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全国で2番目にお寺が多い、大阪府。そんな大阪府の中でも特に多くの寺社が密集しているのが、大阪市天王寺区。460年の歴史を誇る大蓮寺と、その塔頭寺院・應典院も、天王寺区にあるお寺のひとつだ。

1997年に再建された應典院は、表現活動をする若者の集う劇場型寺院となっており、「日本一若者が集まるお寺」としても知られている。

そんな大蓮寺と應典院の住職を兼務しているのが、秋田光彦住職。

20代の頃は情報誌や映画製作の分野で活躍していたという特異な経歴を持ち、入寺後は、應典院の再建、NPO活動やアート活動の支援など、仏教界の中でも時代に応えて先駆けた取り組みを行ってきた。彼は一体、どのような僧侶なのだろうか。

大ヒット映画のプロデューサーが僧侶の道へ「これからはお返しをしていく人生を選ぼうと思った」

秋田は大蓮寺に生まれたが、僧侶になるのは嫌だったため、宗門大学には行かず、上京して明治大学に進学した。

卒業後は、情報誌「ぴあ」で働きながらインディーズ映画のプロデューサーとして活動。自主制作した『狂い咲きサンダーロード』はメジャー公開されヒットし、高い評価を得た。

しかし、その後の映画が興行的に振るわず、20代で多額の借金を背負うことに。そんな身も心もボロボロになったとき、わざわざ上京して来てくれたのが、先代住職である秋田の父だった。

そのとき父に「お寺の子に生まれて仏飯で育ててもらったんやから、これからはお寺にお返しをしてはどうか?」と言われたのが、強烈に印象に残っているという。これまで僧侶になりたくないと思っていた秋田が初めて、お寺にくる人に「贈与」でお返しをしていく人生を選ぼうと思った瞬間だった。

秋田が「真剣にお坊さんをやろう」と強く決意した転機は、浄土宗僧侶資格を得るための3週間の道場(加行)を勤めている時だ。毎日ひたすら念仏礼拝に明け暮れている中で、自分たちの唱える念仏の声に仏様が応えてくれる、いわゆる「倍音体験」をしたのだ。

五感の研ぎ澄まされた状態で、日常世界では聞こえない超越したものとつながりを感じたとき、秋田の中で「他者の存在に敏感に、誠実になろう」という思いが強くなった。

その後ボランティアとしてNPOに関わるようになった秋田だが、利害関係を超えた「贈与」の精神は、この「倍音体験」によって芽生えたものだという。

NPOの活動に携わって以来、信用や伝統がすでに備わっているお寺という環境が、いかに恵まれているかを実感することができた。

一般企業やNPOが慈善活動を行うには、信頼関係の醸成や信用の獲得から始めなくてはいけない。先代住職たちに感謝しながら、より一層、お寺として人々にお返しをしていこうと決意するきっかけになった。

「教化センター21の会」を設立。「仏教者としてお寺として、いまの時代とどう向き合っていくべきか」を模索した

いざ入寺して僧侶の道を歩み始めると、それまで自分がいた世界との違いに直面することになった。

既存の仏教界の旧態依然とした体質に、「なんだこれは?」と噛み合わなさを感じたという。お寺が本当に人々の声に応えられているのかが疑問だった。

仏教者としてお寺として、いまの時代とどう向き合っていくべきか。当時は若かったこともあり、具体的な解決策をすぐに出すことはできなかった。

しかし、それを考える研究会を作ろうということで、今から約30年前、浄土宗の有志による「教化センター21の会」を立ち上げたのだ。大蓮寺の副住職時代にその事務局長を務めた経験は、應典院再建への大きな助走になったと秋田は振り返る。

「教化センター21の会」には100人ほどの感度の高い僧侶たちが集まり、「仏教とカウンセリング」「仏教と経済」「仏教とまちづくり」といった今日的なテーマで、イベントや研修を実施した。

20代の頃、映画やミュージックビデオの製作に携わって得た秋田の時代感覚は汎用性があり、仏教界での活動にも生かせたという。

また、葬儀や後継者問題など、現代仏教の問題を取り上げた『現代教化ファイル』の出版活動を始めたり、宗教音楽ライブ『仏教サウンド考現学』を行ったりもした。もちろん仏教界の中には、そのような前衛的な活動を批判する声もあった。

しかし、そんな中でも支えてくれたのが、先代住職や先輩の住職さんたちだった。先代住職は「私にはわからないけれど、これから必要なことをやっていると思う」と言ってくれた。

また、少し上の世代の先輩たちも「宗門では絶対出来ない試みだから」と、秋田の活動を後押ししてくれたのである。

應典院は皆で体験を協働し成長していく場所「異界としての場の力は、思いがけないような展開を生む」

1997年には、かつてお寺が担っていた地域の教育文化の振興に特化した寺院として、ギャラリーやセミナールームを設備した應典院を再建した。この應典院は、「葬式をしない寺」として通常の仏事やお葬式をせず、会員による会費や寄付によって運営されている。

そんな應典院で行われるイベントの中には、100人以上の集客をするものもあれば、参加人数がわずか5人、10人といった小規模のものも少なくない。それは秋田が、交流会の開催や、ファンクラブのようなネットワーク形成といった、終了後の関係作りに最もエネルギーを注いでいるからだ。

イベントそのものよりも、その場をきっかけに出会った人たちの関係性を大事にしていくことが尊いと伝えている。

また應典院は、演劇、映画、音楽イベント等を公演する舞台にもなっている。見た目は華やかで楽しげだが、表現活動をする若者の中には、生き難さを抱えたり、自分を肯定できない人もいるという。

だからこそ應典院で催される公演の目的は、集客だけではないのだ。そこに集まった人々が表現を通じ、一緒に場を作り上げ、社会へ発言して行く中で、自分の存在感を回復していくためのお寺だという。

「仏教は、弱者救済の宗教です。公共的な制度からこぼれ落ちる人こそ対象としたい。お寺は、そこにありさえすればいいんです。何かを教えて手ほどきをするというより、集まるために場を開き、共に生きるために協働することに意味があると思っています。」

実際に20年以上そのような場を提供していると、人が育っていくのを感じるという。それは集まった人々によって作り上げられた、場の力によって起こったことなのかもしれない。

本来、寺は異界であるが、新たな若者や場を受け入れることで、その本質が浮かび上がり、思いがけないような展開を生む。仏教に縁のない人でも、寺で表現活動を行っているうちに自然と敬虔な心を持ち、普段は耳にすることもない説法にも真摯に耳を傾けるのだ。

単身世帯、無縁仏の増加する現代。地域組織と協同し「お寺の終活プロジェクト」推進へ

現在大阪市は急激に単身世帯の数が増えており、無縁仏の数が全国最多だ。12人に一人は、遺骨の相続人が見当たらない、もしくは引き取りを拒否されるという事態である。

「もちろん、そういった単身者のためにお葬式をすることも必要です。しかしまずは、途絶えてしまった関係性を、生きているうちに回復していくことが大事なのではないでしょうか。」

実際、應典院に来ている人たちの中にも、4050代の未婚者は多いという。今アート活動に励んでいる若い世代も、無縁仏の予備軍となるかもしれないし、いずれは終活の拠点が必要となるだろう。

しかし、一般の多くの人々は終活について、誰に何を相談すればいいのか十分わかっていないのが現状である。

そこで秋田は、2018年夏、広く市民を対象に、終活の相談事業、異領域との協働、市民教育を推進する「お寺の終活プロジェクト」を設立。さらに2019年5月には、その拠点となる「ともいき堂」を境内に建立。なお、「ともいき堂」建設のための資金の一部は、クラウド・ファンディングによって調達されたものだ。

さらに現在は、持続可能な体制を作るために、さまざまな事業者と協働した取り組みも始めている。

目標は、社会事業者、医療看護事業者、終活事業者と提携し、 広域なネットワークでサポートする「地域包括ケア寺院」の創成。先行世代の責任として、自分たちが「寺業モデル」を作り、後世に伝えたいと語ってくれた。

「お寺がどう生き残るかというよりも、地域に根ざした「ローカル仏教」そのものの復権を目指すべきだと感じます。どのようにして、地域組織や住民と寺院が協働できるのか、時代に合った形のローカルモデルをデザインしていくか。そこに今、試行錯誤していますね。」

ローカル仏教の復権のためには、まず僧侶が地域活動に積極的に参加し、交流する必要がある。最初から協働といってもハードルは高い。手始めは子供のPTAで役員をやる、地元の青年団に参加する、そんなところからスタートしてもいい。

信徒だけでなく、垣根を超えて全く異なる世界にいる他者とつながることで、新しいものが生まれていくのだ。

―インタビュアーの目線―

今から30年以上も前に「教化センター21の会」を同志と立ち上げ、時代の抱える課題を読みながら、お寺としての活動に向き合ってきた秋田さん。

63歳になられた今もなお、「お寺の終活プロジェクト」の始動、「ともいき堂」の設置と、新しい挑戦をし続けているお姿に、熱意と力強いエネルギーを感じます。

市場の需要を的確に見極め、最先端をいくアイデアを出し続けることができるのは、映画のプロデューサーやNPO活動の支援など、若い頃に刺激的な環境で積んだ経験も大きく影響しているのかと思います。

これからも後世に残るような、画期的な寺業モデルを開拓されていくことでしょう。

プロフィール

秋田光彦(あきた みつひこ)  63

大阪府大阪市/浄土宗如意珠應山極楽院 大蓮寺住職・應典院住職

1955年大阪市生まれ

浄土宗大蓮寺と同塔頭・應典院住職を兼ねる。明治大学卒業後、情報誌や映画製作の分野で活躍、97年に劇場型寺院・應典院を再建、以来22年にわたって、NPO活動やアート活動を支援、「日本一若者が集まるお寺」として知られる。

また、2018年夏から「お寺の終活プロジェクト」を立ち上げ、無縁社会における「とむらいのコミュニティづくり」を推進、その拠点「ともいき堂」は、クラウド・ファンディングで資金を調達して、本年5月に完成した。パドマ幼稚園園長、総合幼児教育研究会会長、相愛大学客員教授、アートミーツケア学会理事など教育職も務める。

著書に『葬式をしない寺』(新潮新書)、『今日は泣いて明日は笑いなさい』(メディアファクトリー)、共著に『仏教シネマ』(文春文庫)、『ともに生きる仏教」(ちくま新書)、編著に『生と死をつなぐケアとアート』(生活書院)などがある。

大蓮寺  https://www.dairenji.com/

應典院  https://www.outenin.com/