラスを担当した。そのクラスでは、髙瀬含め3人の教員が協力して授業を行っていた。

「障がいや社会福祉の勉強はまったくしてなかったのですが、これまで知らなかったことにたくさん触れて刺激的な毎日でした」と語る髙瀬。

たとえば、自閉症はこだわりが強くなる傾向があると言われるが、同じ自閉症でも窓が開いていなければいけない子、閉まっていなければいけない子とまったく異なる個性を持つ子が同じクラスにいた。自分のこだわりが相手にとっては嫌なことになってしまうとき、どうしたらそれを乗り越えられるのか、互いに納得できるのか、一緒になって取り組んだ。

また、数を数えることが苦手な子でも、仕切りのあるケースを使うことで必要な数を把握することができるなど、少しの工夫で健常者と同じように作業できることから、障がい者の社会参加に必要なものを感じ取ったという。

社会の仕組みは多数派のためにできあがっているから、少数派には困難なことが多く存在する。

「私たち多数派側の人間が門戸を閉めているのではないか」と感じた髙瀬は、ハンデを持つ人との「共生」を社会に対し寺院から発信できないかと考えた。

所属することで満たされる「心の充足」

修士課程を終えた髙瀬だが「経典を学ぶのも当然大切ですが、それ以上に現代社会における宗教の役割とは何なのだろうかと、ずっと気になっていました」という。

ちょうどその頃、髙瀬は海外の仏教徒とイベントで関わる機会をきっかけにアメリカの大学へ留学する。宗教者のボランティア活動の調査や、ホームレス支援のフィールドワークに参加することになる。

「イースターの時に、別の州の大学に行く機会がありました。その大学があるのは富裕層が多く住むエリアで、道すがらあるキリスト教会のそばを通りました。」

そこで髙瀬は雨の中、教会の周りで物乞いをするホームレスの姿を見た。

教会のミサに参加する人はきっちりとした正装で参加しており、時折お金をホームレスに渡すことはあったが、誰ひとりとして「一緒に中に入ろう」と声をかけることはなかったという。

「ホームレスの方に食事や金銭を与えるだけで、宗教活動を通しての心の充足を与えなくていいのか、と違和感を感じたのです」

キリスト教は多くのアメリカ人が所属する宗教である。そこに所属することでコミュニティの一員になったという感覚は確かに存在するだろう。

「日本でも一緒だと感じました。多くのお寺はホームレスの人々に目を向けません。多くの日本人にとって馴染みのあるお寺や神社といった存在が『ちゃんと見ているよ』とメッセージを伝えることで社会から見放されたという感覚を薄めることはできるのではないかと思ったのです」

相手の視点に立つことが共生の一歩

留学から戻った髙瀬は、大正大学から声がかかり、研究者として仏教の社会的責任をテーマに調査や情報発信をする活動を始めた。さらに、中学校でも教壇に立つ機会を得た。

その中で、中学生にホームレスのイメージを聞いたそうだ。生徒の意見は「家がない」「仕事がない」「ひとりぼっち」といったものに集約されたという。

そこで髙瀬は「では災害で家や家族を失い、仕事にも行けなくなった人は?」と問う。

「『それはホームレスではない』とみんな答えるのです。自然災害はしょうがないから、と。

しかし、私たちが出会ったホームレスの方の中にもしょうがない理由で困難な状況に追い込まれた人はたくさんいるのです」

髙瀬が出会ったホームレスの中には、母の介護で離職し社会復帰できずに資金が尽きて家を出た人もいる。

社会問題の背景は一つの要因で済まされないにも関わらず、自己責任の一言で片付けられることがある。

「自己責任論ですべてを片付けてしまうのは、課題そのものを見て見ぬふりをしているだけで、これは誰にでも“しょうがない理由”で起きうることなんです。

養護学校での体験のように、相手の視点に立つことが大切なんです」

人はつい自分の目線で物事を考えてしまうという。相手の目線からこの社会はどのように見えているのか。

「理解はできなくとも、思いを巡らさなければ歩み寄ることはできません」と髙瀬は語る。

「相手に思い寄ること。それが無ければ共に生きることは難しいでしょう」

髙瀬のように仏教者として、社会問題の本質や人の背景に目を向けることは仏教における智慧(一切の現象や、現象の背後にある道理を見きわめる心の作用)である。

「私たち僧侶はあらゆること、そしてその本質に目を配らないといけないのです」

「個」に寄り添う

仏教における檀家制度は、ある意味で個人を救いにくくなると髙瀬は考えている。

日本の寺院の成り立ちは、脈々と続く先祖供養を檀家寺として行い、檀家に支えられているものだ。つまり「家(イエ)」を中心に考えられている。

ではそのイエ制度からこぼれ落ちてしまった「個」に対して寺院は何ができているのだろうか。

「俺たちは生きていてもホームレスだが、死んでもホームレスだ」

とあるホームレスから聞いた言葉だ。彼らは家族と縁が切れ、死んでも遺骨の行き場がない。

「供養し、供養されるという連続性から外れてしまった人たちを、一番苦しんでいる人たちを、見て見ぬふりをしていていいのかと思うのです」

そもそも一般人の葬儀の成り立ちは、死穢(しえ)は触れたら伝染するものと考えられていた時代に、打ち捨てられた遺体を遁世僧(とんせいそう)が供養したのがきっかけである。

「これからは家だけではなく、個に対しても目を向けていかなければいけない」

とはいえ、檀家寺の僧侶が、檀家に対して家族の概念なんて関係ないとは言い難い状況ではある。

しかし昔の僧侶も、悪を犯させないために予め諌める教えである「抑止門」と、罪を犯したものであっても念仏の功徳により往生できる教えである「摂取門」を備え、多くの人の苦に寄り添ってきた。

「『家(イエ)』である檀家にも当然真摯に向き合い、そこに属さない「個」も重視して関わっていく。どちらに対しても目を配れるようになっていきたいです。

寺院を共生社会の中心に

これからの日本は人口の自然増も見込めず、世界から外国人を受け入れていくだろう。

日本で育ち、そのまま日本で死んでいく外国人も増えていく。そうすると供養の問題も自然と生まれる。

外から来たものを嫌がり、同質化を求めてきた日本の文化も開放的にならざるを得ない。

「単に供養の問題だけではなく、お寺がハブとなり、多様な価値を認め合い、共生の思想を広める場所になってほしいですね」と髙瀬は語る。

例えば、家族を大切にする人も、選択的に家族を持たない人も、LGBTの人たちも…

多様な価値を認め合う一つの場として寺院が存在する未来。

その未来に向けて、髙瀬は大学において将来僧侶を目指す若者に向けた授業で教鞭をとっている。

「いろいろなことにアンテナを張れる僧侶に育てたいんです。

葬儀や法事はもちろん大切ですが、それだけしかできない僧侶ではいけないと思っています」

檀家さんや葬儀で出会うご遺族の様子を見て、僧侶が本当に伝えたい事はあるはずだ。

人や社会の機微に敏感に反応し、寄り添える。

そんな僧侶が増えれば、髙瀬の思い描く寺院を中心とした共生社会が実現するのではないだろうか。

―インタビュアーの目線―

髙瀬さんは広いアンテナを持ち、理論的に実践を繰り返している僧侶でした。

それは大学内の研究室で働いているからではなく、僧侶としてこれからあるべき姿をイメージ出来ていて、それを明文化しようと日々実践している人だからです。

彼はイエ制度の崩壊を指摘するのでなく、イエを対象にしたサービスの限界と課題を指摘しています。

それは寺院が檀家制度に依存する現状から、サービスを提供する対象を広げる共に、寺院しか提供できない価値を訴求する時代へシフトしていくと思います。

大正大学ではこれからの寺院にとって重要な研究を髙瀬さん含め2人の研究者でしています。大学や中学校で見せる彼の背中に刺激される若き僧侶が増えてくれることを願います。

 

プロフィール

髙瀬 顕功(たかせ けんこう)36才
静岡県富士市/浄土宗米宮山大久院法源寺 副住職

大正大学地域構想研究所BSR(仏教者の社会的責任)推進センター専任講師

東洋大学文学部非常勤講師

芝学園芝中学校講師

博士(文学)

ひとさじの会 代表

立命館大学文学部卒業

大正大学大学院文学研究科宗教学専攻博士後期課程満期退学

1982年静岡県富士市生まれ。

ペンシルべニア大学客員研究員、上智大学グリーフケア研究所研究員を経て、現在都内で教鞭をとる。専門は宗教学、宗教社会学。宗教の社会参加をテーマに研究を行うかたわら、僧侶として社会活動にも取り組む。現在、僧侶による路上生活者支援団体「ひとさじの会」の代表を務める。

米宮山 大久院 法源寺

ひとさじの会http://hitosaji.jp

大正大学 BSR推進センター https://chikouken.jp/project/bsr/