兼業僧侶になり、独自の「子ども会」を運営
永福寺での6年間が過ぎようとしていたころ、同じ教区である甚行寺に跡継ぎがいないということで、藤尾はそこへ副住職として入寺する。
東京府中から横浜へ。名前も藤尾姓を名乗るのは甚行寺に入寺してからだ。
ちょうどそのころ、藤尾は「全国青少年教化協議会」<通称:全青協(ぜんせいきょう)>という仏教系の子ども会の財団にフルタイムで勤めはじめた。
兼業僧侶となった背景には、彼の負い目があった。
「通勤も体験せず、就職活動しないまま永福寺で働きはじめたので、本当の意味で自分はサラリーマンの苦しみを理解できないのではないかと思っていました。
そんなときに、たまたま子ども会の研修として、全青協が主催するワークショップや合宿に参加し、そこのスタッフから『一緒に仕事しよう』と誘われたんです。はじめてのサラリーマン生活ですね」
平日は毎日通勤し、土日に法事をする。有休はお葬式で使いきるという生活を3年間続けた。
財団の活動資金を捻出するためのチャリティーとして、各宗派の管長に直談判して書を書いてもらい、墨蹟の掛け軸にして、全国各地の百貨店にならべて協賛金も募った。
「書を受けとるために、京都や奈良へは自分の足でまわりました。真宗には坐禅をくむような修行はないので、そういう意味では勉強するとなると、それこそいろんなところで頭を下げて仕事をすることを経験すべきと思っていましたね。」
全青協で出会った、お坊さんをふくめた魅力的で活動的な人たちからも大いに刺激を受けた。
超宗派の活動であるため、仏教界の折り目正しさを知り、子ども会の指導者育成の企画では、他宗派のアプローチの仕方を教わり、仏教以外の専門家からの学びを得ることもあった。
「なかには年下の方もいますが、その方たちも、わたしにとっては“師匠”でした」
甚行寺に入寺するにあたって、「子ども会」をスタートさせた藤尾。
はじめた当初は、人数がなかなか集まらなかったが、いまは約25名が参加する。参加者の半数は檀家で、檀家が友人を誘って連れてくることも少なくない。
「学校とは違う、近所の目でもない、親以外の兄妹ともちがう、微妙な年齢差の子ども同士が相談しあったり、『そこに居ていい。生きていていい』と言ってあげられる場所が子ども会です」
子ども会へのひとかたならぬ思いを語る藤尾は、前の住職が亡くなった2019(平成25)年に第十六世住職に晋山した。
幼児教育に携わっていた経験を持つ妻が企画の仕上げをするようになったことで、子ども会の内容もこれまで以上に充実してきている。
檀家との向きあい方もアドバイスしてくれる妻は、彼にとって強力なサポーターだ。
「わたしも在家の出ではありますが、大学のときに得度したので、だいぶ染み込んでしまっているんですよね。妻はお檀家さん目線をわたし以上に理解していて、お檀家さんへの接し方については、二人でよく話し合っています。」