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子どもの貧困問題の緩和・解消を目指すNPO法人「おてらおやつクラブ」が、2018年のグッドデザイン大賞を受賞した。

これは、寺へのおそなえ物を仏様のおさがりとして、こども食堂や学習支援などの活動をする団体を経由し、経済的な困難に直面している家庭におすそわけするプロジェクトだ。

活動の事務局を務め、「この取り組みが、自身の仏教徒としての信心を深めている」と語る林昌寺(愛知県春日井市)の副住職・野田芳樹に、おてらおやつクラブの取り組みと、野田自身の仏教への向き合い方について聞いた。

自身の課題と社会の課題とのマッチング

2014年1月に安養寺(奈良県)の松島靖朗住職が考案、スタートした「おてらおやつクラブ」は、現在ではおよそ1,150の寺が活動に参加している。

野田は、2015年4月からおてらおやつクラブの活動に参加した。以前から、野田はお供え物を頂きながら、それらが余ってしまうことに悩んでいた。

愛知県では、お盆に自らの先祖と共に無縁仏なども一緒に供養する「お施餓鬼」という風習があり、その時期にはたくさんのお供え物が集まる。

しかし、仏様からの御下がりとしていただくにもかかわらず、寺で消費しきれず、倉庫で保管することが多かったという。時には、消費期限が切れてしまい、おそなえを必要な方へおすそわけする方法はないものか、と苦い思いをしていたそうだ。

「寺で嫌な仕事はほとんどありませんでしたが、唯一お盆の時期の倉庫整理は嫌でした」と言う野田にとって、おてらおやつクラブは、まさにうってつけの仕組み。自分自身の課題と社会の課題をつなげることで、両方を同時に解決することができる最適な取り組みだった。

早速、野田は活動を自分の寺でも開始することにした。

僧侶の活動に根底に流れる「おすそわけ」の精神

一見すると、おてらおやつクラブの活動は、僧侶のする仕事ではないようにも思える。そう尋ねたところ、野田は「特に違和感はない」という。

「僧侶の仕事のひとつである法要や法話は、“法味(ほうみ。仏教の味わい)のおすそわけ”だと思います。自分の持つモノやお金、知識・技術などを見返りを求めず他者に分け与えることを『布施』といいますが、僧侶は布施という観念を日常的に持っている。その意味で、おてらおやつクラブと相通ずるものがあります」と答えた。

「おすそわけ」の精神について、野田は幼少期から祖父に度々教え込まれたという。長男であり、林昌寺の跡取りとして育った野田と弟2人に対し、祖父は「もーやーこしんといけんよ」と事あるごとに伝えていた。

「もーやーこ」は、名古屋弁で「分かち合う、共有する」という意味の言葉だ。兄弟3人が何らかの順番を決めたり、ものを分けたりする時は必ずそう訓示していたそうだ。

野田は、自分の取り分が減るため「もーやーこ」は嫌だったが、素直に祖父の言葉を守っていた。後に、祖父からの言葉は、誰かと何かを分かち合えば、モノは減るかもしれないが心は満ち足りるという布施の教えだったのだと気づき、今でも僧侶としての一つの指針になっているという。

僧侶とボランティアが支える「おてらおやつクラブ」

林昌寺での活動は、地域の僧侶たちとボランティアによって支えられている。

僧侶たちは各自の寺に集まったお供え物を持参。煎餅が集まりやすい寺、タケノコが集まりやすい寺など、寺ごとにお供え物の特色があるというからおもしろい。

いずれの寺も当初から協力的で、開始から4年経過した現在も熱心に活動を継続している。

活動を支えるボランティアは、林昌寺の近所に住む親やそのこどもたちだ。地域のコミュニティを大事にしたいと考えていた1人の母親が林昌寺を訪ねてきたことに端を発する。

野田がお寺にのぼりを立てたり、掲示板にチラシを掲示したり、Facebookページで発信したりしていたところ、彼女のアンテナに届き、続いてママ友、そしてママ友がこどもたちを連れてくるという広がりを見せた。しかも、彼女たちは檀家ではないというから驚きである。

こどもたちが集まると、野田の役割はその遊び相手となる。他の僧侶たちや母親らが作業する中、事務局である野田がこどもたちと遊ぶという不思議な光景が繰り広げられる。

「檀家ではない方が寺に関わってくれたのは、この活動ならでは。1人で抱えず、皆で場を共にして楽しみたいと思っていたので、今の状況はとても嬉しいです。」

大学時代の自分を成長させた「異文化との遭遇」

野田は高校卒業後に上智大学文学部へ進学。在学中の様々な経験が、人間的な成長につながったという。

ひとつは、キリスト教カルチャーの吸収だ。上智大学はキリスト教系の大学であるため、「キリスト教人間学」という授業や、神父やシスターが講師を担当する授業があった。

幼い頃から寺の跡取りとして仏教の世界で育ってきた野田にとって、異教の文化との遭遇はとても大きな経験だったそうだ。

もうひとつは、様々な出身地の同級生との交流だ。全国各地から集まった同級生らの「地方のサラダボウル」感がおもしろく、地方の文化やお国柄、価値観を知ることができて、自分の視野が広がったという。

人とのつながりの中で助けられている

大学生活の中で最も野田に影響を与えた出来事は、「自分は人とのつながりの中で助けられている」と気づけたことだという。

上京当初、野田は寮生活を送っていた。1人で心細かったときに寮仲間たちと繰り広げた「出身地は?」や「実家のお寺の話を聞きたい」などの何気ない会話は、野田にとって大きな支えになったそうだ。

自分自身を自己肯定感の低い人間と分析している野田にとって、見ず知らずの別天地に飛び込むというのは恐怖以外のなにものでもない。

「こんな自分を受け入れてくれる人がいるのだろうか?」という心配の中で始まった新生活だったが、寮や学校、バイト先の友人らと会話をしたり、遊びに行ったり、勉強したりする中で、「ここにいていいよ」と認められたような、優しい空気感で満たされたという。

このような経験から、「自分は人とのつながりで悩むこともあるが、同時に大きく助けられることもある」と強く思ったという。それと同時に、この助けられた感覚を、後輩など他の人に返さなければと思ったそうだ。

自分が受けた恩のお返しを他の人にすること。後にこれは「恩送り」という考え方であることを知った。

僧侶になろうと思ったきっかけ

野田が僧侶になることを決断したのは、大学3年生の時。

「人生のどの時期を切り取っても、自分が僧侶になるということは頭の片隅にあったと思います」と野田が語るのには理由があった。

それは、自身が寺の息子だったこともあるが、一番はこどもの頃に棚経(檀家の仏壇にて読経すること)などで檀家を訪れた際にかけてもらった「よくきてくれたね」というあたたかい言葉と対応の印象が強く残っていたことだ。

「その方々に恩返しをしたい。そして檀家以外の方に恩送りをしたい。そう思えたということは、僧侶が自分にとっての天職だと感じていたからかもしれません。」

おてらおやつクラブを下支えしてくれる寺を増やしたい

国民生活基礎調査や全国消費実態調査のデータ上では、こどもの貧困率に改善の兆しがみられる。

しかし、事務局に届く声の数や内容を見ると、野田はとてもそのようには思えないという。

その状況の打破には、親の貧困の緩和に取り組む必要があると考えており、それを認知してもらった上で、「おてらおやつクラブを下支えしていただける寺の数を増やしたい」と今後の展開を語った。

社会が抱えている問題に対し、私たちはどのようなアクションをとればよいかを示すことで、関わるプレーヤーを増やす考えだ。

対話から新しい発見や気づきの生まれる寺を目指す

最後に、林昌寺と野田の今後について尋ねた。

「林昌寺を、人が集い、何かが生まれる交差点みたいな場所にしたいです。法事や坐禅会、ボランティアの集まりなどでの他人との対話によって、新しい発見や気づきが生まれるとうれしい」と寺の未来像を語った。

また、いち僧侶としては、「“和尚とみなさん”という一線を引いた関わり方ではなくフラットな関係で、自分も輪に入れてもらいたい。

僧侶は、職業というよりも在り方だと思っています。同じ地平に立ち、みんなで喜怒哀楽を共有し、手を取り合って生きていくという在り方でいたい」とのこと。

そう語る野田が、今後どのような形でムーブメントを起こし、「恩返し」や「恩送り」をしていくか注目だ。

―インタビュアーの目線―

おてらおやつクラブの取り組みは、非常に画期的で貴いです。

しかし現在、その活動に参加している寺の数はおよそ1,150。日本にある寺の数はおよそ77,000であり、参加率は約1.4%に過ぎません。

この活動の認知や理解が高まり、もっと多くの寺が参加すれば、経済的に困窮する家庭も少なくなるでしょう。

私たちにできる最も効果的な協力は、近所の寺に「おてらおやつクラブという取り組みがあると伝えること」かもしれません。

プロフィール

野田芳樹(のだ よしき)  29才

愛知県春日井市/臨済宗妙心寺派 薬師山林昌寺副住職

1990年 愛知県春日井市生まれ

お寺で生まれ育つも、大学はキリスト教系の上智大学を卒業。

禅の修行道場に在 籍の後、臨済宗妙心寺派・薬師山 林昌寺の副住職 となる。

おてらおやつクラブ事務局員を務め、「社会 のお役に立てる僧侶」を目指して日々邁進中。

林昌寺: https://rinsyouyakushi.org/